12話 ちゃんとわかりましたよ
週明け、部活終わりに授業準備をしていたら、当たり前のようにルチアーノがやってきた。
どうせなら部活時間から来てナタリーの歌を聴けばいいのに。まぁそんなすぐに素直になれるキャラじゃないのね。
「どうかされましたか殿下?」
どんなレコードがあるのかの把握を兼ねて整理しているところだったので、とりあえずそのまま用向きを聞いてみる。
「先週末はなぜピアノを弾いていなかったんだ? スタインに調律をさせたあの日だ」
ルチアーノは不機嫌そうに椅子に座って足を組んだ。
はて、ここへ来てから私がピアノを弾かなかった日などないが……。
「私の歓迎会があった日のことですか? ちゃんと授業で弾きましたよ」
「夜は弾かなかっただろう」
「だから歓迎会があったんですって。お酒も飲んでたし、疲れてたので帰ってきてすぐ寝ました。そういう日だってありますよ」
納得いかないのか、ルチアーノは余計にむっすりと顔を顰めた。
なーんで私が毎夜毎夜ピアノを弾くのが決まり事みたいになってるんですか。勘弁してくださいよ、教師は残業代出ないんですから。
「歓迎会、おもしろかったんですよ。主役は私のはずなのに、私は大体放置されてて」
「……それのどこがおもしろいんだ?」
「いやぁ、その分人間観察が楽しめてよかったんですって。カリヤ先生とサリュー先生がバチバチに火花を散らしながらヨナス先生を取り合ってたり。ルノワ先生が熱く歴史を語ってるかと思えば、相手のカンバーン先生は明らかに居眠りしてたり」
ルチアーノに話したって仕方ない教員側の裏話だけど、とりあえず彼の意識をピアノから逸らせないかと試みる。
しかしがんばってなるべくおもしろおかしく話してみたものの、ルチアーノはずっと『こいつは一体この僕に何の話をしてるんだ』の顔をしていた。
「そもそも歓迎会というのは普通、学園外で行うものなのか? 女性がそんな夜半に出歩いたりするのは危険じゃないのか」
お、とりあえず話が逸れた。
「馬車の送迎があったので何も危険なんてありませんよ。私もヨナス先生と馬車に乗り合わせて帰ってきましたし」
「ヨナス……言語学のヨナス・スピントか」
「ヨナス先生、ですよ」
「なるほど。じゃああんたは、王宮調律師に調律させたピアノを弾くことよりも、男と酒を飲むことを優先させたっていうのか」
わあ、捻くれた言い方。
話を逸らすことに成功したと思ったら、結局すぐ戻ってきてるし。
「もう、だから歓迎会ですってば、歓迎会」
大体どうして歓迎会に行ってきたってだけで、こんなにネチネチと嫌味を言われなければならないのか。
「ピアノはちゃんと大事にしますよ、毎日弾きますよ。心配しなくたって、今日もたくさん弾きました」
「…………」
何を言ってもむっすり顔。それでも絵になる美しさなのがずるい。
「……あんたが授業でどれだけ弾いたところで、僕は聴けないじゃないか」
「!」
……聴きたかったのね?
「殿下も音楽の授業をお取りになればいいのでは」
最初から素直に言ってくれればいいのに。ただ私のピアノが聴きたかっただけだなんて、そんなこと思いもしないから。
持っていたレコードを置いて、ピアノ椅子に腰掛ける。
「今日の三年生の授業は、ルミナス派の作曲家達についてです」
鍵盤に指を置き、今日の授業で取り扱った作曲家達の曲をいくつか弾いた。
ルチアーノは黙って耳を傾けている。
ピアノを聴きたいと思ってもらえるのは純粋にうれしい。私はピアニストではないけれど、私も私の弾くピアノが好きだから。
(あ、そうだ)
最後の曲を弾き終えると、くるりとルチアーノに向き直った。
それから立ち上がって、ピアノ椅子を彼に勧める。
「スタインさんから聞きましたよ、殿下もピアノをお弾きになるって。私にばかり弾かせてずるいじゃないですか。殿下のピアノも聴かせてください」
にっこり笑顔で促したものの、ルチアーノはたちまち鬱陶しげな顔になった。
「やめろ、僕は弾かない」
「まぁまぁそう言わずに」
ルチアーノは素直じゃないから、多少強引でもこちらのリードが必要なのだろう。
そう判断して、ルチアーノの手を強めに引いた。
「お、おい……!」
つられるように立ち上がったルチアーノを誘導して、ピアノ椅子に座らせる。
私も隣の椅子に座って、「何がいいですかね」と適当な楽譜を膝の上で広げた。
「……スタインからどう聞いたか知らないが、僕にはまともなピアノなんて弾けないんだ」
「ええ、そんなはずないですよ」
スタインさんがルチアーノのピアノをどう評価していたか教えてあげようと、ルチアーノを見上げる。
だけどルチアーノの表情は完全に諦めている者のそれで、今の言葉は少なくとも彼の中では事実なんだと察した。
「……殿下」
再びルチアーノの片手をとる。びくりと跳ね上がったそれの手のひらに、私の手のひらを合わせた。
思った通り、私より関節一つ分は長い指。イケメンは手までイケメンだ。
「殿下は耳がいいですし、手もこんなに大きい。私からすればとても羨ましいです」
彼の不安はどこから来るものだろう。
優秀だった兄に対する劣等感……なのかな。
もったいない。非常にもったいないわ。
「耳と指があればピアノは弾ける。そしてお兄様にはお兄様の……殿下には殿下の音があります」
ルチアーノの顔が切なく歪む。
そして合わせていた指がぎゅうと私の手に絡まった。
「!」
「……あんたに僕の何がわかる」
慌てて手を引っ込める。意外とあっさり離れたルチアーノの手はそのまま鍵盤の上に行き着き、濁った和音を響かせた。
「……弾いてくださいよ。そしたらもっとわかります」
適当に選んだ、膝の上の楽譜の一つを譜面台に置く。
「この曲とかどうですか?」
ノルードのピアノソナタ。ノルードが好きなら初見ということはないだろう。難易度は易しすぎず難しすぎず。シンプルながらにそれなりに聴きごたえはある。
「譜めくりならしますので、どうぞ」
「……そんなもの必要ない」
言うが早いかルチアーノは鍵盤の上で指を広げ、ほぼ楽譜を見ることなくピアノソナタを弾き始めた。
(……速いな)
最初から、楽譜の指示よりも少し速いテンポだった。でも走っているとかそういうことではなくて、演奏に不安はなく心地いい。
ただ『僕にはまともなピアノなんて弾けないんだ』というルチアーノの言葉の意味は、なんとなくわかった。
聴き入っていたら、終わりまではあっという間だった。
ルチアーノが手を持ち上げるのと同時に拍手を送ったけれど、必要ないとばかりに首を横に振られる。
「殿下、あの……」
「言いたいことならわかる。まずちゃんと楽譜を読め、だろう。王室の教師にいつも言われていた」
私はまだ何も言っていないのに、聞き飽きたと言わんばかりの態度。
でもまぁ、王室教師の言っていることはおおよそ正しい。
そう……ルチアーノの演奏は、まるで楽譜通りではなかった。譜面の独自解釈の域も超えている。クラシック音楽としては許容できない。
「……おっしゃるとおり。今の音楽はノルードのピアノソナタではありませんでした。ノルードを下地にしたオリジナル演奏です。ノルードをちゃんと弾きたいなら、もっと楽譜に忠実でないといけません」
「……ああ、わかってる」
ただルチアーノのピアノは、決して下手なわけではない。
そして彼の音楽は、間違いなく魅力的だった。
情熱が迸り、強引に人を惹きつける力がある。
基礎とか技術とか読譜力の問題ではない。彼には彼の音楽が鳴っているだけなのだ。
それはクラシック音楽の演奏としてはいただけないが——
「楽譜通りの音楽が退屈なら、いっそ殿下のオリジナル楽曲を作ってみては?」
「は? 僕の……?」
「ええ。作曲家デビュー、ということです」
これはこれで、ぜひとも伸ばすべき才能だ。




