ズレ
「適合率、ゼロ……ですか?」
担当者の声には、わずかな困惑が混じっていた。
モニターに表示された数値は変わらない。
《適合率:0》——それだけが、他の項目から浮いている。
「機器の誤作動、という可能性もあります」
そう言いながらも、視線は画面に貼りついたままだった。
誤作動なら、よかった。
そう思った自分に、ほんの少しだけ違和感が残る。
もし本当に故障だったら。
この“ズレ”は、どこにも存在しなかったことになる。
「念のため、再検査を行います」
淡々と告げられる。
背後で、誰かが笑った。
今度は、はっきりと。
反射的に視線を逸らす。
それが自然な動きだと思っているのは、たぶん自分だけだ。
――
検査室を出ると、同じ被験者たちが結果を受け取っていた。
「俺、適合率92だって」
「いいじゃん、ほぼ満点じゃん」
「これで配属も安泰だな」
軽い笑い声が広がる。
喉の奥が、わずかに締まる。
口角を上げる。
意味もなく、誰に向けるでもなく。
「……あれ?」
声がした。
振り返ると、一人の男がこちらを見ていた。
同じ被験者だろう。落ち着いた表情で、モニター端末を持っている。
「さっきの検査、どうだった?」
唐突な問いだった。
「普通だよ」
すぐに答える。
間を空けないことだけを意識して。
「普通、ね」
男は少しだけ目を細めた。
「俺は95。ほぼ理想値らしい」
そう言って、端末の画面を軽く見せる。
整った数値。
均一で、揺れがない。
「すごいな」
口に出した言葉は、驚くほど軽かった。
男は小さく笑う。
その音が、耳の奥に残る。
同じ種類のはずなのに、違って聞こえる。
「まあ、この社会じゃ普通だよ」
普通。
その言葉が、わずかに引っかかる。
「さっき、ちょっと反応してたよな」
男が言う。
「笑い声のとき」
指先が、わずかに止まる。
「そんなことない」
即答する。
間を作らない。
考える前に否定する。
「そうか?」
男は首をかしげる。
その仕草すら、どこか余裕があった。
「……いや、別にいいけど」
それ以上は追及してこなかった。
けれど、もう十分だった。
背後で、また笑い声が上がる。
今度は少し大きい。
その瞬間。
視界が、わずかに揺れる。
――あの時も。
同じだった。
誰かが笑っていた。
向けられているかどうかも分からないのに、逃げ場だけが消えていくような感覚。
呼吸が浅くなる。
「大丈夫か?」
男の声で、意識が戻る。
「……平気」
短く答える。
それ以上、何も言わない。
言えば、形になる。
形になれば、処理しなければならない。
それは、面倒だ。
「そうか」
男はそれだけ言って、視線を外した。
興味を失ったように。
それが、少しだけ楽だった。
――
再び呼び出しがかかる。
「被験者、再検査を行います」
白い部屋は、さっきと何も変わっていない。
電極を装着され、椅子に座る。
同じ手順。
同じ質問。
「それでは、開始します」
モニターに波形が流れる。
数値が並ぶ。
今度は、逃げない。
そう決めたつもりだった。
背後で、誰かが笑った。
――またか。
喉が、詰まる。
反射的に、口角が上がる。
止められない。
「ストレス反応、上昇」
機械の声が、淡々と告げる。
分かっている。
これが、普通じゃないことくらい。
「次の質問です」
画面に文字が浮かぶ。
――あなたは、他者と関わることを好みますか?
指先が、わずかに止まる。
好きかどうかなんて、考えたことはない。
ただ。
避けているだけだ。
理由も、よく分からないまま。
「……はい」
指が動く。
触れる。
その瞬間。
背後で、笑い声が弾けた。
今度は、はっきりと。
逃げ場のない位置から。
胸の奥が、強く軋む。
視界の端で、数値が大きく乱れる。
ストレス。回避。応答。
すべてが、噛み合わない。
そして。
結果だけが、静かに表示される。
《適合率:0》
変わらない。
何も。
変わっていない。
「……異常値を確認」
機械の声が、わずかに間を置いた。
「再現性あり。個体差として記録します」
個体差。
その言葉が、妙に現実味を帯びる。
誤作動ではない。
つまり。
これが、自分だということだ。
背後の笑い声は、もう聞こえない。
なのに。
頭の中だけで、まだ続いている。
止まらないまま。




