第六話 走れとは走ってない比喩である。
私は、少しずつ沈んでいく太陽の、十倍も早く走った。
脱兎の如く走って逃げ続けた。
クトゥルフ系スライムから。
太宰先生の名作『走れメロス』のように。
道中で太史慈と出会い、心底納得できないという表情で私は彼に語りかけた。
太史慈とは、バッタの……相棒だ。
「オカシイ……まったくもってオカシイ。ねぇ、太史慈。ちゃんと聞いてる?」
大抵の異世界転生モノは、何やら凄い能力や、常人離れした魔力が付与されて然るべきである。
だが、私にはソレがない。その気配すらない。
甚だ遺憾である。
スライムからは視界に入らないぐらいまで逃げ切った。
息を切らすまで走って逃げ、息を整えてからも、また逃げ続けた。
もし追われているとしたら、
太史慈を生贄に差し出したとしても見逃してもらえそうにないから。
私がスライムだったとしたら、
太史慈一匹食った所で腹の足しにもならないと思うから。
なぜに私にはもっと大型の相棒が仲間にならなかったのだろうか。
それも含めて、甚だ遺憾である。
ちなみに、「沈んでいく太陽の速度」は地球の自転速度と同じだそうだ。
自分で導き出したのではなく、AI先生に聞いたから間違いない。
地球の自転速度は、約時速1300kmから1400kmとされている。
したがって、メロスはその10倍の速さ——
つまり時速13000kmから14000kmで走っていたことになるらしい。
これは、マッハ11からマッハ14に相当するスピードだ。
オリンピックランナーが100mを約9秒台で走るのに対し、
メロスは100mをわずか0.02秒で走る計算になるそうだ。
新幹線のぞみの44倍の速さ。
コンマゼロ2秒とか蒸着かよ。銀河パトロール隊の隊長に就任できてしまうぞ。
しかし、私も異世界転生の主人公となったからには、
これくらいの速度で走れるチート能力があっても良さそうなものだが。
そんな超人スキルは発現しなかった。
甚だ遺憾である。
ただ、『走れメロスで実際に彼が走ったスピード』を明確に調べた人がいる。
その人が言うには、
実際は40kmの道のりを10時間で移動した程度で、そのスピードは僅か時速4km。
「早足」や「歩き」に近い速度だったという結論が出たらしい。
作中の「十里」という距離や時間の記述を基に実際の速度を割り出す研究をしたんだそうな。
この研究を行った中学2年生は、「走れメロス」というタイトルは
「走れよ!メロス」の方が合っていると感想を述べたらしい。
まさに今の私が、この状況にぴったりと当てはまる。
「走れよ!俺」
チート能力のない私の実力なんて、推して知るべしである。
さて。
大切な唯一無二の相棒、呂布と張遼を続けて失い、
太史慈と会話を楽しむ余裕が生まれたのは、
すでに日が傾き、夕暮れが空を赤く照らし始めている頃だった。
敵前逃亡をした呂布と違い、張遼の最後は見事なものだった。
スライムから無事に逃げ延びて安堵したのも束の間、
私は森の中で巨大な蜘蛛に遭遇した。
人の手のひらくらいはあっただろうか。
その巨大な蜘蛛の巣に引っかかり、驚きの声を上げる私を尻目に、
彼は猛然と巨大な蜘蛛に挑みかかったのだ。
「俺を踏み越えて先に行け!おまえには成さねばならないことがあるだろう?」
瞬時に糸に囚われ、身動きの取れなくなった張遼の心の声が聞こえた気がした。
いや、たぶんきっと言っていただろう。
それほどまでに、私と張遼は固い絆で結ばれていた、かもしれないのだから。
「すまない。君の雄姿、私は(たぶん)ずっと忘れないよ。」
私は、そう張遼に応え、再び——少しずつ沈んでいく太陽の、十倍も早く走った。
彼の心の声に応えず、共に戦うという選択肢もあったかもしれない。
けれど私は、そうしなかった。
ただただ逃げた。
だって無理だもの。
あれは、死なないヤツだったと思うけど、巨大蜘蛛とかマジでキショい。
驚いた拍子に籠から飛び出して逃げ……んん。
猛然と挑みかかった張遼の勇猛さに黙祷を捧げ、
私は揚々と森の中に引き返していった。
彼はもう、蜘蛛の腹の中だろうか……。
そんなことを思いつつも、私は頭に浮かんだ懐かしいメロディを口ずさんでいた。
♪ 男なんだろう……ぐーずぐず、するなーよ
胸のエンジンに、火をつーけろー
おれはここだぜ、ひとあしおさき
光の速さであしたへー ダッシュさーーー!
と、ご機嫌に歌を口ずさみながら、
小川へ戻ると再びクトゥルフスライムに遭遇した。
私は三度、沈んでいく太陽の十倍も早く走った。
その途中で太史慈を拾い上げ、籠の中に押し込みながら歌を口ずさみ続けた。
さってと~、気を取り直して……
——今日も元気に異世界転生、始めますよー^^
実は第一話もそうでしたが、太宰先生スタートを匂わせながら——こんにちわ。
兄です。
今日は、とある有名な格言を皆様にお伝えしておこうと思います。
それでは……ホコン。ご清聴ください。
♪若さを……若さってなんだ?
振り向かないことさ。
愛ってなんだ?
ためらわないことさ。
ふーふん!あばよ涙
ふーふん!よろしく勇気
ふふんふふふふーーーーん。ふっふーーーん。
「君も一緒に、よろしく勇気!!」
『あばよ涙』の精神で強く生きましょう。
張遼も、草葉の陰から私の無事を祈ってくれている、ハズです。
それでは今回も、諦めずに悔やまない心で、異世界冒険譚を始めます^^
さてさて、異世界転生で……いや、転生じゃないな。転移かな?
まぁどっちでもいいや。今が危機が危ない状況なのは間違いない。
蜘蛛は想定より大きかったけれど、問題はスライムだ。
あれは明らかに、地球には存在しない生物だった。
まず、私が異世界へ飛ばされたことは確定なんだろうね。
そして、なんやかんやあったところで、もう日も沈んでしまう。
寝て起きたら地球に戻ってた、なんてこともあるかもしれないが、
戻れなかったら油断が命取りになる。
森の中に逃げ込んだとはいえ、近場に水辺があれば、
それだけ動物も近づいてくるだろう。
この場合の「動物」とは、ウサギや野ネズミといった安全圏の生き物ではない。
命を刈り取ることに躊躇しない異界の生き物が、鋭い爪と牙で軟肉を狙ってくる。
それこそ、私など良い生餌だ。
とはいえ、現状の私にできることは少ない。
私は、木の上で夜を明かすことにした。
木登りは得意ではないが、子供の頃はそれなりにやんちゃもした。
幸いにも、川に張ってあった粗い蔦の束を回収できたので、ロープ代わりになりそうだ。
ロープクライミングなどはできないが、近いことはできるだろう。
それにしても、ようつべで偶然見た木登り動画を、実際にやることになるとは思いもしなかった。
キノコなどが生えた木は、腐食していて折れる危険があるので避ける。
真っ直ぐに生えた木は頑丈だが、素人が登るには困難なので避ける。
針葉樹などの皮ががさついた木も、一見登りやすそうに見えるが、皮が捲れたりする場合があり逆に危険だ。
しばらく吟味を重ねて、一晩ご厄介になる木を選んだ。
枝が分かれていて、つるつるした印象の木を登る。
見た目は登りにくそうに見えるが、実際に触ってみると、意外にもざらざらとした表面をしていた。
木の中には漆などのように、触るとかぶれる樹液を持つものもある。
肌に触れない方が安全ではあるが、贅沢は言っていられない。
なにより、このまま大地に転がって運に身を任せるよりはマシだろう。
木の虚に手や足を掛け、蔦のロープで身を支えながら、何時間もかけて10メートルほど登った。
降りる時も大変だが、これだけ登れば一先ず安心だろう。
洞窟などが発見できれば、身を潜めるには最適だったかもしれない。
ただ、先住の獣などがいれば、それこそ火に飛び込む虫だろう。
ワンチャンけも耳美少女との邂逅もありえたかもしれないが、無い物を強請ってもしかたがない。
明るいうちに、人のいる村や町に辿り着ければ良かったのだが……。
小川に掛けられた蔦のロープを発見したことで、人類のような知的生命がこの異世界にいることは確実だ。
助けを求められる程度の意思疎通ができれば良いのだけれど。
明日は下流を目指して、人里を探そう。
最悪、海まで出れば何か進展があるだろう。
なんだかんだと眠る準備をしていたら、すっかり日も暮れてしまった。
空腹と喉の渇きを我慢しながら、私は木にもたれかかるような体勢で目を閉じた。
「おやすみ、太史慈。」
ところで——
地球では、私たちが住む世界が、実は高度な文明によって作られたコンピュータ・シミュレーションの中に存在している、という哲学的な仮説がある。
そのうち詳しく紹介するかもしれないが、人類の誕生には、グレートフィルターを越え、ある種の天文学的な幸運(Cosmic Lottery)が重なって今の世になった、という説と並行して語られている。
この並行世界も含めてシミュレーション仮説で考えるなら、
神々のような何者かに作られた世界で生きる人間は、運命すらも必然的なシミュレーションの一部に過ぎない。
泡沫のように——
いくつもの平行した世界があるとするなら、異世界に転移した今のこの世界も、転移する前の地球も、わりと現実的にあり得る結果だったのかもしれない。
ようつべのゲーム実況を見て「面白そうだ」と思い、いざ買って実際に遊んでみたら、腱鞘炎になりそうなほど過酷なクリックゲーだったのも宇宙の筋書き通りというわけだ。あれは他人がやっているから面白いのであって、自分がやっても必ず面白いわけではないのだ。
まったく。善良な私を騙して、何が面白いと言うのか……宇宙君も人が悪い。
あんなに腕にダメージ受けるんだったら、おとなしくシュミレーションゲームでもしていればよかったよ。マジまったく、だ。
シミュレーション世界の中で、シミュレーションゲームをしていたという事実が現実だとすると、なかなかシュールな絵面になるけどさ。
夢の中で夢を見る、みたいな……。
こんなことをつい考えてしまうのも、宇宙の思惑どおりなのかもしれない。
仮説が真実であれば……だが。
そうして私は、ぼんやりとした思考の中で、
ゆっくりと浅い眠りに呑み込まれていった。
異世界の一日目は、平和とは言い難いけれど、
とりあえず生き延びることができた。
私の家計は相変わらず火の車……いや、車どころか、車検すら通せない無一文である。
いーいーいぃーーーー。
ふーんふんふーん。
あばよ昨日、ぎゃーばーーーん。
よろしくー未来、ふふんふふーんふーーん、ぎゃーばーーーん。
たまに、思い出したように聴きたくなる宇宙刑事ギャバンの主題歌。
歌詞を攫ってみると、わりと良い歌詞だったりするんですよね。
それはそうと、ちょいちょいネタにもしてるのに、毎回「グレートフィルター」と言う言葉をど忘れします。
メモ書きとかもしてるハズなのに、なぜか出てこなくて探し回るんですよ。
もう何回調べ直したことやら・・・。
何か目に見えない力が、忘れるように働いているのかも?
なんて思ってしまいます。
それでは・・・
この作品は不定期進行です。
次は何時になるか、予定は未定ですw
気楽に待って、軽く笑い飛ばしていただけたら幸いです。
ではでは・・・アディオ―――ス、アミーゴ!




