第1話|公爵家との政治調整
王都、シュヴァイン公爵家の会議室。
高窓から差し込む冬の光が、磨き上げられた長卓の天板を淡く照らしていた。壁に並ぶ歴代当主の肖像画が、静かにこの場を見下ろしている。
重厚な扉が閉じられる。
それだけで、室内の空気は張り詰めた。
楕円形の長卓を囲むのは、公爵家の中枢を担う重鎮たち。
財務責任者、軍務長、家門顧問――いずれも長年シュヴァイン家を支えてきた者たちだ。
その上座に、ディートリヒ。
黒の正装を隙なく纏い、椅子に深く腰掛けるだけで場を制圧していた。
言葉を発さずとも、この場の決定権が彼にあることは明白だった。
そして、その隣にリリアーナが座る。
補佐席ではない。当主の横。
彼女は淡い蒼色のドレスを身にまとっていた。
過度な装飾はないが、上質な絹が光を受けて柔らかく艶めく。
袖口と襟元には銀糸の刺繍が施され、控えめながらも確かな格を示していた。
栗色の髪は高く結い上げられ、首筋をすっきりと見せている。
揺れる小さな真珠の耳飾りが、呼吸に合わせてかすかに光った。
伯爵家の令嬢としてではない。
公爵家の隣に立つ者としての装い。
視線が集まる。
値踏みするような、静かな圧力。
「本日は、今後の家門運営について提案がある」
ディートリヒの低い声が響く。
それだけで、室内の緊張はさらに強まった。
リリアーナはゆっくりと立ち上がる。
「恐れながら、申し上げます」
視線を受け止め、真っ直ぐ前を向いた。
「将来、我らに子が授かった暁には、シュヴァイン公爵位は長子へ。
そしてベルナールの伯爵位を、次子へと分け与えることを提案いたします」
ざわめきが小さく広がる。
爵位の分割。
大胆であり、同時に慎重さを要する案だった。
「後継を明確にし、兄弟間の不和を未然に防ぐ制度を、あらかじめ整えておくことが肝要と存じます」
声は静かだが、揺るぎない。
理想ではない。設計だ。
重鎮の一人が口を開く。
「伯爵位の扱いには王家の裁可が必要となりましょう。
容易ではありますまい」
正論だった。
場が静まる。
「彼女の案は、私が承認している」
低く、明確な声。
それは擁護ではない。
公爵としての責任表明だった。
「王家との折衝は、私が行う」
静かな宣言。
その一言で、議論の軸は定まった。
異を唱えることは、シュヴァイン公爵の判断を疑うことに等しい。
やがて最年長の顧問がゆっくりと頷いた。
「……理にかなっております」
他の者たちも次々に同意を示す。
空気が変わった。
受容の証だった。
リリアーナは静かに一礼する。
「ありがとうございます」
席に着いた彼女の手が、わずかに震えていることに気付いたのは隣の男だけだった。
卓の下。
そっと、温かな指が触れる。
驚いて視線を上げると、ディートリヒは前を向いたまま、低く囁いた。
「よくやった、リリアーナ」
公の場では決して見せない、私的な声音。
胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
まだ正式な婚姻は結んでいない。
だが――
彼の隣に立ち、共に家を背負う覚悟は、すでに同じだった。
リリアーナは、そっと指を握り返した。




