山犬の想い
あるメスの山犬が一匹、都の山におりました。
彼女は山の麓にある、小さな廃屋を住処として暮らしています。
さむい冬の夜、外は酷い吹雪の様でした。
「綱家様、この中で雪がやむのを待ちましょう」
体を縮こまらせ眠っていた山犬に聞こえたのは、人間たちの声。
「おい、そこの獣め!!」
そう言った人間は、刃物で山犬に切りつけます。
「やめないか!!きっとここはこの子の家なのだ。我々の方が叩きだされても文句は言えない」
綱家と呼ばれた人間は、優しい声で「少しばかり君の家で休ませておくれ、お礼に次来るときには食べ物と傷薬を持ってこよう」と言うのです。
山犬はあの人間を信用した訳ではありません。
しかし、もう眠る邪魔をしないようだったので許してあげることにしたのです。
「そろそろ止んだようです。ささ、綱家様はやく牛車にお乗りください。朧様が気を揉んでいらっやるでしょうから」
そう声を掛けられた綱家は、雪がやむと廃屋を出て行きました。
次の朝に廃屋の前で牛車が止まる音がします。
「約束通り薬と食べ物だ」そう言って綱家と呼ばれていた者が、山犬に声を掛けました。
山犬は耳をピクリとさせるだけで眠ったふり。
綱家は彼女の側にやって来て前足を触りました。
「お付きの者が悪いことをした」そう言って、刃物で切られた傷に薬を丁寧に塗るのです。
「さあ、これで傷はすぐ治るだろう」そういって、器に入れた食べ物も置いて牛車に乗って去っていったのです。
あの人間は優しかった。
そう思ったメスの山犬。また私に会いに来るだろうか。そんな風に思ったのです。
次の夜も寒さ厳しい中、牛車の音が聞こえました。
翌朝帰る牛車の音。
そんな日々が何日か続きました。
綱家と呼ばれた人間をもう一度、見てみたかった山犬はこっそり牛車を見つめていました。
しかし本人はなかなか出てきません。
降りる時に姿を見られるだろうと気づいた山犬は、牛車をこっそりと付けていきます。
大きくはない家に着いた牛車。
屋敷の中までこっそりついて行くと、着物よりも長い黒髪を持つ女性が柔らかな表情をした綱家を迎えていました。
私に話しかけた時の表情よりずっと優し気だった綱家。
どうしてあんなに違うのかしら。そんな風に山犬は思いながら自分の住む廃屋へと帰ってきました。
あの長い髪の人間になりたい。
そうすれば綱家のあの表情は私に向けてもらえるのだ。
そう気づいた山犬は、願いました。
「あの長い髪の人間になりたい」
そう思いながら眠りにつきました。
まだ暗い中、目が覚めてしまった山犬が見たもの。
それは綱家の柔らかな表情。
夢の中で、山犬はどうやらあの長い髪の人間になっていたようなのです。
綱家と夜を過ごし、彼が牛車に乗り帰っていく夜明け。
日が昇る前に彼を見送ると、またうとうとと眠くなり目が覚める頃には元の廃屋に。
その日以来、冬の間ずっと同様に山犬は夜を過ごしたのです。
夢の中で長い髪の人間として綱家を迎えようとしていたある日。
今ままで彼が付けていた香とはべつの激しい匂い。
まるでケシの臭いのようです。そしてモクモクと焚かれていく煙。
「ごほっ」むせると長い髪の人間だったはずが、山犬の姿へと戻りました
「やはりお前は朧様のフリをした獣か!?」
煙の中から出てきた人間たちから何とか逃げ出した山犬。
何が何だか分かりません。
あれは夢では無かったの。私が夜毎、綱家様のお側にいたの!?
考えを巡らせる山犬。そんな彼女を松明を持ち追い立てる人間たち。
住処である廃屋に傷だらけになりながらなんとか辿り着いた山犬。
廃屋には彼女だけしか知らないだろう地下への入り口があります。
山犬は地下へと逃げ込み、傷を癒すためにゆっくりと眠りにつきました。
ある朝、彼女は目を覚ましました。
とても長い時間、眠っていた気がします。
なんだか眠りについた地下と違う様子もします。
出口を探し、外に出ます。
どうやら山犬は本当に長時間、眠っていたらしく風景が全く違うのです。
なのに、感じました。綱家の臭いを。
そして山犬は綱家の臭いを辿る旅へと出かけました。




