17話 音楽を知らない子どもたち
ドミトリーと戦うことを決め、それからは慌てて部活へ向かった。
「遅くなってごめんね~」
ホールの扉を開くと、部員達は丁度休憩中のようで各々椅子に座って談笑していた。
「あ、先生」
「今日の職員会議、長かったみたいですね」
「そうなの。それなんだけど、みんな聞いて?」
私はドミトリーの出した音楽祭廃止案を部員達に伝えた。
「ええ!?」と驚く部員達。そのリアクションに気を良くして、鼻息荒く続ける。
「ひどいでしょう! みんな音楽祭楽しみにしてるのにね!?」
当然、同意が得られるものと思っていた。
私達は共にドミトリーと戦う仲間だと信じて疑わなかった。
だというのに、
「いや、なんというか……」
「正直安心したかも」
「ええ!?」
二、三年生達は軒並みそういうリアクションで、私と一年生は戸惑いを隠せない。
「な、なんで!?」
「音楽祭ってさ……正直だれも興味なしって空間で、結構キツイんですよ」
「観客みんな、早く終われって思ってるんだろうなって顔してて」
「私、今年は弾きたくないなと思ってました……」
衝撃だった。一般課程の生徒どころか、音楽科の子達でさえ音楽祭を負担に感じているなんて。
求められていない環境での演奏が苦痛だという気持ちはわかる。それは授業だって同じことで、だからこそ教師は工夫する。なるべく生徒の興味が引けるように、そこが立ちやすい教壇であるように。
生徒を舞台に立たせる音楽祭なら尚のこと、観客側のテンションを調節したり、より全員が過ごしやすい空間になるように教員側が工夫したりするのも当たり前のことだと思うけど……今まではそれがなかったのかもしれない。
「大丈夫、今年は私が何とかするよ! 舞台構成とか演出とか、できることはいくらでもあるから!」
「でも……」
「大講堂のあの雰囲気が、そこまで急に変わるとは思えません」
「うん……怖いんです、あの舞台」
「ええ……そんなぁ……」
二、三年生達はとことん気乗りしない様子だった。
なんてこったと、次は神妙な顔で会話を聞いていた一年生たちに話を振る。
「ねぇ、ナタリーは歌いたいよね? 初めての音楽祭だし」
たしかナタリーはもともと音楽祭に強い憧れがある設定だったはず。しかもゲームでの音楽祭は、その直後の選択肢で攻略ルートが分岐する重要イベント。
(そうか、また頭からすっかり抜けていた)
モブの私ががんばらなくたって、学園の危機は全部主人公のナタリーがどうにかしてくれるはずなのよ。
そう私の期待を一身に背負うナタリー。けれど彼女は「うーん」と唸って、
「私も……みんなが嫌々やるようなお祭りならいっそ、ない方がいいのかなって……」
可愛らしい笑顔で私の期待を粉々に打ち砕いた。
ああ、そうか……音楽祭、つまり待ちに待った〝初舞台〟に憧れるナタリーはもうここにはいないんだ。
——私が入学四日目で早々に、〝初舞台〟を踏ませてしまったから。
「私はまた……なんてことを……」
「せ、先生……? あ、でも、この前みたいなミニコンサートはまたやりたいです!」
まぁ、そう言ってもらえるならいいか……
とはならない。
「ああ、あれなら僕もやってみたいです!」
「私も!」
「ああいうのなら聴きたい人だけが聴きに来てくれるし、それで十分よね」
次なるコンサートの話題で仲良く盛り上がる部員達。
いいよ、それはそれでまたやるよ。やるけどさ。
この展開絶対正しくないよね!?
生徒が情熱を掲げて学園に反旗を翻す……なんて熱いストーリーが始まるわけでもなく、当たり前のように音楽祭は廃止するものとして話が進んでいく。
私はそのときハッと、静かに端の方でバイオリンを抱える一人の男子生徒を振り返った。既に音楽祭を見越して練習をしていた音楽科の三年生、ニコロだ。
「ニコロ……あなたは音楽祭に向けてがんばってるのよね? 音楽祭がなくなったらショックでしょう?」
「いや……僕は譜読みが遅いから、みんなより早く準備を始めなきゃと思ってただけなので……」
「えええ……?」
やる気があったわけじゃないの?
「でも……三年生にとっては最後の音楽祭なのに……」
未練がましくそう言えば、ニコロは複雑そうな笑みを浮かべた。
「……最後だからって、どれだけバイオリンをがんばったところで意味なんてないですから」
「え……?」
「僕は三男なので……卒業したら、家のことは兄に任せてお見合いでもするか……いっそ軍に入るかって話であって」
「軍……」
「音楽祭を機に、それの何がどう変わるわけでもない。……だから今は、ここで楽しんでバイオリンが弾けたらそれで十分なんです。軍に入ったら、好きにバイオリンなんて弾いていられなくなるだろうし」
……そうか、この子達も貴族だからといって、これからずっと何不自由ない暮らしができるわけじゃないのか。
いろんな進路がある。大人になれば、みんないつかはきっと何かの壁にぶつかる。
だからこそ、だからこそなのよ。
「……過酷な現実に直面したときにこそ……その傍らに音楽や、音楽を通じて得た経験があることが、何かしらの助けになるかもしれない。……だから私はあなたにも必要だと思うわ、音楽祭が」
完全に火がついた。
音楽がなぜ教育現場に不可欠であるか……音楽科の生徒ですらわかっていないその意味を、全生徒に教えてやろう。
◇
……かといってどうしたものか。
頭を抱えるだけで一日が終わってしまった。
音楽部は間違いなく、この学園内で最も音楽に対する意欲のある子達の集まりだ。
その子達の意見があれとなれば……
「……ハァ……」
「アンナ先生、俺も手伝うよ。ひとまずやれることをやってみよう」
「ヨナス先生……でも……」
デスクに突っ伏していた私に、ヨナスが淹れたてのお茶を差し出してくれた。ハーブの落ち着く香りがする。
「アンナ先生は音楽祭が必要だと思ってるんだろう? 生徒達の教育のために。ならそれは妥協しちゃダメだ」
「……はい!」
少なくとも味方は一人いる。そう思えてありがたかった。
とにかくさらに客観的な現状把握のためにと、全校生徒に向けてアンケートを実施した。
内容はシンプルに音楽祭廃止案に賛成か反対か。およびその理由について。
ヨナスの協力もあって、アンケートはたったの二日でほぼ回収できた。
そしてその結果は……
「撃沈というわけだな」
回収したアンケート用紙を勝手に見ながら、ルチアーノが冷静すぎる分析結果を告げる。
私は今度はピアノの蓋の上に突っ伏した。
「そうですよぉ、九割五分が廃止に賛成。理由は音楽祭はおもしろくない、つまらない、退屈……って、子どもみたいな意見がほとんど!」
「ま、わかっていたことなんだろう」
「そりゃあ、ある程度の予想はしてましたけど……!」
ここまで圧倒的に賛成意見が多いとは思わなかった。
これがドミトリーが私に知れと言った、この学園の〝現実〟だ。
「ここの生徒達の大多数には、音楽を聴くための〝土壌〟がないんだわ……。親しみも何もないから、演奏の聴き方も興味の持ち方もわからない。だからつまらないと感じる」
音楽が大衆のものへと移行している間に、貴族であるあの子達の手からはこんなにも離れてしまっていたんだ。
王都の劇場へミミの歌を聴きに行ったときのことを思い出す。
演者も観客も、あそこに集まった人達はみんな心から音楽を楽しんでいた。
けれどこの貴族学園の生徒達にはそんな機会がない。街の劇場は『僕が行くようなところじゃない』し、音楽という『不必要』な娯楽は貴族ではなく大衆のもの。
貴族と大衆という階級構造の中で、音楽という文化が断絶されてしまっている。
これは私にとって、あまりにも悲しい現実すぎる。
ぱさりとルチアーノがアンケート用紙を置く音がした。それからゆっくり歩いて、私の隣に座る。
そして可哀想な子どもを慰めるように、私の髪を撫で付けながら言った。
「僕が副理事長に掛け合ってあげようか?」
「……また貸し付けるんですか。言っときますけど、作曲指導だなんだかんだで今までの借りはチャラになったと思ってますから」
この優しさにはきっと裏がある。
……そう思ったけど、見上げたルチアーノは素直に優しい顔をしていた。
「僕の意見ならあの堅物だってそう無下にはできない。なんなら……そのアンケート結果を改ざんして提出することだって可能だけど?」
訂正。裏があるに違いない、とても悪い顔をしている。
「改ざんは……しません」
「そうか」
いくら悲しくとも現実は受け止める。そのために実施したアンケートだ。
おかげでいくら教育のためとはいえ、こうまで生徒に嫌われているお祭りを、そのまま継続したところで意味がないということは理解できた。
「じゃあ一体どうする?」
「少なくとも必要なのは……改ざんではなく、革命です」
かっこつけたけど、手は今から考える。




