第70話 最高の鯛と最高の酒
「じゃあ、神前。オメエもやれ。そして一口飲んだらさっきオメーが言ってた具材を一通り入れろ」
ランは誠の杯に酒を注ぎながら上機嫌でそう言った。
誠は小さな盃の中の豊潤な酒の味を味わうとすぐにランの指示通りに練り物とこんにゃくを鍋に入れた。
「先生、そろそろ鯛の方も始めたらどうです?」
山路老人はそう言って別皿に並んでいる薄切りの鯛を指さした。
「そーだな。神前、オメーから行け。コイツは刺身でも食えるような代物だ。似すぎるんじゃねえぞ、箸に持って一煮立ちしたらこのポン酢に付けて食べる……ああ、神前、最初は薬味無しで行けよ。まずはこの鯛がどんなもんか味わえ。そしてそこから自分の口に合わせてネギやカボスや七味を入れろ」
ランの言葉通り誠はとりあえず笑顔の山路老人に目をやったあとそのままさらに大量に並ぶ薄切りにされた鯛の身を箸に取ると鍋の中に投じた。
「落とすんじゃねえぞ。それと煮すぎるな。鯛の身が崩れる」
その言葉通り誠はすぐさま鯛の身を自分のたれの入った小鉢に移すと軽くタレを付けて口に運んだ。
その鯛は濃厚でとても白身魚とは思えないその主張は誠が『近藤事件』の時の祝勝会で食べたクエを思い出させるものだった。
「若いの、どうだい?」
これも満足げに自分の鯛の身を口に運んだ山路老人が誠に尋ねてきた。
「おいしいです……半年前に生まれて初めてクエと言う魚を食べたのですがその時を思い出しました」
誠は自分に正直な気持ちを吐かせるこの老人の雰囲気にある種の安心感を感じていた。
確かに顔は怖い。そして子分たちにはどこまでも厳しく接する。しかし、その言葉にはどこか優しさがある。
そんな山路老人がなぜ人の道を踏み外してヤクザなんかになったのかを訪ねたくもなる気にもならないではなかったが、目の前で鯛に舌鼓を打つちっちゃなランの言葉である『詮索屋は嫌われる』と言う言葉を思い出して我慢した。
誠はすぐさま鯛の身の皿に箸を伸ばした。
「神前、食うだけじゃだめだぞ。今回の名わき役である酒も飲んでやれ。親分、こりゃあ初めて飲む酒だが……どこの酒だい?アタシもコイツは鍋には合う酒だと感じた。ぜひ知りてーんだ」
ランは箸ばかり進む誠を一瞥すると山路老人にそう尋ねた。
「ああ、この造り酒屋は……うちの若いのの一人の実家がやってる所でしてね。俺としてもこいつに出会えたのは本当にいい偶然だとそいつを褒めてやったが……まあ、アイツには今すぐにでも家に戻してこの酒の作り方を本格的に勉強してもらいたいところだが……何せ若いのの考える事ですから。あんな山奥なんかに帰りたくないとか抜かしやがる。こんないい酒を造れる親父さんを持ちながらこの稼業に足をツッコんでなんの得があるのやら……まあ、後で顔を出させますんで先生からも時々声をかけてやってください」
山路老人はその皺の目立つ意志の強そうな大きな目を細めるとそう言って杯を傾けた。




