バレッタの記憶-3
「何か視えた?」
期待とも不安ともとれない、複雑な表情のボグダンが話しかける。琥珀は一つ深く頷くと、視えたありのままをできるだけ詳細に伝えた。いつもは書記をとる道旗のペン先が紙をなぞる音がしないのが、唯一物足りないのを除けば、普段通りに琥珀は事の故を話して聞かせた。
「最後に見えたのは、知らない人か」
ボグダンは呟くように復唱する。そうしてふと、思い出したように部屋の中を見渡した。
「ああそうだ、大学のメモリアルノートがここにはまだあるかな」
「メモリアルノート?」
「ちょっと待ってて」
と、立ち上がって本棚をまじまじと眺め始めた。天井まである本棚には、英字の並んだハードカバーの洋書が威厳を持って詰まっている。
ところどころには日本語の書籍もあったが、圧倒的に洋書が多かった。
それを琥珀は、今頃気がついたのだ。
「あった、これだろうかな」
ボグダンがそれを見つけたものは、壁側にある本棚の中ではなかった。ちょうど、ベッドの横に仕切りのように向こうの見える吹き抜けの棚が配置されていて、そこにはあまり小物は置かれていない。ベッドが置かれた状態や、ベッドサイドの卓上ランプの形状までこちらからは丸見えだ。どちら側からも取り出せる様に、ティッシュの箱など数少ないものが置かれている。小さな置き時計も、表面はベッド側を向いてこそいるが、唯一その棚の中で視界を遮るものの一つだった。
そこの一角に、何冊か無造作に積み上げられただけの大学ノートの束があった。
ボグダンはそこから、するりと慣れた手つきでノートを引き抜く。
「そうだ、これだこれ」
色味こそ燻んだネイビーだったが、それといって古めかしくもない。中をパラパラと捲りながらボグダンは琥珀の前に腰を下ろした。
(この人がどうして、道旗さんの部屋のモノのある場所に詳しいんだろう)と思うのも、とりあえずは先送りにする。
覗き込む様に琥珀はそれに視線を落とした。
几帳面そうな英字がスラスラと、それも隙間なく並べられていた。琥珀にはそれを理解できる英語の解読能力はな買ったが、自ずと触れてみたくなるほど綺麗な文字だ。少し上半身を屈めて覗いた時だった。
あるページに古い写真が挟まれていたのを見た。
「あっ」
琥珀は思わず声をあげた。
「この人です、こっちの右の」
セピア色に変色した写真には、三十代くらいの女性が二人写っていた。家のテラスかどこかで撮ったのだろうか。左の女性は戯れ合う様に右の女性に身体を寄せて満面の笑みを浮かべていた。
琥珀が視た女性は右側の、薄く笑みを浮かべた白人の女性だった。笑みは薄くとも、目元がとても穏やかだ。美人すぎる故に、少し硬質なイメージは確かにある。
「ずっとこのバレッタのルーツを知りたくて、学生時代にヤースーに相談していた。僕の中途半端な能力はヤースーには打ち明けていたから、彼が当時の唯一の理解者だった。その時に僕たちが書き合った、いわばメモリアルノートがこれだよ」
琥珀はちらりとボグダンの顔を見やった。さぞかし懐かしげな表情でもしているのだなと、思ったのだ。
「こっちの右の人が、視えた人物なのは本当なの?」
続けざまに問われて琥珀はハッとして慌てて頷いた。ボグダンはとりわけ懐かしんでいる様な表情でもなく、昨日今日の話をしているかの様に生き生きしている。
「左の人も居た。二人とも視えました」
そうだ、視えていた。
バレッタを手に取った女性は右側の人だった。写真に写る彼女よりバレッタが視せた彼女の顔は、もっと穏やかだったが、その奥に覗き込む女性もまた、彼女左隣に写っている人物だったのだ。
確か、姉妹だったと記憶する。
「ラッキーアイテムって言ってました」
鏡ごしに映った彼女の姿と、古い艶めきを失った銀色のバレッタ。
「ふぅん」
ボグダンが顎に手を当てたままじっと写真を見つめる。
ややあって、写真の右側の女性を指差して静かに言った。
「こっちの人はヤースーの最初のお祖母さんだよ。ヤースーの実の父親を里子に貰って育てた人」
「こっちの隣の人が、僕のお祖母さん」
もちろん道旗の祖母といっても、当然血の繋がりはないけれど。と付け足してボグダンは琥珀に目線を移した。
道旗の母親は何度か結婚を繰り返している。その時その時で血の繋がりのない祖父母が存在するのだが、写真の女性は道旗にとって最初の血の繋がりのない祖母だったのだ。
道旗の母親は、琥珀が居候しているこの神社の宮司である御山の妹にあたる。彼女がどうして海外で人生を送っているのかなど、琥珀の知る域ではない。
ボグダンが持っていたバレッタが示し合わした道旗との関係。
道旗の血の繋がりのない元祖母と、ボグダンの祖母が姉妹だという事だけだったのだろうか。
「やっぱりこのバレッタは、我が家に伝わるものだったんだね」
ボグダンはそれがはっきりした事でだいぶ喜んでいた。
「エディタという先祖が持っていた記憶がわかっただけでも、大きな収穫だよ。これからエディタという人物に繋がるルーツを探していける」
ルーツというものにボグダンは取り憑かれていた。
(それを知ってどうにかなるのだろうか)
自分自身を否定している琥珀にとって、自身のルーツなどどうでもよかった。磐田家の先祖やルーツなど知りたくすらない。
自分と似たような能力の欠けらを持った人間と出会えて、琥珀はとても嬉しかった。だが、自分のルーツに興味すら持たない琥珀とは真逆に、自分のルーツを知るために長い年月を費やしている彼に、自分には持っていない前向きさを感じて寂しい気持ちになった。
息を大きく吸って琥珀は意識をしっかり戻す。
「ありがとう琥珀くん」
「いいえ、あの、また何か視えたらその時はお話しします」
「もちろん、いつでも言ってくれ」
琥珀の意識の中では、バレッタの記憶はほぼ視尽くしたと言ってもいい。
それでもなぜか、釈然としないものを琥珀は感じていた。




