10話 混沌の夜、頑張り屋なあなた
おかしいわね、私の歓迎会のはずなのに。
さっきから主役の私を差し置いて、ヨナスが老若男女の先生方に囲まれているわ。
(さすがヨナス。モテモテだわぁ)
別に張り合う気など到底ないし、私をちやほやしなさいよなんて思わないけど……
「大体君はリリコック家の父親共々、由緒正しき王立学園の教師という立場がどれほどの誉れであるということがわかっていない。そもそも理事長が音楽科などというものを創ったのも——」
隣がこの説教臭い上司になるぐらいなら、他のみんなで私を囲んでほしい。
ドミトリーは赤ワイン片手に饒舌だけれど、私は酒など飲めたものではないし。
目の前にはおいしそうな料理がこれでもかと並んでいるのに、手を伸ばしたら「聞いているのか!?」と隣からパワハラを食らった。おかげでさっきから腹の虫が鳴いている。
「副理事長……父がどんな姑息な手を使って私を学園へねじ込んだかは知りませんが、ちゃんとお給料分の働きはしますので……とりあえずご飯を食べちゃだめですかね……?」
「なに?」
うわ、眼光が鋭い。
「そもそも君は貴族の令嬢らしく、もっと品のある言葉遣いはできないのか? そのようなことでは生徒の手本として——」
だめだお説教が止まらねぇ。
この拷問はいつ終わるのかと絶望していると、
「副理事長、多忙な副理事長はご存知ないかもしれませんが、アンナ先生も実は毎日努力されているんですよ」
ヨナスがワインボトルを片手に現れた。
先程まで皆さんの輪の中心にいたはずなのに、いつの間に。
「学園の教師たるもの、務めを果たすのも自己研鑽に励むのも当たり前のことだ」
「けれど王太子殿下の〝お気に入り〟は今のところ彼女だけですよ」
「なに……?」
「へ?」
ヨナスがワインボトルを傾ける。ドミトリーの空いたグラスがまた赤く色付いた。
「彼女のために、殿下は王宮から調律師までお呼びになりました。……第一王子を亡くされてからというもの、陛下はルチアーノ殿下を格別にご寵愛です。殿下の願いであればなんでもお聞きいれくださるでしょう。……たとえそれが、実際はアンナ先生の——ひいては副理事長の願いだとしても」
ヨナスのあやしい笑みに心が竦んだ。
ほ、本気で言ってるわけじゃないわよねヨナス……?
少し目の色が変わったように見えるドミトリーが私を見下ろす。
落ち着かずにそわそわしていたら、「お気に入り……? これが……?」と信じられなさそうな呟きが聞こえてきた。
ええ、ええ、ヨナスの誇張ですよもちろん。
これがヨナスの助け舟だったのはわかるけど、さすがに厳しくないか。
けどここから逃げるにはもう乗るしかない、この舟に。
「ルチアーノ殿下は……私のピアノの虜ですのよ」
「!?」
すまん、ルチアーノ。
「本来一ヶ月前にすべきはずの部の申請も、二つ返事で許可していただきました。『なんでも貴方の好きなようにしたらいい。許可ならいつでも出そう』……と」
本当はちょっと違うけど。貸し二つつけられてるけど。
ドミトリーは目を見開いて驚愕していた。
さらに前回勝手に開いた中庭コンサートについて、口裏合わせをしてくれたルチアーノとの会話の記憶からか「たしかに……」と唸る。
「彼女が着任してまだたったの一週間ですよ。……たったの一週間で、ここまで大きな成果を挙げた例など他にはないでしょう。どうです? 少なくとも殿下が卒業されるまでのあと一年は、彼女を応援してあげませんか?」
その〝応援〟は教師としてでもなんでもないのはわかっている。
ルチアーノにとっては不名誉極まりない。
でもこの交渉が上手くいけば、少なくとも一年は私の就労が保証される……! それはあまりにも魅力的……!
「……仕方がないな。リリコック嬢、今後もその調子で励みたまえ」
「は……はい! 承知しました!」
勝った!!!!
目配せでヨナスと喜びを分かち合う。相変わらずイケメンすぎるウインクが飛んできて痺れた。
その後ドミトリーは説教の矛先を私から別人へ変え、席を移っていった。
代わりにそこへはヨナスが座ってくれたので、最初の乾杯から一ミリたりとも減っていないワイングラスで改めて乾杯をする。
「ありがとうございましたヨナス先生。まさかヨナス先生があんなに頭の回るタイプだったとは……あ、失礼」
「いやいや、ごめんね。もっとスマートに助けてあげられたらよかったんだけど……」
「そんな……」
みんなが遠巻きにしていた中で、話しかけにきてくれただけでもうれしいのに。
こんなのそりゃあモテるに決まってるよねぇと見ていれば、「ねぇヨナス先生、こっちへいらして!」と遠くの先生からお声がかかる。
「お呼びですかマダム? どうぞお待ちを。……じゃあごめんね、そろそろ行くよ」
「うん、ありがとう。楽しんで」
「アンナ先生こそ」
ヨナスは常に人気者。誰のどんな言葉にも嫌な顔一つせず笑顔で答え、注がれたお酒はすぐに飲み干し、誰からもかわいがられた。
私はそんな彼を見ながらゆっくりと料理に舌鼓をうつ。一人で寂しいなんてそんなことはない。
ヨナスを見ていたら、お説教も武勇伝も口説き文句も聞かず、無理に酒も料理も勧められず、自分のペースで好きに過ごせるありがたみがよくわかる。
(ヨナス、かなり飲んでるけど大丈夫かな……)
そんな心配から小一時間後。
すっかり酔いが回ったらしいヨナスは赤を通り越した青い顔で、虚ろな目を彷徨わせていた。
迎えの馬車に次々と先生達が乗り込んで帰っていく中、一部では「私がヨナス先生を送るわ」「いや私が」「私よ」とマダム達によるヨナスの取り合いが始まっている。既婚者も未婚も入り乱れての女の争いだ。
「えーと、お次はどなたが乗られますか……?」
しれっとマダム達を促そうとすれば、ギンッと女の目で睨まれた。彼女達からすれば私とてライバルらしい。
ちょっとその状況に引いていたら、何かに服の袖を引かれた。
見ると、額を抑えて俯くヨナスがちょこんと小さく私の袖を掴んでいる。どうやらもう一言もしゃべることすらままならないらしい。
……よし、任せて! 次は私が助ける番ね!
「マダム、ヨナス先生は私と同じく職員寮住みですし、私が送っていきますわ」
「まぁ! あなた、こんなに辛そうなヨナス先生を寮なんかで一人にさせる気?」
「どこか広い部屋でだれかが看病するべきだわ!」
私を非道みたいに言うな。もとはと言えばあんたらがこんなになるまで飲ませたんでしょうが。
「……ヨナス先生は誰の手も煩わせたくないとのことです」
「まぁ、先生。遠慮なんていらなくってよ……!」
一向に折れる様子のないマダム達。
そこへちょうど、お手洗いへ行っていたらしいドミトリーが戻ってきた。
私はすかさず彼を振り返って言った。
「ね、副理事長! 私に任せてくれますよね?」
「ん? ……ああ、そうしたまえ」
「ええっ」
状況を知らないドミトリーは、私の言葉をルチアーノについてのやり取りの延長だと思っただろう。
ただそうとは知らず、ドミトリーの指示の手前それ以上は何も言えなくなるマダム達。
私は清々しい気持ちで、ヨナスと共に馬車へと乗り込んだ。
「それでは皆様、ごきげんよう」
◇
「すみませんアンナ先生……」
揺れる馬車の中、苦しげに目を瞑るヨナスは一言だけ呟いた。
「ヨナス先生にはたくさんお世話になっているので。気にしないでください」
ヨナスの返事はなかった。
さらに職員寮の前に着いても、ヨナスはぐったりとしたまま目を覚まさない。
「あの……非常に申し訳ないんですが……」
御者の男性の肩をお借りして、二人で支える形でヨナスを部屋に運ぶことに。
御者も慣れているのか、私の申し出に二つ返事で了承してくれた。
「一〇五……一〇五……あ、ここだ」
たまたま部屋の番号を知っていてよかった。ヨナスのポケットから鍵を拝借し、鍵穴へ差し込む。
「あ、えーと……すみません、ありがとうございました。ここからは私一人で」
「ええ、大丈夫ですか? ここまで来たらもうベッドまでお手伝いしますよ」
「いえ、いいんです。本当にありがとうございました」
「わ、わかりました……お気をつけて」
当たり前だけど、御者が離れると倍以上の重みが体にのしかかって来た。
これは短期勝負だと、急いで扉を開いて意地で進む。
間取りが私と同じでよかった。気合いでなんとかベッドにたどり着いて、二人で雪崩れるようにベッドの上に倒れ込んだ。
「ハァ……ハァ……!」
この前運んだチェンバロより重かった。
もはや意識のないヨナスの腕の下からなんとか這い出て、ベッドの縁に腰かける。
そこから立ち上がりかけて……何かを踏んだ。なんだろう、とすぐ側にあったランプの灯りをつける。
すると、
「うわっ!」
窓からの月明かりだけではわからなかった部屋の全貌が明らかになって、思わず驚きの声をあげてしまった。
部屋の壁全面に貼られた、一人の女性のポスターや写真。部屋の隅に高く積まれたレコードの山。床に散らばった雑誌の表紙にはその女性の顔が写っていて、よく見ればカーテンやベッドカバーには、その女性を模した絵が施されている。
貴族の男性のイメージからは程遠い部屋の中。よく言えば庶民的、悪く言えば世俗的……つまり、そう。
ヨナスの部屋は所謂、オタク部屋だ。
(あー、わかってたはずなのにびっくりしちゃった。生で見ると迫力あるわね)
ヨナス・スピント——老若男女から好かれる好青年には実は、昨今王都の劇場で大人気の〝歌姫〟の……過激ファン、という裏の顔がある。
有り体にいえばアイドルオタクということだ。
これはヨナスルートを進めばわかることだけれど、誰にでも優しく親切に振る舞う王子様ムーブは実はヨナスの偽りの仮面。
本当の彼はもっと陰鬱としていて、人も、人との関わりもそこまで好きではない。
劇場で推しを応援している瞬間だけが彼の生きがいだった。
……ただ、そこにナタリーが現れる。
ヨナスはナタリーの歌に惚れ込んで、自分がアイドルオタクであることをカミングアウトしながら、ナタリーのプロデュースを申し出る。
それから二人三脚で二人はアイドル街道を駆け上がり、ナタリーは一人で劇場を満員にするほどのトップアイドルに登り詰める。二人は互いを唯一無二のパートナーとして、これからも支え合うことを誓ってハッピーエンド。
(……今思えば学園モノの乙女ゲームにしては異色のストーリーね)
ヨナスがナタリーの歌を初めて聴くのはたしか音楽祭だったけど、もしかしたらこの前のミニコンサートをヨナスも聴いていたかも。
だとしたらプロデュース作戦はもう始まっていてもおかしくはない。
それならそれで気にはなるけど……首は突っ込まない。ルチアーノのようにイベントが起きなくなるのは困るけど、早まる分には別に構わないでしょうし……また何か余計なことをしちゃったりしたら大変だしね。
……よし、人の部屋を眺めるのもここまで。
さっき踏んだ雑誌だけ部屋の隅に寄せて、ランプを消した。
「……おやすみなさい、ヨナス先生」




