想う人-1
〔 想う人 〕
道旗は病院のベッドの上で微睡んだ。
本を読んでいた途中で、いつのまにか眠ってしまったようだ。ベッドをリクライニングしていた姿勢のままうたた寝をしてしまったらしく、腰の痛みに思わず顔を歪めた。
姿勢を変えようと身動いたとき、ベッドの横に誰かが座っているのに今更ながらに気がつく。
「よく眠っていたみたい」
「ああ、腰が痛くなるくらい熟睡したみたいだ」
「でも何か夢を見ていたんでしょ?」
独特の語尾で瑠璃はにっこり微笑んだ。琥珀の実の妹である。
磐田家古来から続く家系--依り代、生き神、祓魔師、霊能力者、超能力者、預言者--その時世により呼び名は変わるが、類い稀な遺伝子を過去最大に受け継いだ「先祖返り」とその道では名を知らぬものが居ない存在。
彼女は清潭な面持ちを、くしゃりと崩して微笑んだ。
その僅かな表情が兄である琥珀に似ていると、道旗は思う。
「夢、ああ、うん、そうだね夢を見ていた」
「じゃあ浅い眠りよね、熟睡じゃないわ」
クスクスと低く笑って瑠璃は目を伏せる。
「それより瑠璃姫が病院に来てくれるとは」
「思っていなかったぁ?」
「理由がないのに滅多に外出するようなタイプじゃないだろう」
「元家庭教師のセンセイが入院したっていうのに、お見舞いするのは外出する立派な理由にならないのかなぁ」
「律儀だねぇ瑠璃姫は」
「塁だもの」
伏せた目が静かに開かれる。緩く注がれた視線には強い光があった。その光を真に受けて道旗は静かに微笑んだ。
「そんな生まれる前のことを、義理堅く思っていないくていいんだよ」
縁は過去も未来も同調する。所縁は前世も来世も繋がっている。全てがあって現在、今世がある。
そんな確信もないことを信じるまでもない、と道旗は思っていたのだが。
「わかってないなぁ、靖彦さんは」
言われて道旗は気の抜けた微笑をした。
「うん、自分は君に比べるとこの世のことなんて何にもわからないよ」
「謙遜するんだねぇ、でも私そういうセンセイ嫌いじゃないの」
「参ったなぁ、完全に遊ばれているんだね俺は」
「そんなんじゃないわ、兄の大事な理解者を敬っているんだから」
小首を傾げて瑠璃が微笑む。
「素直に受け止めておくよ」
ややあって、思い出したように道旗は瑠璃の顔を真っ向に見た。
「前からもう一度確認したいと思っていたんだけど。琥珀くんと莉子ちゃんの縁、あれは本当かい」
「ソウルメイトの話?」
「ああ」
そうね、と瑠璃が真顔になる。それからにこりと不気味なほど可愛らしい笑みを乗せて口角を上げた。
「今世から築くソウルメイトってあってもいいと思わない、靖彦さん?」
「嘘だったのかい」
「嘘じゃないわ」
「からかったのかい」
「からかってもいないわ。私にはそう視えた、だけ」
瑠璃はベッドの端に腰をかけると、屈むように道旗の額に口づけをした。
「外国形式の挨拶ってこんな感じでよかったっけ?」
「からかうんじゃないよ、瑠璃姫」
「うふふふふ」
道旗の方も満更でもない笑みを顔に浮かべて、二人はしばし笑いあった。
瑠璃は道旗が知り合った頃から、変わらずに冷淡で人間味がない。だが、彼女が時折見せるこういう馴れ合いが、道旗に安堵感を与えてくれた。ふざけ合った時間が愛おしいと道旗は思う。
例えれば、シャム猫のみさえさんといる時のように。
「ねぇ靖彦さん、退院して元気になったら、またソフトクリーム食べに連れて行ってくれるかなぁ」
「お安い御用ですよ瑠璃姫」
「じゃあ早く良くなるように回復力を贈ってあげるねぇ、これが私からのお見舞いだよ」
瑠璃の華奢な手が道旗のギプスで固まった脚に触れる。
感覚などないはずなのに、その暖かさが肌に染み込んでくる様子がわかった。
視えないはずの眩いほどに輝く黄金の光が、足先から全身を満たすように上がってくる気がする。濡れた和紙に一滴一滴と金色の絵の具を落とし込むように、瑠璃の触れた中心から滲むように体が満たされていくのが感じられた。
自然と目を閉じてその感覚に酔いしれてしまうほどに。
充分に安堵を満喫したのち、目を開いた道旗は余韻の残る幸福感に微睡みながら微笑んだ。
「夕方には歩けるようになる気がしてきたよ」
「無理無理、それは無理」
軽く笑って瑠璃は病室を後にした。扉が閉まる寸前、廊下に控えていた瑠璃の父親が、静かに頭を下げたのが見えた。
すでに閉まった扉に向かって、道旗も出来る限り深くお辞儀をした。
市内でも唯一の病床数を携える総合病院の一室。病棟といえども人の出入りは激しい。その喧騒が先ほどまで遮断されていたように、道旗の耳に日常の音が飛び込んできた。
道旗は困ったように微笑した。
瑠璃には全て見透かされていたのだろう。どれくらいの時間、無音の結界を張ってくれていたのだろうか。
おかげでうたた寝だったはずが、ぐっすり熟睡した翌日のような爽快感を感じる。
入院してからは、内心穏やかではなかった。こう見えてどこでも寝れるような頑丈なタイプではない。みさえさんの柔らかい体躯のもたらす温もりが恋しかったと言うのもあるが、ボグダンが持ってきた仕事が気に掛かっていた。
彼が携えてきたバレッタ。
--道旗は見覚えがある。
それは、遠い遠い昔。
まだ「本当の意味で」父と母が居たころ。
一度だけ幼い頃に、道旗にとっては祖母あたる人物と面会をした時があった。道旗の父親の里親という人物だった。厳格だった祖父母と父は相容れないものが多く、家を出ていた父が、最後の決断を報告に実家に戻った時だった。
少なくとも道旗はその時、初めて自分の祖父母の顔を見た。
父とは全く似ても似つかぬ風貌の英国夫婦だったのを覚えている。父の本当の両親は日本人だと言った。その両親が在英中に事故で亡くなり、日本にも身寄りがなかった少年は、そのまま両親の知人であった今の祖父母の養子になった。
父は自分を育ててくれた祖父母に感謝こそしていた。だがどうしても理解できない大きな溝もあった。
祖父はプロテスタントの牧師だった。
道旗の父は、視えないものが視えてしまう霊視能力があったのだと言う。子供の頃から視えたものを、側から否定されて生きてきた。父はそれらは人ではなく悪魔だと祖父に教えられてきたらしいのだが、彼の成長する中で、祖父の教えと自分の見てきた現実に、大きすぎる溝を掘り込んだのだ。
果たして祖母はどうだったのだろう。
道旗の記憶にある祖母の姿は、白い肌にシルバーに近い髪を湛えた冷淡な顔をした女性だという事だ。
紫色や白、薄い青などという花が咲いた庭を背景に、その祖母は静かに佇んでいた。黄色味の混じった上品なブラウスの胸元に、歪な形をした銀色のアクセサリーがあったのを覚えている。
人見知りだった道旗少年だったが、両親が祖父と会話をしている最中に、祖母がこっそり庭に道旗を誘い出してくれたのだ。
庭は雨後の青々しい匂いを立てていた。
「それはなあに」
不釣り合いなアクセサリーに興味を示して道旗は手を伸ばして尋ねた。
「これはね、おばあちゃんの大事な宝物なの。バレッタなんだけど、ほら、ここが壊れてしまってね。ブローチがわりにしてみたの」
「そうなんだ、でも僕が大きくなったら直してあげるね」
その時、祖母がどういう表情をしていたのかすら記憶にはない。
ただそれが最初で最後の、道旗にとって最初の祖母の姿だった。
日も暮れてから、その日は何故か両親と三人車内で川の字になっていた。車のシートを全部倒し、ありったけの毛布を重ねて暗闇の中に道旗は居た。
それが非日常で道旗は心が踊って寝付けなかった。
実家を出た父は涙を流す母の肩を抱き、道旗を連れて車に乗り込んだのだ。そのままひたすら道を走ってモーテルについたのだが、どこも満室だったと、オーナーの許可をもらって駐車場の一角で車中泊することになった。
「靖彦、お前の本当のおじいさんとおばあさんのラストネームは道旗だよ」
突拍子もなく父親は息子の顔を覗き込んでそう言った。まるで君はヒーローだと言わんばかりの明るい口調だった。
「ベローじゃないの? だってパパのバアバとジイジはベローだよね。パパもベローでしょ」
「いいか靖彦。パパは〔道旗〕をミドルネームにしているんだ」
「そっか、マックスもアルもミドルネームあった」
同級生の名前を道旗は何人か挙げた。
「今日からお前にもミドルネームを使ってもらいたいんだ」
「僕もミドルネームつくの?」
「MICHIHATA」
息で曇らせた車窓に、指でアルファベットを大きく綴る。
「なんだか言いづらいなぁ、でも変わってて面白いね」
「ママにはミドルネームないの?」
「ママにはないわ、でもつけるならそうねぇ、ママの旧姓はMIYAMAだから」
母親も窓に息を吹きかけ、指でアルファベットどを綴る。
「パパと同じMだ!」
「そうね、同じね」
「気に入ってくれたかい?」
「うん、気に入ったよ」
道旗靖彦、これが僕の名前。




