65.従魔だから
ちくりと胸が痛む。
ノアが強くなろうと急ぐのは、俺のせいでもある。俺がもっと普通の魔物だったら、或いは、そもそも俺がノアの側にいなければ、ノアはもっと楽に生きられるはずだった。
俺はきっと、ノアから離れたほうがいい。
けれど、こうして必要とされると。
――排除セヨ
不意に視界が歪んだ。同時に、殴りつけるような強い『命令』が頭蓋に響く。
なんの捻りもない、機械的に繰り返されるだけのそれだが、強制力は『王の間』以上に強い。
収まったと思っていたのに、なぜ。
「……っ!」
ガンガンと内側から杭を打ち込まれるような『命令』に、ないはずの痛みすら感じて、意識が揺らぐ。
「っ! アリシア、エレン! 来るぞ!」
敵の接近を感知したらしいジークが、剣を構える。
注意を促されたふたりがそれぞれ戦闘準備に入ったところで、暗がりから幾つもの影が飛びかかってきた。
現れるのは蛇、鼠、狼……それら動物の姿を模したモンスターだ。
――排除セヨ
ダンジョンでひっきりなしの襲撃を受けるのは、単なる偶然ではない。
モンスターはダンジョンコアの『命令』によって動く。自らの判断で敵を追走したり、探したりはしない。次々と襲撃されるのならば、ほぼ間違いなくダンジョンコアに捕捉されている状況だ。
とはいえ、大抵は一過性のもの。ある程度の波を乗り越えれば、ダンジョンコアの監視は緩む。
だが、『標的』となると話は少し変わってくる。
ダンジョンコアが危険と判断した侵入者は、徹底的に襲撃される。周辺のモンスターだけでなく、階層すべてのモンスターを呼び集めるのだ。当然、階層の奥にいるような、強力なモンスターまで召集されてくる。
つまりはそれだけ強い『命令』が下されるのだ。――例えば、『泥木の王』すらも召集するような、強いものが。
「ひとまず戻る! アリシア、エレン、そこにいろ! いくぞノア!」
襲いかかってきた狼を斬り伏せながら、ジークがノアを顧みる。
この『王の間』から先は奥へ続く道だ。いつもならもう少し奥まで探索してから戻るのだが、俺が『王の間』で暴れたせいで時間を食ってしまったらしい。
ノアは杖を構え、襲ってきた小さなモンスターを幾つか燃やしたところだった。
ジークの言葉に頷いて、ぱっと俺を振り返る。
「ルーチェ! ……どうしたの?」
不思議そうに問われてはじめて、視界の半分が闇に覆われていることに気付いた。
頭に響く『命令』が煩くて、無意識に顔を覆っていたようだ。
「……なんでも、」
ない、と答える前に、再び響いた『命令』に頭蓋を殴りつけられ、思わず歯を食いしばる。
痛い。いや、痛くない。痛くないはず。
視界が揺れて、脳をかき混ぜられるような不快感があるだけだ。
ダンジョンコアが、急かしてくる。一向に消えない侵入者が邪魔で仕方ないのだろう。
侵入者は排除せねばならない。
『命令』に従うべきなのだと、わかっている。
俺はダンジョンモンスターで、『泥木の王』。
目の前の人間は、ダンジョンにとっての敵であり、滅ぼすべき相手。
いくら『俺』の記憶が混ざろうとも、俺は『俺』ではない。人間だった事実はないし、人間になることもできない。
冒険者――人間は、敵。
――ならば屠らねば。
「ノア! 急げ!」
次々と襲いかかるモンスターを斬り捨て、目の前の道を開きながらジークが叫ぶ。
声には余裕がない。これまでとは段違いの襲撃の波が来ているようだ。
ダンジョンが彼らを標的に定めているのだ。この『命令』が止まない限り、おかわりがくるのは確実。
ジーク同様にこちらにもモンスターが飛びかかってくるが、標的は俺ではなくノアだ。
別に俺を仲間と認識しているわけではない。最優先の『命令』に従った結果だ。倒すべきは『泥木の王』よりも、目の前の侵入者なのだから。
「で、でもルーチェが……っ!」
ノアが繰り出した火魔術の合間を縫って、その足元に鼠が走り寄る。
慌てて攻撃しようとするものの、照準が間に合わない。
ぐしゃり。
「っ」
すぐ目の前で潰れたモンスターに、ノアが軽く息を呑む。
地面から突き出した土の柱が、小さな身体を貫き、頭部から赤い花を咲かせる。
ぴくぴくと痙攣する四肢がまるで生きているように思わせるが、生き物と違い、モンスターに思考は存在しない。
ここにいる俺が『泥木の王』だということも、このあたりの地面が既に俺の支配下にあることも、想像もできなければ理解もできない。
だからこうして屠られた個体を見ても、回避行動を取ったりはしないのだ。
ダンジョンの床が抉れ、石畳を突き破って植物の根が走る。
ジークやアリシアたちに群がるモンスターが飛び出した根に薙ぎ払われ、絡め取られて地中に沈んでいく。根を避けたモンスターもまた、土の柱に貫かれてボトボトと地面に転がった。
排除しろというなら従ってやろう。
屠れというならば、いくらでも。――対象はモンスターに限るが。
「ノア」
呼びかけると、まんまるな緑の目が振り向いた。
咄嗟にその目から視線を逸らし、前方を示して言う。
「今のうちにジークのところへ。あと、伝えて。安全地帯までは俺がなんとかするからって」
「……ルーチェは?」
「今は動けない。……後から行くよ」
足元がすっかり地面と同化しているので、そう簡単に移動はできない。しようと思えば可能だけれど、それこそダンジョンを破壊する勢いになる。さすがにそれは色々と面倒だ。
「絶対だよ」
念を押してくるノアにおざなりに頷いて、早く行けと促す。
本当に急いで欲しい。でないと次のおかわりが来てしまう。『命令』は未だ脳裏で喚き続けているのだ。
ノアがジークに駆け寄り、何事かを話している。集中すれば聞き取れたかもしれないが、頭蓋の中で喚く『命令』に抵抗するのに必死で、そこまで意識を割けなかった。まあ伝言自体短いのでそこまで問題はないだろう。
ジークがこちらを一瞥したあと、ノアを連れてアリシアたちと合流する。
そのままてきぱきと走り出す背中を見送った。さすが経験豊富な冒険者だけあって、いざというときの判断は速くて迷いがない。彼らに腕をひかれるノアが、不安そうに俺をちらちらと振り返っていたが、敢えて気付かぬフリをする。
彼らの持つカンテラが揺れ、遠ざかる。
強い光が呑まれるように消えると、慣れた暗闇が一層暗くなったような気がした。
こうなると通常の視界はあまり役に立たない。軽く目を閉じて視界を切り替える。自身の魔力を周辺の地面に染みこませ、支配領域を広げていく。
『泥木の王』にとって、『王の間』は体内のようなものだ。
それはダンジョンからそう設定されているだけなのだが、自前でもできなくはない。
土を馴染ませるように、魔力を薄く広げ馴染ませていけば、最低限「感じる」ことはできる。
そして、その馴染ませる魔力が多ければ多いほど、掌握できる部分は増える。
今の俺ならばセーフティエリアまでの感知は容易いだろう。介入もまた、そうキツくはないはず。
その証拠に。
『……するくらい、何もでてこねぇ』
『ほんとね。行きより楽なのおかしいわよ』
『たまにちょっとでてくる程度ですものね~』
こうやってジークたちの会話が拾える。どうやら、うまくモンスターの波を捌けているようだ。
彼らの会話を拾う傍ら、おなじみの木の根と土の柱で道中の襲撃を捌いているので、そうでなくては困る。ちなみに数が多い場合は即席の落とし穴で埋めている。
ダンジョンは木の根も土も素直でやりやすい。なんの抵抗もなく、こちらに主導権を握らせてくれる。
『ノア、あいつはまだか?』
『わかんない……今は動けないって言ってたし』
『……もしかして、ルーチェの考えてることあまりわからない感じ?』
『うん……前みたいにはわかんない。おしゃべりできるようになったからかなあ』
おや、と思う。
そんなことになっていたとは知らなかった。これまで通り半分くらいは筒抜けな気持ちでいたのだが。
振り返れば確かに、俺が話せるようになったあたりからノアが質問してくることが増えたように思う。
話せなかった頃と比べて、認識のズレや勘違いなども増えていた気もする。
ただ、それでも不便だとは思っていなかった。口にしないことは伝わらないのが当然だというのが、『俺』の常識だったから。
何より、言葉で話すほうが楽だったというのもある。声帯のない俺がそんなことを思う筈はないので、これは完全に『俺』の感覚に引き摺られた結果だろう。
もしかしたら、思考の筒抜けは従魔術のせいではなかったのかもしれない。
モンスターの特性、或いはノア自身の知らない能力という可能性もある。
元々、従魔術がどんなものなのか、当事者である俺自身すらよくわかっていないのだ。
もちろん不発などではないだろう。僅かといえ、ノアと『繋がった』感覚があったのだ。何らかの力が働いたのだと思っている。
ただ、従魔というにはあまりにも拘束が緩い。いや、拘束も強制も感じたことがない。例えるなら、緩く手を繋いでいるような。
――ならばやはり、このまま戻らないのが最良なのでは。
繋いだ手ならばいつでも離せる。傷も痛みもなく、繋がりを絶てるだろう。
どう足掻いても俺はモンスターだ。それも、厄介なダンジョンモンスター。
今も頭の奥では『命令』が響いている。早く排除しろと急かすそれに抗うのは、正直とてもキツい。
むしろ多少なりとも抗えている現状が既に奇跡のようなものだ。
なぜかはわからない。なんとなく『俺』のせいだろうと思っているが、だとしたら尚更、いつまで抗え続けられるか不安だ。数分後には屈している可能性だってある。
なにより、『俺』は不安定なのだ。
この思考もなにもかも『俺』の情報の上に形作られているもので、本来の『泥木の王』にはないもの。まったくの事故で『俺』が現れたように、ちょっとしたきっかけで『俺』が消滅してもおかしくない。
『俺』の情報を失った俺が、元の『泥木の王』にならないとは断言できない。
ノアの側に残るのが、からっぽの醜悪な化け物だと思うと。
『ルーチェは僕から離れちゃだめなんだ』
まるで心を読んだような言葉が聞こえて、どきりとした。
『僕の護衛だもん。だから、ちゃんと戻ってくる』
『まああの強さ見せられたらな……負傷するほうが難しくねぇか』
『ボス倒したって聞いたんだけど……冗談よね?』
『あー、まぁその辺は腰落ち着けて話すわ。ほら頑張れ、あと少しだぞ』
ジークの言葉に視界を切り替えると、ノアたちの姿はセーフティエリアまであと少しのところまで来ていた。既に青く光る杭が見える位置だ。
あのあたりまで戻ってくれば、さすがに数も質も劣ったモンスターしか集まらないだろう。
とりあえず、その周辺にいたモンスターを根のひと薙ぎでまとめて殲滅し、そろそろいいかと支配を解除していく。
「……さて、」
閉じていた目を開け、再び視界を元に戻す。
目で確認するまでもなくわかっていたが、モンスターの亡骸すら見当たらない閑散とした光景が広がっている。亡骸は早々に消滅してしまったようだ。
割れて砕けた石畳に、ぽつぽつと小さな魔石が転がっている。
さすがにあの状況では拾えなかったのだろう。それとも、人の目には暗すぎて気付かなかったのか。
完全に土と同化していた手足をそれなりに整え、手近な魔石を拾いあげる。
価値はどのくらいになるのだったかと思考したところで、ふつりと煩い『命令』が止んだ。
恐らく、ノアたちが無事にセーフティエリアに到着したのだろう。
セーフティエリア内まではダンジョンコアの追跡は及ばない。これで階層を移動してしまえば、しばらくは『標的』となることはないはずだった。
どうやら耐え切れたらしいことに安堵して、そっと息を吐く。
これで、ノアは安全だ。
後はきっとジークたちが彼を守って街まで連れて行ってくれる。俺がいなくてもきっと。
――ただ少し、俺が苦しいだけで。
戻らないのが、手を離すのが最善だとわかっている。
けれど、その先を想像すると、ひどく落ち着かない気分になった。
ノアはどうするだろう。泣くだろうか。それとも怒るだろうか。
それは嫌だと思った。悲しませたくないし、苦しませたくない。ずっと、笑っていてほしい。でも俺の存在自体が、ノアの脅威になるわけで。
本来の俺にはない感情に、戸惑う。
素材となった『俺』の記憶がそうさせているのだとわかっている。これらは、あくまで素材の記憶に引っ張られているだけ。
ノアに笑って欲しいと思うのも。
『泥木の王』だと知られたくないと思うのも。
ノアに嫌われることを恐れるこの感情も、すべてただの作り物だ。
わかっている。すべてわかっているけれど。
「……俺は、ノアの従魔だから」
絶対に後を追うと約束をしてしまった。
だから戻らねばならない。ノアの元に。
浮かんでくる陳腐な理由を並べ立てて、足を踏み出した。




