第3話|隣に立つ覚悟
燭台の炎が、ふっと長く伸びた。
胸元の石が脈打つ。
一度。
そして、もう一度。
荒れ狂う光ではない。
だが確かに、何かに応えるように震えた。
室内の空気が、わずかに張り詰める。
リリアーナは息を詰めた。
鼓動が石と重なる。
胸の奥から、熱がじわりと広がる。
――逃げられない。
それは恐怖ではなく、理解だった。
身体が揺らいだ、その瞬間。
背後から伸びた手が、倒れないよう自然と添えられる。
抱き寄せたりはせず、ただ、守るように優しく支えている。
「……大丈夫か?」
低く、静かな声。
その落ち着きが、波立ちかけた心を鎮める。
「ええ……少し、驚いただけです」
呼吸を整え、まっすぐ体制を起こす。
彼はそれを確認すると、静かに手を離した。
だが、そっとその手を取る。
意思を確認するように。
その様子を見届け、アデリーヌが穏やかに口を開いた。
「……二人で、話しなさい」
娘を見る目は穏やかで、優しい。
それはベルナール伯爵としてではなく、母としての思い。
アデリーヌが部屋を後にし、扉が閉まる。
静かな部屋に、二人だけの時間が流れる。
沈黙は不快ではない。
リリアーナは胸元に触れる。
石はまだ温かい。
「私は……守られるだけでは、いられません」
言葉にして初めて、自分の本心を知る。
ディートリヒは静かに見つめる。
ただ、リリアーナの意思を尊重するように待っている。
「覚醒すれば、伯爵家の裏は動く」
淡々と告げる。
「お前は標的になる」
現実、飾らない未来。
「それでも進むのか?」
試しているわけでもなく、
ただ再確認をするように。
婚約者として、未来を共にする相手としてーー
真っ直ぐに見つめるディートリヒから、リリアーナは目を逸らさない。
目の前にいる冷徹と呼ばれる、国の要である男。
今はただ、誠実に自分に接してくれている。
「はい」
静かに告げる。
迷いはなかった。
「……リリアーナ」
低く、確かな響きで、自分の名を呼ばれる。
その声に、胸が小さく跳ねる。
「俺と共に歩み、添い遂げる覚悟はあるか?」
政略でもなく、打算でもない。
優しく並ぶ覚悟を問う声。
怖くないわけではない。
リリアーナは息を整える。
だが――
退きたくはない。
彼が私を、母を守ってくれたように。
「あります」
静かに告げる。
「私は、あなたと共に歩みます」
大きな理想を語るつもりはない。
けれどーー
彼の隣に座るということが、公爵家の門をくぐることが、やがて宰相の妻という立場へと繋がっていることを――
理解したうえでの言葉だった。
その覚悟に応えるように、石がやわらかく光る。
荒れず、ただ淡く。
ほんの一瞬、ディートリヒの瞳がわずかに揺れた。
「……ならば」
声は低く、変わらない。
ゆっくりと距離が縮まる。
鼓動が早鐘を打つ。
額に、触れるか触れないほどの距離で、唇がそっと落とされる。
誓いというには静かで、
甘さに溺れぬ、抑えた仕草。
すぐに離れた。
「隣は空けておく」
拒絶ではない。
だが甘やかしでもない。
並ぶことを許す、静かな了承。
その重みを、リリアーナは受け止めた。
その時――
廊下の向こうで、かすかな物音がした。
金属が触れ合う、わずかな音。
二人とも同時に視線を向ける。
だがすぐに静まり返った。
屋敷では珍しくない音。
ディートリヒの視線が、ほんのわずかに鋭くなる。
だがすぐに、静かな色へ戻った。
「公爵様、私は逃げません」
先ほどの言葉を、もう一度胸の内でなぞるように。
誰かに示すためではない。
自分自身へ刻むための誓い。
石が穏やかに光を宿す。
リリアーナはゆっくりと息を吐いた。
これは恋に浮かれた決意ではない。
守られる安堵でもない。
――後継者としての覚悟。
正統なるベルナールの血を継ぐ者として、家を背負い、母を支え、そしてシュヴァイン公爵家で彼と共に歩むと決めた。
力はまだ未熟。
守られる立場も変わらない。
逃げずに進むと選んだ。
嵐は、まだ遠い。
だが確実に近づいている。
それでも今は――
一人の少女が、伯爵家の後継者として、覚悟を胸に刻んだ夜だった。




