14話 外したレール sideルチアーノ
僕にとって楽譜通りの音楽は、敷かれたレールの上をただ走るだけのようなものだった。
それが人を魅了する音楽に変わる人はきっと、そういうレールの上の乗り物を上手く乗りこなせる人なんだろう。
僕は昔から、そのレールを転がり落ちて進むタイプだ。
毎日決まった時間に繰り返される王室での勉強に武芸の稽古は、兄さんの脇に隠れてサボってばかり。
なんでも予定調和が嫌いだった。好きな時間に好きなことをする、自由に憧れていた。
そして大方、僕の自由は個性として許されていた。予定調和が得意な兄さんがいてくれたおかげだ。兄さんが真面目にレールを走れる人だったから、僕がレールの上にいなくても、周りには諦めてもらえた。
けれど今はそうはいかない。
兄さんが亡くなった今は、僕がレールの上を走ることを誰もが求めている。
学園生活も、勉強も、武芸も。たかが音楽だろうと。
決まったレールの上をただ走ることだけが、『優秀な兄に劣る第二王子』が将来の王にならざるを得ない状況を憂う者達を安心させる、唯一の手段だ。
——だというのに、
「楽譜通りの音楽が退屈なら、いっそ殿下のオリジナル楽曲を作ってみては?」
学園の規律たる教員が、軽々しく王太子をレールの外へと誘う。
この教師は本当になんにもわかっちゃいない。
しかもこの僕を街の小さな劇場にまで連れ出そうとしたりして。そんな僕を見て国民はどう思う? せいぜいオペラハウスぐらいしか許されないだろ。
「じゃあ私とヨナス先生が殿下の分まで楽しんできますね」
それもダメだ。
さっき僕の手を握ったりしたばかりのくせに、すぐに他の男の存在をほのめかす。一体なんなんだ。
こっちはまだ、あんたの手の感触が手のひらに残っているぐらいなのに。
幾日かけて制止を繰り返しても、あの女はまるで赤子のじゃれつきをあしらうがごとく聞く耳を持たない。
王太子である僕にそんな不遜な態度を取る人間は初めてだ。
「ヴァン……なんでもいい、とにかくヨナス・スピントとアンナ・リリコックの逢瀬を止めろ」
「殿下、そろそろ諦めてはいかがですか。殿下がそこまで気にされることではありませんよ」
「いいや、気に入らないものは気に入らない。わかったな、ヴァンクール」
「やれやれ。仰せのままに」
最終的にはヴァンに妨害を命じた。
けれど奴は、どうやら手を抜いたらしい。
「おい、普通に二人で出ていこうとしているぞ!」
正門前に待たせた馬車に乗り込む二人を見て、僕はヴァンを「どういうことだ」と睨みつけた。
「私にできうる限りのことはいたしました。大変良心が痛んで辛かったです」
「感想なんか聞いてない! ……くそ、僕達も行くぞ。馬車を呼べ」
「行くんですか? 何しに?」
「う……うちの学園の教師達を見張りにだ。ライブハウスについてはまだ未知なことが多いが、場合によってはそんな場所への出入り自体、学園の品位に関わる」
「それは……ご立派なお考えで。殿下がそこまで学園思いの生徒会長になられていたとは露知らず……」
「ああもう、なんでもいいからさっさとしろ!」
僕が本心では学園に対する責任も何も抱いていない、ただ王族だからとあてがわれた椅子に座っているだけの生徒会長だということは当然ヴァンも知っている。
学園の品位なんて気にしたこともない。本来、僕の知らないところで教師や生徒がどこで何をしていようと知ったことでは無い。
けれどあの教師だけは気になってしまう。
常に僕の目の届くところにいてほしい。あの手が僕だけのものであってほしい。
——普段ならさすがに無茶苦茶だと一蹴するそんな思考を、切り捨てることもできない。こんなのはもはや意地だ。
「前の馬車を追え」
すぐに手配した馬車に乗り込んでそう伝えれば、御者はなぜか「そのセリフ初めて言われました!」と喜んだ。
学園から都まで馬車で揺られ、前の彼らが降りた先は淡い砂色の石壁で造られた、壮麗な建物だった。
話に聞いていたような『ライブハウス』の大衆娯楽感は微塵もない。たしかにオペラハウスほど大きくはないが、
「立派な劇場じゃないか……」
劇場の正面には大きなアーチがいくつも並び、細かな装飾が施された柱がそれを支えている。
重厚な扉に続く大階段は赤褐色の石で縁取られ、優雅で華やかな雰囲気を漂わせていた。
「学園の教師が出入りしたところでなんの問題もなさそうですね」
馬車の窓から劇場を眺めつつ、「どうします?」とヴァンが言う。
彼女を追うのに並べ立てた理由はたしかにもう使い物にならないかもしれない。でも、
「エスコートなら僕がしてやる」
ヨナス・スピントに微笑みかける彼女がただただ気に食わなくて、結局はなりふり構わず動いていた。
手を重ねたまま、彼女は大きく目を見開く。
「る、ルチアーノ殿下……!? 来たんですか!?」
「で、殿下……!」
ヨナス・スピントも差し出した手の所在を失ったまま狼狽えていた。
「誘ったのはあんただろう」
「え、ええ、まぁそうですけど……」
「ええ!?」
「でもチケットがありませんよ。当日販売なんてないですよね?」
「そりゃあ、今一番入手困難なチケットだからね……」
それくらい大したことじゃない。後ろに控えるヴァンに目配せをした。
「今すぐ最前列のチケットを用意しろ。できるな?」
「はい。チケットなら既にこちらに」
「「えええ!?」」
「じゃあ行こうか」
休日仕様で、普段より少しめかしこんでいる様子の彼女の手を引いて歩きだす。
こうなってしまえばもう、最初からこうすればよかったな、なんて。意地になっていたさっきまでの自分とこの数日間を思い返して、口元に自嘲的な笑みが自然と浮かんだ。




