第3話|出産
それからの日々は、静かに、だが確かに変わっていった。
初夏の風はやがて深まり、庭園の薔薇は盛りを過ぎる。
ある日、大きな木箱が公爵邸へと運び込まれた。
丁寧に封を解けば、柔らかな産着と、小さな銀の鈴。
差出人の名は、リリアーナの実家だった。
当主である母のアデリーヌの手紙は短い。
——無理をせず、どうか健やかに。
それだけで、十分だった。
どうやら、父のヴィクトルともそれなりにやっているらしい。
数日後、領地の屋敷から書簡が届いた。
隠居中の前公爵夫妻からである。
封蝋は変わらず重厚。
筆跡もまた、揺らぎのない端正なものだった。
“報せは受けた。双子とは、家にとって吉兆である”
簡潔な文面。
祝いの言葉も、過剰な感情もない。
続く一文。
“母体を第一とせよ。判断を誤るな”
それだけだった。
ディートリヒは黙って読み終え、ゆっくりと折りたたむ。
机へ置くその動作に、無駄はない。
だが、その夜。
彼はいつもより長く、リリアーナの腹部へ手を当てていた。
厳格な父からの書簡は、命令であり、同時に、認められた証でもあった。
屋敷の空気も変わる。
侍女たちは歩みをさらに静かにし、料理長は栄養価を細かく計算し直す。
廊下の絨毯は厚く敷き直され、階段には新たな手すりが設けられた。
誰も大袈裟には騒がない。
だが、屋敷全体が、二つの命を迎える準備を始めている。
夏が過ぎ、秋が訪れ――
秋が深まる頃には、リリアーナの腹部ははっきりと膨らみを帯びていた。
仕立て直されたドレスはゆったりと揺れ、歩みは自然とゆるやかになる。
庭園を散策する際、ディートリヒの手は必ず添えられていた。
「過保護ですわ」
「当然だ」
揺るがない。
夜は相変わらず静かだが、彼が深く眠ることはなかった。
彼女が寝返りを打てば目を覚まし、毛布を整え、腹部へ触れる。
確かめるように。
祈るように。
やがて、冬の気配が屋敷を包み始めた。
その朝は、妙に静かだった。
リリアーナは小さく息を止める。
「……ディートリヒ」
いつもと違う声音だった。
彼は即座に振り向く。
視線が重なった、その瞬間。空気が変わった。
「医師を呼べ」
低い声が廊下に響く。
それから屋敷全体が動いた。
湯が運ばれ、扉が閉ざされる。
ディートリヒは廊下に立ったまま、一歩も動かない。
時折、室内から押し殺した声が漏れる。
拳が白くなる。
“母体を第一とせよ。判断を誤るな”
父の文字が脳裏をよぎる。
だが、彼の選択はすでに決まっていた。
長い時間ののち――
産声が響く。
一つ。
そして――もう一つ。
静寂を切り裂くような、確かな生命の証。
医師が扉を開く。
「ご無事です。母子ともに」
その瞬間、ディートリヒは膝の力が抜けた。
冷徹と呼ばれた男は、初めて壁に手をついた。
「旦那様、どうぞ」
その後、リリアーナの処置が終わり、部屋へと呼ばれる。
ベッドには、まだ顔色は蒼白なままだが、リリアーナが微笑んでいた。
その隣に、小さなお包みが二つ並ぶ。
彼は言葉を失っていた。
「……四人、ですわね」
彼女の声はかすれている。
彼はゆっくりと頷く。
「よくやった」
それは命令でも評価でもなく本音。
そして――
小さな指が、彼の指を掴んだ。
どちらの子かも分からぬほど、あまりに小さな手。
だが、その力は確かだった。
ディートリヒは、初めて微笑んだ。




