第3話|ディートリヒの独占欲
先代公爵夫妻の帰還は、王都に静かな緊張をもたらした。
玄関ホールに立つその姿は、隠居の身とは思えぬ威厳を纏っている。
先代公爵の鋭い灰色の瞳は、年齢を重ねてもなお冷徹な光を失っていない。
その隣に立つ公爵夫人は穏やかに微笑んでいるが、柔らかな視線の奥には人の本質を見抜く静かな強さがあった。
応接室に通されると、先代公爵はゆっくりと椅子に腰を下ろす。
その動作ひとつで、場の空気が引き締まった。
「爵位分割構想については聞いている」
低く、よく通る声。
「家の力を分けることの意味は理解しているな」
「分割ではなく、整理です」
ディートリヒは迷いなく応じた。
「公爵位は長子へ集約。
ベルナール伯爵位は次子へ。
ただし本家との協定を明文化し、勢力の分断は起こさせません」
理路整然とした説明に、感情は混じらない。
「王家の裁可は?」
「得ます。すでに根回しは始めております。
公爵家の勢力拡張ではなく、家門安定のための制度整理であると説明済みです」
先代公爵の目がわずかに細められる。
「……先を読んでいるな」
「家を預かる者として当然です」
互いに一歩も退かぬ視線が交わる。
その張り詰めた空気を和らげるように、公爵夫人が口を開いた。
「リリアーナ嬢。
あなたは、この家の重みを理解していて?」
「はい」
背筋を伸ばし、まっすぐに応える。
「ディートリヒ様の隣に立つと決めました。
その責務から逃げるつもりはございません」
室内に、わずかな静寂が落ちた。
やがて先代公爵が立ち上がる。
「……見極めさせてもらおう」
拒絶でも承認でもない。
試すという宣言だけを残し、夫妻は退出した。
扉が閉まると、張り詰めていた空気がようやく緩む。
ディートリヒは変わらぬ表情のまま言った。
「想定内だ」
その声音は冷静だったが、机に置かれた指先にはわずかに力がこもっている。
やがて夜が訪れる。
私室に戻ると、昼間の緊張は静かな闇に溶けていた。
扉が閉まった瞬間、リリアーナの手首が引き寄せられる。
背が壁に触れ、距離が一気に縮まった。
「……父の前で、少しも揺れなかったな」
低く、熱を帯びた声。
「揺れません」
「強いな」
彼の指が顎に触れ、顔を上げさせる。
「だが覚えておけ。
誰に何を言われようと、お前を手放す気はない」
瞳が鋭く光る。
「父でも、王でもだ」
息が触れ合うほどの距離。
「私は当主だ。守ると決めたものは、守り抜く」
それは独占にも似た言葉だった。
だが同時に、揺るがぬ覚悟でもある。
その強さに包まれながら、リリアーナの胸の奥には小さな波紋が広がっていた。
彼の覚悟は重い。
あまりにも重い。
そのすべてを受け止められるのか――
答えの出ない問いが、静かに芽生えていた。




