11話 昨日とはまるで違う今日 sideヨナス
俺はオタク趣味がやめられないせいで、スピント家からは勘当同然で追い出されている。
何度も劇場に通いつめたり、推しに囲まれて眠ったり、同じレコードを何枚も積み上げたり。そういう優雅さの欠片も無い趣味は、スピント家の品格にそぐわないらしい。
そんな俺にとって王立学園の教師という職は、ひっそりとオタク趣味を続けていくための格好の隠れ蓑。
寮の部屋では誰の目も気にすることなく推しに囲まれることができるし、学園から劇場のある王都までは馬車で三十分とかからない。
窮屈な家に戻ったり、どこぞの誰かの家に婿入りしたりするぐらいなら、俺は一生ここで暮らして、骨を埋める。そう決めていた。
だからこそ必死だった。
オタク趣味が絶対周りにバレたりしないように。窮屈になった実家と、同じ轍をここで踏まないように。
親切で気が利いて、かっこよくて完璧なヨナス・スピントという教師を演じ続けた。
我ながら完璧だった。これまでボロを出したことなんて一度もなかった。
それなのに……!
「馬車に乗った後の記憶が……ない……」
ひどい頭痛と共にベッドの上で目覚め、俺は絶望していた。
アンナ先生と馬車に乗ったのは間違いない。けれど部屋にたどり着いた記憶もなければ馬車を降りた記憶もない。
まさかアンナ先生にここまで運んでもらった……なんてことはないよな? 覚えてないだけで、実は自力で歩いて帰ってきたんだよな? アンナ先生のあんな非力そうな腕で、大の男一人を運べるわけがないし。あ、でもチェンバロは割とガッツリ持ち上げてたな……。
……いや、いやいや、いやいやいやいや……
あらためて推しで埋め尽くされた部屋を見回して、血の気が引く。
こんな部屋をもしアンナ先生に見られていたとしたら……
「終わりだ」
生徒からも教員からも大人気のヨナス・スピント先生は、給料のほとんどを歌姫の舞台のチケットやグッズに費やすようなキモい人間であってはならない。
俺のこの顔が学園でバレたりしたら、もう教師なんて続けられない。
(荷造り……しようかな)
◇
週明けの出勤は、かつてないほど足が重かった。
職員室に入った瞬間ありとあらゆる方面から白い目で見られ、アンナ先生とは目が合わず、そのうち副理事長からは「スピント先生、こちらへ」と呼び出されて……
……というところまで妄想してブルった。
「あ、ヨナス先生おはようございます」
「アンナ先生……! お、おはようございます……!」
職員室の扉の前で突っ立っていたところ、後ろからやって来たアンナ先生とかち合った。
「週末はあの後二日酔いとか大丈夫でしたか? ヨナス先生かなり飲んでたから……」
自然な流れでそのまま二人で職員室へ入る。
恐れていたようなことは何も無く、誰も白い目で見てこないし後ろ指を指さないし、アンナ先生とは普通に目が合う。
(なんだ、ちゃんと自力で部屋に戻ってたのか……! 良かった……!)
変わりない日常に、ほっと胸を撫でおろした。
「ヨナス先生?」
「あ、ああ、二日酔い、あったあった。しかも起きたときにはもう昼過ぎで……」
すっかり安心しきって椅子に座る。
しばらく頭痛に悩まされたよ、と。本当は胃痛でそれどころでなかったくせに、当たり障りない話を続けようとした。
けれど、
「あら、貴重な休みにすみません。ベッドじゃなくてあえて床に寝てもらう方がよかったですかね、あはははは」
「は……」
なんてことはない笑顔で繰り出されたアンナ先生の冗談に、一気に全身が凍った。
「あ、あの、アンナ先生……実は俺、馬車を降りてからの記憶がはっきりしてなくて……」
「……あ」
アンナ先生も何かに気がついたようだ。
途端に気まずそうな顔になった彼女を見て、さっきまでの安心感から急転直下。
「アンナ先生……もしかして俺の部屋、入りました……?」
責めるつもりじゃないのに、そういうニュアンスを含んだような言い方になってしまった。
「あ、あー……いや、あのぅ……ごめんなさい……」
案の定しゅんと顔を下げてしまったアンナ先生。
心が痛んだ。何も彼女に悪いところなんてないのに。
悪いのはオタクをやめられない俺だけだ。
「……アンナ先生すみません、気持ち悪いものを見せてしまって」
「いや、気持ち悪いなんてそんな……!」
「一緒にいてくれたのがアンナ先生でよかった。でも……もう一緒に働くのが嫌なら、俺はすぐにここを辞めます」
「え……ええ!?」
アンナ先生はあの部屋を見たにも関わらず、それを隠していつも通り接してくれていたんだ。なんて思慮深くやさしい人だろう。
けれど彼女も貴族の令嬢。本当の俺の姿に嫌悪しないわけがない。
これ以上彼女に負担をかけないためにも、大人しく自ら身を引くことを決めた。
しかし彼女は大袈裟に顔の前で手を振って、
「ちょ、ちょっと待って! なにか私の態度が悪かったかな、ごめんなさい! 何も見てないことにするつもりだったのに失敗しちゃったなってだけで、一緒に働きたくないとかそんなこと微塵も思ってないですよ!」
慌てて否定してくれる彼女に、ほんの少しだけ希望が芽生える。いや、でも……
「でも……嫌じゃない? 隣の席の男があんな……オタクだなんて」
「いいじゃないですか、オタク。気にしませんよ。私だってオタクですし」
「え……!? ほ、本当に!?」
思わず身を乗り出してしまったけれど、アンナ先生は事も無げに微笑んだ。
「ええ。……といっても私はライトな乙女ゲームオタクって程度なんで、オタクを名乗るのはおこがましいですが……」
「お、おこがましい……?」
「はい……真のオタクと同列に語られると気が引けるというか、申し訳ないというか」
「はあ……?」
「あ、でもヨナス先生は胸を張ったらいいですよ! あんなにすごい熱量の推し部屋なんてなかなかありませんから!」
アンナ先生の目はまっすぐだった。適当な社交辞令でもなんでもなく、本気でそう言っているのがわかる。
短い付き合いだけれど、アンナ先生のそういう真面目さはもう十分知っていた。
少し、目頭が熱い。
人に受け入れてもらえる日が来るなんて思いもしなかった。しかも女性にだなんて。
本当の俺を知ってもなお、何一つ変わらない笑顔が眩しい。
「アンナ先生……ありがとうございます」
「お礼なんてとんでもない。もちろんヨナス先生が嫌なら誰にも言いませんし、安心してください」
「ああ、本当に……なんてお礼を言ったらいいか……」
「じゃあ……お礼の代わりというのもあれですが、私も先生の推しに会わせてくださいよ。生でぜひ見てみたいです!」
……え?
嘘だろ。俺の趣味を見て見ぬふりするどころか、分かち合おうとまでしてくれるのか?
「も、もちろん! ぜひ一緒に!!」
緊張で声がひっくり返りそうだった。その日が楽しみすぎて興奮が抑えられない。そういう姿はヨナス・スピントらしくなくてダサいとわかっている。
だけどもう彼女の前では、完璧なヨナス・スピントを演じる必要はない。
それが俺にとってどれほど嬉しいことか、彼女にはきっとわからないだろう。
「ふふ、楽しみですね」
柔らかにほころぶ花のかんばせ。
舞台の上の推しが焦がれてやまない太陽だとすれば、君は闇の中の俺をやさしく照らして導いてくれる月だ。
時計の針がひとつ進んで、一日の始まりを告げる鐘が鳴る。
昨日とはまるで違う今日が始まった。




