66.名前
「ルーチェ!」
明るく弾んだ声が響いて、はたと気付く。
とりとめのないことを考えているうちに、いつのまにか安全地帯の近くにきていたらしい。
青い杭の向こうで、ノアがにこにこで手を振っている。今にもセーフティエリアから飛び出してきそうな勢いだ。
その光景に、今更ながら不安になった。俺はあの杭を通過できるのだろうか。
これまでは当たり前に「通れるもの」と思っていたが、どうやらダンジョンにはまだ『泥木の王』と認識されているようだし、俺も自分がダンジョンモンスターだと自覚してしまっている。
あの杭にダンジョンモンスターだと認識されて弾かれたりしないだろうか。
「おー、やっと来たか。怪我なさそうだな」
「お疲れー! あいつら追い払っててくれたんだってね。おかげで助かったわ!」
「ありがとうございます~」
にこやかな『炎の剣』の様子に、ひとまず怯えられてはいないようだと安堵する。
内心びくびくしながら青く光る杭に近づいた。だがこれといった反発はなく、するりと通過できてしまう。
ダンジョンや俺自身の認識は関係ないらしい。あくまでもこの杭の判定によるもののようだ。ダンジョンとは無関係な魔物として認識されているのだろうか。
思わず杭をみつめて首を捻っていると、駆け寄ってきたノアが俺の手を掴んだ。
「ルーチェはこっち! きて! 僕の横!」
はやくはやくと手を引かれる。ぶんぶんと振られるノアの尻尾が見えるようだ。おかしいな、ノアは人間のはずなのだが。
ノアの誘導に従ってジークたちの側に近づく。
セーフティエリアの中は、人数分のカンテラに杭の光も加わって、それなりに明るい。それは人の目であっても、表情や服の色を判別するには十分なものだ。
「あれ、裸足? ブーツどうしたの?」
なので当然、俺の不自然な着こなしもバレる。
一番わかりやすい俺の足元に気付いたアリシアが、不思議そうに首を傾げた。
さすがに細切れになりましたとも言えず、視線を泳がせる。なんなら下の服も細切れになっているし、さっきの戦闘で上のほうもだいぶダメになった。具体的には両袖が消滅している。
見窄らしいというか見苦しい自覚があるので、ローブの前をきっちりと閉じてなんとか体裁を整えているが、足元ばかりはどうにもならない。
元々は服なんて着ない泥人形だ。別に隠す必要もないのだけれど、それらしい人の形をとっている現状、裸はちょっとどうかと思ってしまう。『俺』の記憶がある弊害かもしれない。
「あー、そういや足がどうとか言ってたな……。一応聞くが、予備は持ってるか?」
「……持ってない」
「ノアは?」
「ルーチェの靴? ううん、持ってない」
「うん、じゃあ戦闘でぶっ壊れたってことにしよう。それっぽく布とか巻いとけ。あとは……どのくらいダメになってる?」
「下はこのあたりまで。上は……こんな感じ」
手で腿のあたりを示し、ローブの袖を軽くめくってシャツの袖が消失していることを証明する。
「ダンジョン出たら買いにいかなきゃだな」
ジークの言葉に無言で頷いておく。ローブ以外を新調せねばどうにもならない。幸い、防具仕様でない服ならば比較的安価で手に入るので、所持金でどうにかなりそうだ。
「それ、ボスと戦ったせい?」
疑問符を浮かべながらアリシアが言う。そういえばアリシアたちは少し離れた場所にいた。この様子だと『王の間』で何が起きていたかは気付かなかったようだ。
「ジーク、詳しく話してくれるのよね?」
「私も聞きたいです~」
「や、まあ……ってか、そこに当事者いるだろ。俺ただ見てただけだし」
詰め寄られたジークが面倒そうに視線を寄越してくるのに、首を振った。
「やっと少し喋れるようになっただけだから」
説明は難しいなあと素知らぬふりで笑っておく。
もちろん、『俺』の記憶があるおかげで会話などの言語に問題はない。説明くらいは容易いのだが「倒した」以外に言いようがないのだ。中身に心当たりがあったので、ちょっとした罪滅ぼしで燃やしておきました、なんて言うわけにもいかないし。
「お前……そんだけ喋っといて……」
ジークに恨めしげに睨まれたが、俺はノアの椅子になっているので忙しい。
僕の横、と言われて横に座った途端に、立ち上がったノアが膝に乗ってきたのだ。横とは? と内心首を傾げたが、俺の膝の上に座るノアがご機嫌なのでまあいいかと思い直した。
最近は膝の上に乗ってくることもあまりなくなっていた。そろそろ嫌がる年頃かなと思っていたのだが、さきほどモンスターの大群に追われたこともあって精神的に不安定になっているのかもしれない。俺の膝くらいで落ち着くならいくらでも提供する所存である。
2人に詰め寄られて、ジークが渋々と「見えた範囲」でのことを話している。俺はそれを聞くともなしに聞きながら、思ったより見えていなかったことにほっとした。
「はー、泥人形って凄いのね」
「ルーチェさんお強いんですねぇ」
「……ま、そんなとこだ。そういや、何か拾ったか? コアみたいなやつ」
話の締めくくりに問いかけられたので頷いた。大きめの魔石と、コアならば拾っている。
「黄色のコアなら」
取りだそうとして躊躇った。
あの時、コアと魔石は無意識に『口』に収納した気がする。出せなくはないが、服をめくって『口』を露出させるのは気が引けた。さらにそこから取り出すとなると、あまりにも見た目が悪すぎる。色々な意味で。
「……拾ったけれど、後でもいい? ちょっと出しにくいところに」
「いやいや、拾ってんならいい。ボスの残すやつは暫く消えねえから、放置してて他のやつに取られたら面倒だなって」
言われて、かつての知識を引っ張り出す。『俺』のものではなく、俺自身が記憶しているダンジョンの情報のほうだ。
確か、ボス個体は他のモンスターより魔力が多いのだったか。作成時に使用された『素材』も多種多様で、それゆえに分解時に時間がかかる。一般的なモンスターが数分程度で消滅するのに対し、ボス個体は数時間から場合によっては数日かかるようだ。俺が倒した『泥木の王』も、燃やしたりしなければもう少し形を保っていたかもしれない。
「……これは好奇心で聞くんだが」
こちらをじっと見ていたジークが、ぽつりと零す。
「お前が戦うとこは何度もみてきたが……『王の間』でのアレ、どうなってたんだ? 暗くてあんまよく見えなかったけど、ボスの頭掴んでなかったか?」
今の身長じゃ届かねぇだろ、とやはりあまり見えてなかったらしいジークの言葉に、悩む。
見せたら早いのはわかっているが、我ながら化け物でしかない。ジークたちを怯えさせるのは本意ではないし、何よりノアが。
「なあに?」
俺の視線を感じたのだろう。ノアが不思議そうに首を傾げて、俺を仰ぐ。
怖がるだろうか。泥人形の姿は怖くない様子だったけれど、『泥木の王』はそれより醜悪だ。
「……捕まえてはいたかな。ここで姿を変えることもできるけど……見る? 無理にはすすめないけど。アリシアとエレンも、どうする?」
ジークに見せるとなると必然的に2人も見ることになる。
『泥木の王』の外見が不評、もとい嫌悪されているのは知っている。その理由にも心当たりはあるし、客観的に見てアレな自覚はあるので、積極的に見せたいとは思っていない。単純に見せたほうが早いからというだけの提案だ。
彼らが少しでも嫌がる素振りをみせれば、当然、言葉で説明するつもりである。
「……俺は見たいかな。怖い物みたさで」
「え? 何、何の話?」
「コアですか~?」
「ルーチェ、変身するの?」
アリシアとエレンは案の定なんの話かわかっていなかった。
理解しているらしいノアは、俺にキラキラとした目を向けている。うん、ノアについては悩む必要なかったかもしれない。
「まあ、大体そんなところ。泥人形の姿ではあるけど……戦うための恰好になると思ってくれたらわかりやすいかな。……見たい?」
「え、見たい」
「そうですね~参考までに……」
「見たい!!」
再度伺いを立ててみたら、アリシアとエレンからも頷きが返ってきた。ノアはいわずもがな。
言質が取れてしまったので、膝からノアを下ろして立ち上がる。
ここで変化してもいいのだが、仮にもセーフティエリア。誰かが来たら面倒だし、『泥木の王』状態の俺に彼らが恐怖を抱かない筈もないため、セーフティエリアから一歩外に出る。杭の光もカンテラの光も普通に届く位置だ。
足を崩して地面と融合させ、魔力を流して周囲の地下を支配下に。
目を閉じて視界を切り替え、後は本来の『泥木の王』の姿に戻すだけだ。ただここではあの巨体は邪魔だし、これ以上ローブまで破くわけにもいかないので両腕含め上半身はそのまま、高さも一般的な泥人形よりやや大きめ程度に調節しておく。
本来の『泥木の王』というよりは、あのなりかけに近い姿だ。
こんなものかな、と納得できたあたりで、通常の視界に戻した。
目を開き、高い位置からセーフティエリアを見下ろす。
「……こんな感じで、戦ったんだけど」
わかる? と声を掛けると、真っ先にノアが反応した。
「かっこいい!」
カッコイイ部類に入るらしい。あまりのブレなさに、ちょっと脱力してしまった。もう少し恐怖を感じてくれてもいいのだけれど。怖がられたいわけではないが、恐怖心、もとい危機感が仕事をしていなさそうで心配になる。
「おお……なんつーか、間近でみると迫力あるな。手はそのままか?」
「ええと、こんな風にもしてはいたけど、状況に応じて?」
足元でうねうねと蠢く木の根を示して答えると、ジークが引きつった顔になる。
実際はもう一対腕を増やして対応していたが、それは言わずともいいだろう。そこまで再現すると化け物度が上がってしまう。
「さすが『泥木の王』だな。まさか見られるとは思わなかったけど」
やはり知っていたらしい。情報源はギルドマスターだろう。安全や警戒のためとわかるので別に思う所はないが、それを知った上でここまで良くしてくれていたのだと思うと、ジークには感謝しかない。というか人が好すぎでは。
「え、『泥木の王』って……どういうこと、ジーク」
「あっやべ」
「『泥木の王』はさっき倒したっておっしゃってませんでしたか~?」
ぽかんとこちらを見上げていた2人が、顔色を変えて再びジークに詰め寄った。
どうやら俺が『泥木の王』らしいという情報は、仲間内で共有されていなかったようだ。
その前に肝心の『泥木の王』がここにいるのだけれど、そこは放置でいいのだろうか。まあ俺は攻撃の意思ゼロだけれど。
「? ルーチェ、王さまなの?」
ノアが丸い目で問いかけてくるのに、少しだけ躊躇う。
怖がる……いや怖がらないなこれは。幾度目かの自問自答の果てに、それでも僅かな悪あがきをしておく。怖がらないだろうとわかっていても、ノアのこととなるとどうしても臆病になってしまうのだ。
「さあ……『王の間』にいたことはあるけれど、『泥木の王』かどうか」
「違うの?」
「それはヒトがつけた呼び名だからね」
むちゃくちゃなこじつけだ。
俺は紛れもない『泥木の王』だし、ダンジョンはまだ俺を『泥木の王』認定していた。
だが、実態として俺の扱いがどうなっているのかよくわからない。本来は『王の間』から出られない設定の俺がこれだけ自由に動いているのだ。セーフティエリアにも普通に出入りできるし、階層も移動できればダンジョンの外にも出ている。
そうなると『王の間』に常駐するボス個体という定義からは外れてしまうのだが、ダンジョンは俺をどうするつもりなのか。
まぁ、勝手にどうこうされるつもりなどないのだが。
「? ルーチェは、本当の名前があるの?」
よくわからなかったらしいノアに問いかけられて、笑みを浮かべる。
それらしいものがあるかないかで言ったら、一応ある。ダンジョンが割り振った管理のための記号が。だが、俺は『名前』だと認識していない。
「俺はルーチェだよ。ノアが付けてくれたでしょ?」
ダンジョンに付けられた記号も『俺』の名も、俺のものじゃない。
俺の名は『ルーチェ』だけだ。
ノアの従魔の、ルーチェ。それが俺だから。




