第2章:両親
恋人関係の次は、親だ。
一番早く縁が切れる関係
私は思う。ほとんどの人間関係の中で、親と子の関係が一番早く縁が切れる。
なぜか?大人になれば、家を出る。結婚すれば、物理的に親から離れる。会う頻度は激減する——週に一度? 月に一度?
その時点で、親に会う回数はすでに有限の数字になっている。
仮に親の余命があと十年で、月に一度会うとすれば、残り約百二十回。もし二ヶ月に一度なら、六十回。会うたびに数字は一つ減る。ゼロになったら、二度と会えなくなる。
これは感傷文学ではない。算数だ。現実だ。
そして、親子関係の終わり方は二種類しかない:死別か、認知症などによる「認識の喪失」だ。
どちらも、縁が尽きるということだ。
最後の一度
親が七十代、八十代になれば、帰省するたびに「これが最後かもしれない」と思うようになる。いつか必ず、本当の「最後」が来る。それは避けられない。問題は、今回かどうか分からないということだ。
あなたが親に言う最後の言葉が、どの言葉かは分からない。最後の別れが、どの別れかは分からない。
だから毎回が「最後かもしれない」のだ。
この重みからは、誰も逃れられない。
どうすればいいのか?
避けられないのなら、どうする?
簡単だ:回数を増やす。親がまだ元気なうちに会いに行く。いなくなってから後悔するより、ずっといい。
でも、どうやって仲良く過ごすか?
私の提案はこうだ:お金の話をするな。仕事の話をするな。お金に関係する話はするな。もし親が実際にビジネスで成功していて、あなたを助けられる立場にあるなら別だ——社長だったり、コネがあったりするなら、もちろん話すべきだ。しかし、ほとんどの人の親はそんなに力を持っていない。それなのにアドバイスをしようとして、結局喧嘩になる。
では何を話せばいいのか?あなたと親のどちらとも関係のない話をしろ。時事、食べ物、第三者の話。話題の焦点を自分や親に向けなければ、親が何を言っても「そうだね」と相槌を打っていればいい。
もし親がどうしてもお金や仕事の話をしたがるなら、真剣に受け止める必要はない。適当に流せばいい。「うんうん」「そうだね」「わかったよ」で十分だ。流したら、あとは自分の人生を続ければいい。
これは失礼ではない。関係を守ることだ。会う回数は限られている。喧嘩に使うのはもったいない。
会うべきかどうかの判断基準
「でも、親と仲が良くない場合は?」と聞かれるかもしれない。
私の答えはこうだ:自分に問いかけてみろ——「もし今日、親が往生したら、悲しいと思うか?」
もし何も感じないなら、無理に会わなくていい。もし後悔するとか、悲しいと思うなら、会いに行け。
答えは人それぞれだ。自分に問いかけるだけでいい。
大事なのはこれだ:いなくなってから後悔するな。生きているうちに会わずに、死んでから恋しがる——それが一番無意味なことだ。




