18話 革命のエチュード
「革命、ね……まぁ、ちなみに言うと僕も音楽祭の廃止には賛成だ」
「ええ!?」
味方になってくれるかと思いきや、ルチアーノは心底だるそうに肩をすくめる。
「あれは本当に時間の無駄だからな」
「そんな、殿下まで……!」
「あんたも言っていたじゃないか。音楽は自由でいい、と」
「え、ええ……」
「だとしたら、だ。生徒達の大多数が廃止を望む場合、その意思を尊重することこそが自由であるようにも思える」
「な……」
ぐうの音も出ない。音楽を『聴かない』という選択もまた自由。正論すぎるルチアーノの言葉に、私は言葉を詰まらせた。
「それに……生徒らに音楽の土壌がないというのもまぁ間違いではないだろうけど、音楽祭にはそもそも致命的な欠陥がある」
「致命的な欠陥?」
「ああ……まぁ試しに明日にでも大講堂に行ってみたらいい。あんたならすぐ気づけるさ」
ルチアーノはそれだけ言い残すと、ひらひらと手を振って部屋を出ていってしまった。
◇
翌日の昼休憩、私はルチアーノの提案通りに一人で大講堂を訪れた。
入学式はここで行われていたので、別に来るのが初めてなわけではない。
しかし人がぎっちり詰まっていた入学式と、自分以外に誰もいない今では大講堂の雰囲気も随分違って見える。
(舞台が遠い……)
入り口からたくさん歩いてたどり着いた階段で舞台へ上る。入学式では私もここで着任の挨拶をしたものだけど、もうすでに遠い昔のことのよう。人がいない大講堂は、あのときよりもずっと広く感じられた。
ただここは単純に広いというより、奥行きが長いという言い方の方がしっくりくる。
入り口から舞台にかけてずらりと並ぶ布張りの椅子は、何列あるのか数える気にすらならないほどだ。
舞台の上にはポツンと一台のグランドピアノが置かれている。入学式の日にも一度たりとて蓋すら開けられなかったそれだ。
何気なく鍵盤の奥を見たら、グランドピアノの中でも殊更値の張るコンサート用ピアノの銘が刻まれていた。この学園内での音楽の地位にしては随分良いものを置いている。
(これを使う機会をなくそうなんて、本当にもったいない)
試しに弾いてみるかとピアノの屋根を全開にし、適当な曲を弾いた。
音も、弾き心地も悪くはない。
だけどこの椅子に座ってあらためて見える景色がある。
例えば、見上げるほど高い天井。舞台を覆う分厚いドレープカーテン。客席の赤い絨毯に、壁に掛かったいくつもの大きなタペストリー。
(これは……)
演奏を切り上げた丁度そのとき、入り口の扉が開いた。
大きく重厚な扉の隙間から太陽の光が差し込む。その光を受けて、眩いばかりに金髪を輝かせる……ルチアーノが、そこに立っていた。
彼は何も言わずに絨毯の上を歩いて、後方の椅子に座った。
そして有り余って仕方ないらしい長い足と腕を組んで、お手並み拝見とばかりに挑戦的な視線でこちらを見る。
ルチアーノの言う致命的な欠陥というのは、もうおおよそ見当がついているけど……一応やってみるかとあらためて鍵盤に指を置いた。
そしていつもよりもずっと力強く鍵盤を叩いた。
——ショパン『革命のエチュード』。
大学を出てすぐ教職に進んだ私に、こんな大舞台での演奏経験はない。
豪華な箱に豪華なピアノ、観客は耳の肥えた王子が一人。……プレイヤーとしての居心地は悪くない空間だ。
けれど約三分の演奏を終えた後に、拍手はなかった。
振り返った私の前でルチアーノは大きなあくびをし、退屈そうに言う。
「壁の向こうで犬が鳴いてるような音だ」
ああ……。そうか、そりゃ観客がみんなこういうリアクションなら、上級生達にとってこの舞台がトラウマになるのも無理はない。
あれだけ激しく鳴らした『革命のエチュード』でそれなら、他に何を弾いても無駄だなと立ち上がった。
「どうも! 犬の鳴き声ですみません! ちょっと今晩音楽館でリベンジさせてくださいよ! ちゃんといい曲なんで!」
「ああ、そうしてくれ」
音楽祭の致命的な欠陥——……それは、舞台であるこの大講堂が音楽ホールとしてあまりにも適していないということだ。
高すぎる天井が音を散らし、布張りの椅子や絨毯をはじめ、あまりにも多すぎる布が音を吸う。当然、舞台から離れるほどに音は届かなくなる。
もともと演説や式典ぐらいの用途しか想定されていない箱なのだろう。反響板も何も無いこの箱では、奥行きの深すぎる客席の後方までまともな音楽を届けることは叶わない。
音が広がりやすいピアノや弦楽器には特に辛い箱だ。
逆に、前方に音が飛びやすい歌や管楽器は中程の席までなら映えるだろう。ゲームのナタリーが音楽祭で大成功を収めたのには、もしかしたらこういう背景もあったのかもしれない。今更どうでもいいことだけど。
「……あーあ、指が痛い……」
繊細な演奏は届かせられないだろうとかなり強めに鍵盤を叩いたせいで、いつもよりだいぶ指を疲労させた。
両手の指を見つめる私にルチアーノが近づく。
「ほら。強制される音楽ほどつまらないものはないだろう?」
「……ええ、本当に」
音を届かせられもしない場所に立たされ、聴こえもしないのに型通りの鑑賞を強いられる。
それは私の求める音楽ではない。私はここに、生徒を縛り付けることはできない。
やっと気が付いた。
音楽も、生徒も——そう、『自由』であるべきなのだ。
◇
「では音楽祭の廃止案について、何か意見のある方」
「はい」
迎えた職員会議。手を挙げたのは私一人だった。
ドミトリーが「往生際の悪い」とでも言いたげな視線を送ってくる。それでも構わず立ち上がった。
「私は音楽祭の……生徒各自の『自由参加』による開催を求めます」
歌うも歌わぬも、聴くも聴かぬも自由。これこそ究極の『強制されない音楽』でしょう。
私の意見に職員室内がしばらくざわつく。「まだ夢を見ているみたいだ」との嘲笑すら聞こえた。
「……リリコック教諭、君は先日生徒たちにアンケートを取っていただろう。結果はどうだった。大多数が廃止に賛成したはずだ。自由参加という条件で開催したところで、参加者なんて一握り。実質的な縮小、廃止と変わりない」
「それでも、です。……音楽科の生徒たちにとって、音楽祭は日頃の努力を披露する大切な場。それを完全に廃止することには賛同できません」
「だから通常授業を行う傍らで、希望者のみで勝手に音楽祭はやらせろと……随分なことだ。音楽科のカリキュラム内で一度、大講堂を使って披露会でもすればいい。わざわざ音楽祭という名を使う必要はない」
「しかしアンケート上では、廃止に反対する意見も一部ありました。その少数意見を無視して教員側の独裁を貫くか……。『自由参加』という形での開催にし、音楽祭というイベントを縮小するも……今後廃止にするも、『生徒による選択』だとするかは、生徒側の心象が大きく異なるでしょう」
「ほう……」
今他の教員達の目には私が、従来の音楽祭の開催は諦めたものの『なんとか今年だけでも』と粘る教員に見えているだろう。
自由参加として開催する音楽祭はおそらく早々に廃れることを教員達もわかっている。だからこれはただの『引き伸ばし』案だ。
ただしいきなり廃止に追い込むより、『状況を鑑みてやむを得ずの廃止』の方が体裁はいい……と。
私はドミトリーがそういう判断をしてくれることに賭けた。そして、
「一理ある。わかった、君の案に乗ろう」
こうしてドミトリーが提出した音楽祭廃止案は取り下げ。代わりに自由参加による開催、という私の提案がその場で可決された。
会議後、一仕事終えて脱力しきる私にヨナスが言う。
「本当にあれでよかったの?」
悲しそうに下がる眉尻。彼は私が『負けた』と思っている。
私にとっては廃止案を撤廃させて、開催を取り付けただけで『勝ち』なのに。
私は彼ににっこりと笑顔を返した。
「ええ、大丈夫。ここからが音楽の力の見せどころです」
別に『自由参加』は何かを諦めた結果でもなんでもない。
正しくそれが生徒達にあるべき自由であると思ったからそうしただけだ。
生徒達には自由に、自ら音楽を選んでもらう。
最大とも言える難所は超えた。
あとは楽しい楽しい、革命の時間よ。




