67.★現実感のない光景
(※他視点/ジーク)
なにやらほのぼのと話をしているノアの後ろ姿を、ジークはぼんやりと眺めた。
ノアの前には、ルーチェの、否『泥木の王』の姿。
『泥木の王』は、天井まで届こうかという巨体と、足元に広がる無数の木の根が特徴的なボスモンスターだ。
大人でも抱えきれないほど巨大で重い両腕。触手のように蠢く根。中心に据えられた人型は歪で、目鼻もなく、胴体にぽかりと洞のような口がある。まさにボスと呼ぶに相応しい醜悪な化け物――らしい。
実際に見たことがないジークでも詳細に語れるほどには、その姿は有名だった。
だがルーチェが変じたそれは、確かに大きいものの話に聞くほど巨大ではない。見上げる高さではあるが、それだけだ。
一方、周辺の土を巻き込んで肥大化した足元には、植物の根が生き物のようにうぞうぞと蠢いている。無秩序なそれは醜悪と言ってもいいかもしれないが。
視線を上げた先で、本体といってもいい人型がノアと和気藹々と会話している様子を見ていると、危機感も嫌悪感もどこかにいってしまう。あまりの温度差に風邪を引きそうだ。
平和だなあ、という感想すら浮かんで、視界で揺らめく根に気を引き締め直した。
目の前の光景に現実感がない。
そもそもルーチェの造形が綺麗すぎる。「歪な人型」とは? と首を傾げたくなるほど、髪も目も、肌や細かな部分まで完璧な人型だ。むしろ完璧すぎて別方向に人間離れしてしまっているし、『泥木の王』らしく変化しているだろう身体の大半がローブで隠されているため、余計にらしさが薄れている。
小山に半身だけ埋まってしまったと言われたら、そのまま納得してしまいそうだ。
とはいえ、いまいち恐怖や嫌悪が浮かばないのは、ルーチェ自身の「手加減」にもよるのだろうとは思う。
あの時、ジークが『王の間』で見た姿はもう少し違った。
姿自体というより、全体的な印象――威圧感のようなものが。
うねる木の根が縦横無尽に地面を走り、『泥木の王』らしき相手の木の根と手足を容赦なく潰していた。ルーチェ自身は今と変わらず、まるで土の山に鎮座しているような様相ではあったが、魔法を使い出してからは更に攻撃は苛烈になった。
燃えさかる人型を、虫でも見るように見下ろす冷徹な横顔。
炎に照らされたそれに、背中が粟立った。
それまでは恐怖よりも混乱が勝っていたのだ。信じられない光景の連続だったし、何より突っ込みそうなノアを抑えることに気を取られていた。
だが、この時ようやく実感した。
ルーチェがボスを圧倒している。
生まれたてとはいえ、最近まで少なくない犠牲を出していた『泥木の王』。それをまるで赤子の手を捻るようにあっさりと倒してしまったルーチェの強さに、ジークは恐怖した。
今、目の前で正体を露わにしているルーチェの姿は、その時に比べれば随分と大人しめだ。
ローブの袖から覗く両腕は常と変わらないし、前述のように上半身の大半が隠れている。露出している足元にしたところで、根の動きはひどく緩慢だ。
極めつけは、ノアを見遣るその表情。
愛しいといわんばかりの柔らかな目で、穏やかに笑う天使のごとき美貌。これが魔物、それも生きていないダンジョンモンスターだと、誰が信じようか。
まさにモンスターらしい姿をみせつけられている最中のジークですら、この表情を前に恐怖を抱くのは難しい。知らない相手ならまだしも、ジークはルーチェを知りすぎている。
あれが本心からの表情なのだと理解できてしまう程度には。
ルーチェは間違いなく、先代の『泥木の王』だ。
それがなぜ『王の間』から出て、あまつさえノアの従魔なんてことになっているのか、経緯を知っている筈のジークにも意味がわからない。
だがそれでも、ルーチェがノアを害する可能性は今のところ限りなく低いだろう。恐らく、ジーク達に対してもそれなりに。
こうしてわざわざセーフティエリアを出てから姿を変えたのも、こちらの恐怖心に配慮してのことだと理解できる。
セーフティエリアには、魔物の攻撃を弾く機能があるのだから。
まあ、既にダンジョンモンスターから除外されているらしいルーチェに、どれだけ効果があるかは不明だが。
「本人はなんか曖昧なこといってるわね……」
「お話も逸らされちゃってますねぇ~」
「誤魔化したいのかホントに自分でもわからないのか……」
ノアの追求をのらりくらりと躱すルーチェに、アリシアとエレンが呆れたように言う。
魔物の思考回路はジークには想像がつかない。だが、ルーチェが考えていそうなことはなんとなく予想が付く。
ルーチェはきっと、ノアを怖がらせたくないのだ。
だから曖昧なことを言って、煙に撒こうとしている。ジークが『泥木の王』を「恐ろしい化け物」だとノアに教えたから。正体が知られたら、ノアが怯えるかもしれないと危惧しているのだろう。
ノアの様子を見る限り、杞憂でしかなさそうだが。
「そういや、エレン。あいつを鑑定できるか?」
鑑定板を所持しているエレンに声をかけると、エレンはぱちりと瞬いた。
「以前鑑定しませんでしたっけ~? 空欄ばっかりでしたけど~」
「あん時はアレだろ、擬態ってやつ? 今のあいつはたぶんほぼ元の姿だろうし……今なら出るかなって」
「確かに~」
ルーチェは泥人形のボス個体なのだし、同系統のモンスターに擬態ができてもおかしくない。
そもそも泥人形は擬態するモンスターに分類されているのだ。擬態にかけては他のモンスターよりも上手い筈である。たぶん。
納得したらしいエレンが、鑑定板を取り出してそっとルーチェに向けた。
「んー……そうですね~、お名前があるだけです~種族とかは空欄のままです~」
「え、『泥木の王』じゃねぇの?」
「特に記載されてませんね~」
「まじか……」
結果は以前と変わりなかった。つまり、相変わらず正体不明の特殊個体ということだ。
だからあんなに強いのか? と首を傾げたジークだったが、ギルドマスターへの報告案件が増えたことに思い至り頭を抱える。こんなもの何と報告すればいいのか。
「ジーク」
いっそ聞かれるまで黙っておくか、と考え始めたジークに、セーフティエリアの外からルーチェが声を掛けてきた。
「さっき言ってたコア、取り出したけれど」
「ああ、『泥木の王』の」
「そう。ノアに渡したから」
頷いたルーチェの側で、ノアが「これだよ」と元気よく掲げる。
その手の中に、琥珀色に輝く石が握られている。大人の手のひらくらいの大きさの、透明度の高い石だ。
「えっ、これコアか? 泥人形のヤツと全然違うな」
「わぁ! 綺麗ね!」
「琥珀……金色ですかね~?」
大きさも色も、ごく稀に見る泥人形のコアとは全く違った。
初めてボスの落としたコアを見たが、これは確かに高く売れそうだと思う。欲しくはないが。
「ボスのコアは全部その色だよ」
何故か得意げなノアの周囲でわいわい騒いでいたら、頭上からルーチェの説明が降ってきた。
「へぇボスの……まて、他のボスもこの色? この先の……下層のボスもか?」
「? うん、そうだけど……あ~、たぶん?」
首を傾げて肯定したあと、「まずい」とでも思ったのか、慌てたように言葉を濁すルーチェ。
下層のボスが『コア』を持つことなどジークは知らなかった。当然、色など知るはずもない。
そしてほぼ間違いなく、大多数の冒険者も知らない事実である。
そもそも下層のボスの討伐記録はないのだ。それどころか、能力の殆どが不明である。
過去に冒険者が挑戦した記録はあるものの、生存者は『泥木の王』以上に少なく、もたらされた情報も微々たるものだ。冒険者が遺した鑑定版だけが唯一の情報源といってもいい。
外見についても「竜のような姿をしていた」という不確かな噂があるだけだった。
だがルーチェの言葉が事実なら。
下層の――否、もしかしたら未確認のものも含め、このダンジョンのすべてのボスが、泥人形の系譜に連なるモンスターである可能性が高くなる。
何しろ、今のところ『コア』を持つのは泥人形と『泥木の王』だけなのだ。
「下層のことも知ってんだな。……出てくるモンスターの種類は変わるのか? 強いのばっかなんだろうけど」
ボスの情報は気になったが、ルーチェが話したくなさそうだったので話を逸らす。
元々、ボスの討伐には興味がない。あくまで一般的な、強いていうなら野次馬的な興味しかないので、ルーチェに詰め寄ってまで聞き出そうとは思わなかった。それに、知ってしまったらまた余計な報告案件が増えてしまう。
「……そうだね、こういう動物みたいなヤツはいなくなるかな」
記憶を辿る素振りで視線を逸らしたルーチェが、足元の根を素早く動かす。
短い悲鳴と共に串刺しにされていたのは、土竜鼠だ。
「あとここよりは強いとは思うけど……とりあえず元の恰好に戻すね。思ったより早く補充されてきたみたいだし」
溜め息をつくルーチェが、するすると縮んでいく。足元の土が崩れ、周囲の地面と同化する。一部の根は周囲を警戒するように蠢いていたが、ルーチェの両足がヒトらしい形を取り戻す頃にはいつの間にか消えていた。
「補充?」
「ん? ああ……さっき、このあたりの雑魚を全部潰したんだ。補充分、というか、新しいのがまた出てくるまで時間稼ぎができると思って。まああんまり稼げなかったみたいだけど」
「全部って……」
「びっくりするぐらい襲撃なかったのって、まさか」
「追撃は面倒でしょう?」
余計なお世話だったかな、と眉を下げながらルーチェが言う。
撤退時の様子とノアの言葉で薄々感じていたが、本人から暴露されるとそれはそれで頭が痛い。
ジークたちへのモンスターの襲撃を減らすために、道中のモンスターを間引いていたようだ。あの『王の間』付近からこの辺りまで、先ほど見た触手のような根を自在に操っていたということになる。
改めてとんでもないなとジークは嘆息する。
「あ、安心して、魔石はちゃんと回収しておいたよ」
しかも何を誤解したのか、いくつかの魔石を取り出してきた。大きさからいって狼や鼠のものだろう。
「そうじゃねぇよ。いや、有り難いけども。そこまですることないんだっつーの、俺らだって戦えるんだからさ」
「? 知ってるよ。ジークたちはとても強いよね」
「……いや、うーん、お前にそれ言われてもなあ」
鼠はともかく狼まで「雑魚」と言い切ってしまう相手に、「強い」と言われてもしょっぱい気持ちになるだけである。そもそもモンスターであるルーチェに、人間的な感情の機微を説いても無意味だとわかってはいるのだが。
「俺のわがままだよ。みんなに怪我してほしくなくて、勝手にしただけ。だからこれはちゃんと持って帰ってね。俺はいらないし」
ジークのてのひらにゴロゴロと魔石を落として、ルーチェがにこりと笑った。
こいつのこういうところが怖いな、とジークは思う。
ひとではない癖に、時々妙に「人間くさい」のだ。
今だって、こちらを気遣うような態度をみせる。これがルーチェの本心か、それとも学習した結果をただ反映させてるだけなのか、ジークには判断がつかない。
「……ともかく、ありがとな。おかげで大した怪我もしなかったし。あと魔石も遠慮なく貰うぞ。ほんとはお前のモンなのはわかってるけどな! ぶっちゃけ喉から手が出るほどほしいから」
「うん。ジークたちが貰って。俺たちはいらないもの、ね?」
「うん、要らない。今日はね、みんなのお手伝いしようねってルーチェとお話してたの」
「あーーー、ノアってばすごくいい子!」
「お二人ともありがとうございます~」
話を振られたノアがにこにこと無邪気に笑い、アリシアが感極まって抱きついた。ぐりぐりと力強く頭を撫でられている。
その光景を、エレンとルーチェが微笑ましげに眺めている。
やっぱり平和だな、と内心呟いて、ジークはそっと息を吐いた。
ノアは、その境遇さえ違えば、神童ともてはやされてもおかしくない子どもだ。
あっさりと「魔術士」と名乗っているが、常識的に考えてそう簡単になれるものではない。まあ、冒険者の「魔術士」は単なる自己申告なので「なんちゃって魔術士」もそこそこいるのだが、それはそれとして。
ノアの才能は、間違いなく本物だ。
本来は学院に通ってようやく使えるようになるところを、エレンの指導があるとはいえ、独学で実戦に応用できるところまで昇華させている。生来の適性がよほど高かったのだろうと思うが、これを神童と言わずして何と言えば良いのか。
貴族などの裕福な家庭に生まれていれば、魔術士のエリートコースを何の障害もなく進めていけただろうに。
現状では、ノアの選べる道はほぼ一本。
規格外の従魔まで付属しているのだから、冒険者として名を挙げるしかない。ルーチェを手放せば多少選択肢は増えるかもしれないが、孤児のノアに選べる道などたかが知れている。それくらいなら、バカみたいに強い従魔をうまく使ったほうがずっとマシだろう。
第一、ノア自身がルーチェを手放さないに違いない。あれだけ懐いているのだから。
ルーチェの方もノアを可愛がっている様子だし、少なくとも命だけは守るはずだ。恐らく、従魔術がそういう風に働いている――と、思う。
だからジークは、それ以外のところでノアの手助けをしてやらねばと思っていた。
ノアには、アンジェリカというきちんとした保護者がいるのはわかっている。ジークの半端な手伝いなど邪魔かもしれないが、少なくとも、こうやって一緒に探索することはできる。何かあったときに、連れ帰ることくらいはできるかもしれない。
まあ、冒険者活動中は大抵ルーチェが一緒だから無駄な気遣いかも知れないが。
せめてノアが成人するまでは、保証人としてきちんとサポートしてやろうと思う。
きっとアリシアとエレンも同じだろう。
なんだかんだでノアのことは可愛いし、ちょっとおかしな従魔にも親しみくらいはあるのだから。




