22話 悪役令嬢の登場
「リリコック教諭……いや、アンナ先生。君は素晴らしい教師だ。音楽は我が学園の生徒にこそ、なくてはならないものだとわかったよ。これからも君のその熱意で生徒達を導いてやってくれ」
音楽祭が終わってからというもの、ドミトリーは変わってしまった。
音楽など不要! と、私と睨み合っていた彼はどこへやら。攻略後か? ってぐらいすっかり落ち着いちゃって。
聞いたところによると、音楽祭が理事長に褒められてご機嫌だとか。それだけ聞くと権力に媚びへつらう中間管理職感がすごいけど、まぁ私達の知らない何かがあったんだと思うことにしよう。
あれだけ時間をかけた大一番が終わったところではあるけれど、私は大変忙しい。
なぜならこれまで音楽祭の準備に追われていたせいで、授業カリキュラムがまったく進んでいないから。
しかも学園は来月から夏休みに入ってしまう。その前になんとかこの遅れを取り戻さないと……!
音楽館内をうろうろしながら楽譜を集め、資料を探し、授業計画と板書計画をノートに書き記す。
もう明るいうちに寮に帰りたいなんてことは思わなくなった。ここが第二の我が家である。
すっかり月が昇ったけれど、ルチアーノは来ない。
そりゃそうだ。作曲作業は一息ついたし、もう彼には私の指導も必要ない。
ナタリーのためのあの曲が二人をがっちり結びつけているはずだし、今頃二人でルチアーノルートの何かしらのイベントを楽しんでいるかも。
——ふと、二人で毎日音楽祭に向けて打ち合わせを重ねた日々を思い出す。
せっかくなら打ち上げぐらいはやってもいいかもしれない。
ハラスメントになったら嫌だから、私からわざわざ誘いに行くようなことはしないけど。もしまたルチアーノがここに来たら提案してみようか。
「……もう来ないかもしれないけどね」
明日の準備がひと段落したところで、ピアノの蓋を開く。
弾き始めたのは——ルチアーノの処女作。音楽祭で最初に披露した方の曲だ。
(そういえば曲名を知らない。聞いておけばよかった)
手元に楽譜があるわけでもない、完全な耳コピ演奏。
記譜はしていたはずだから、写させてもらえばよかった。
何かが違うのか、音はあっているはずだけど、ルチアーノの演奏の美しさに到底及ばない。
そういえば私はいつも技術的な話ばかりして。ルチアーノが何を想って、どういう意図でこの曲を書いたのかも知らない。
あんなに一緒にいたのにと、今更になってぽろぽろと後悔が溢れてばかり。
もうこれからは、毎晩ここで語らうような機会もないのに……
——ガチャ
「なってないな。まるでこの曲がわかっちゃいない」
……少し感傷に浸っているところだったのに、普通に本人が来てしまった。
「あ、ああ……そうね、ごめんなさい……」
音楽祭が終わる前と同じように、普通にホールに入ってきて、普通に隣に座って、
「貸してみろ、ここはこうだ」
なんてちょっと得意そうにピアノを弾く。
いや、普通に来るんかい。
——なんてことは言わないけど、なんか拍子抜けというか。
「……殿下、この曲のタイトルは?」
私に寄り添って、愛の曲であろうそれを奏でるルチアーノに尋ねてみる。
すると彼はゆっくりピアノを弾く手を止めて、驚いたように私を見た。
「考えてなかった」
「……そうなんですね」
「タイトルはどうやってつけるものなんだ?」
「好きなようにしたらいいと思いますけど……モチーフとか、何をイメージしたかとか……?」
「……ふうん。それならわかりやすいな」
「なんなんですか?」
「あててみろ」
「え?」
「あんたならわかるはずだ」
そう言ってにやりと笑うルチアーノは、それから再びピアノに向き直った。
やわらかな甘い旋律が波のように寄せては返す。
やっぱり泣きそうになるぐらい美しい曲だ。
「……誰かを想った曲だってことぐらいしかわかりません」
「……まぁ、今はそれでもいいさ」
結局その夜にタイトルは教えてもらえないまま。ルチアーノによる熱心な弾き方指導だけが続いた。
◇
(あ……ルチアーノ)
翌日、出勤のために職員室へ向かって廊下を歩いていた途中で、前方にルチアーノとヴァンクールが並んで歩く姿をみつけた。
それに声をかけようかと悩んでいるうちに、
「まぁ、ルチアーノ殿下! こんなところでお会い出来るなんてうれしいですわ!」
向かいから来た一人の女子生徒がルチアーノに駆け寄った。
数人の従者を引き連れる、その女子生徒を見てハッとした。それが誰だか一目でわかったからだ。
燃えるような真っ赤な髪をなびかせ、大きな黒曜石のような目を愛おしげに細める美少女——エヴァ・ドラマーティコ公爵令嬢。
このゲームにおける、いわゆる悪役令嬢である。
私はつい反射的に、開いていた扉の影に身を隠した。
ここから進むためには彼らの隣を通らなければならない。
だけどなんとなく、あの子に近づいてはならないようなそんな気がしている。
本当なら生徒はみんな平等に接するべきだけど……ゲーム内で彼女がナタリーにした、嫌がらせの数々を覚えているせいかもしれない。
今私の目の前にいるエヴァは、ただの可憐な少女だとわかっているのに。
「同じ学園にいるのに、なかなかご挨拶もできず申し訳ありません。なぜだか私達、すれ違いが多いみたいで……」
エヴァはたしかルチアーノと同じ三年生。
ルチアーノのお兄さんである第一王子の元婚約者で、第一王子亡き今は第二王子であるルチアーノの婚約者に収まろうとしているって設定だったか。
「音楽祭での殿下の演奏、もちろん拝見いたしました。とても素晴らしい演奏でしたわ。あんなに胸に染みる音楽は初めて聴きました」
それまでずっと愛想笑いを浮かべていたルチアーノの表情が、エヴァのそのセリフで少し曇った。
「……でも君が好きだったのは兄の音楽だろう? 僕の音楽は兄さんのとはまったく違う。君のお眼鏡に叶うとは……」
「そうですか? どちらも同じように素晴らしかったですわ。音楽祭はなんだか品のない演奏も多かったですが……やはりクラシカルなピアノ演奏が一番だと思いました」
おそらくどちらも素晴らしいということに間違いはないんだろうけど、『どちらも同じように』というところにルチアーノは引っかかりそうだなと思った。
ルチアーノは兄の演奏と自分の演奏をまったく違うものだと認識している。自分の曲が『クラシカルなピアノ』である自認もないと思う。
おそらくエヴァは音楽にあまり造詣が深くないのだろう。それは仕方のないことだけれど……。
「……そうか。ありがとう」
意外にもルチアーノは紳士的に礼を言った。
けれどすかさず、後方を振り返る。
「ああ、リリコック先生ちょうどよかった、お話があるのでどうぞ生徒会室のほうへ」
「え!?」
どうやら私が隠れていたことはとっくにお見通しだったらしい。
お話なんて絶対にないくせに巻き込まれた。
私のせいでルチアーノの気が逸れたとでも思っているのか、キッとエヴァがこちらを睨む。
「それじゃあ、エヴァ。元気な顔が見られてよかったよ」
「あ、待ってルチアーノ殿下! 美味しいお菓子がありますの! このあとぜひお茶会でも……!」
「お誘いいただきありがとう。ですが僕は忙しいので。これで失礼」
口調は優しいのに、付け入る隙がないという感じ。
そうしてルチアーノがさっさと歩いていってしまうのを、無視するわけにもいかないよなぁとしぶしぶ追いかける。
エヴァとすれ違う間際には、先程のかわいいひと睨みとは比べ物にならない、親の仇を見るような凄まじい眼力で睨みつけられた。
(えー……)
いやいや勘弁してよ、こっちは教師よ?
別にあなたのライバルでも何でもないんだから。




