64.離れないで
あっ、忘れてた……!
排除しろと、執拗に声が騒ぎ立てている。
どうやら俺は、ダンジョンにとってまだ『泥木の王』らしい。
自由にダンジョンに出入りできたから、てっきり迷宮怪物としての制限はなくなったものと思っていたのだが。
あの声――ダンジョンコアの『命令』が、今も延々と頭に響いているのがその証拠だ。
振り返れば、やたらと『王の間』やら『泥木の王』やらが気になっていたのも、ダンジョンコアに影響されていたのかもしれない。
『泥木の王』が『王の間』でダンジョンを守るのは、当然の役目だから。
「……動くか」
ため息をついて、逃避しがちな思考を立て直す。
正直、『命令』は鬱陶しくて仕方ないが、ダンジョンコアから下される命令に拒否権はない。
そもそも拒否するだけの意識を持たないので、それも当然なのだけれど。
問題は、拒否したい側のモンスターである俺にも一種の強制力が働くことだった。体を勝手に操られるほどではないにしても、思考する端からかき混ぜられてまとまらなくなる。
ともすれば「従わねば」という思考に支配されそうになるのを、必死で軌道修正している最中だ。
一刻も早く、ここから立ち去らねばならない。
考え事ひとつままならないのはとても困る。これが悪夢でなく嘘みたいな現実で、俺が何者だとしても、いまさらダンジョンの人形に戻る気はないのだから。
俺の予想どおりなら、『王の間』から離れれば多少はマシになるはずだ。
「ルーチェ!」
『命令』を振り切る勢いで『王の間』から飛び出せば、こちらも慌てた様子のノアが勢い良くしがみついてきた。
「怪我! 怪我してない!? 大丈夫!?……っ、足!!!」
引き剥がす暇も答える暇もなかった。俺の足元の状態に気付いたノアが悲鳴をあげる。
「怪我したの!? 千切られたの!? どうしよう……っ」
怒濤の勢いにぽかんとする。
俺がこういうモンスターだということはノアが一番良く知っているはずだ。手や足を落とすのなんて日常茶飯事だったし、孤児院の子どもたちすらも慣れて反応しなくなっていた。
これまでも「大丈夫?」と尋ねられることはあっても、こんなに取り乱されたことはない。
やはりあの戦闘を見られていたのではないかと思うのだが、そうなると今度は俺に触れてくることが理解できないわけで。
だって俺は、『泥木の王』だ。
ジークが散々脅してきたではないか。醜悪で「やばい」化け物だと。
「……怪我は、ないよ」
「ほんと? どうもない? 痛くない?」
矢継ぎ早の問いかけに頷く。
思っていた以上に心配をかけていたらしい。
俺は心配してもらえるような、そんな存在ではないのに。
結局は俺も、狼や鼠と同じダンジョンモンスターだ。冒険者を殺すために存在しているダンジョンのシステムで――本来ならば、ノアのそばにいるべきじゃない化け物。
冒険者の、人間にとっての敵だ。
ただの魔物が側にいるのとはわけがちがう。俺の存在はノアのためにならないどころか、ノアの安全を脅かしている。他ならぬ、俺自身が。
「ルーチェ?」
不安そうな声に我に返る。
俺の反応の鈍さにか、ノアが泣きそうな顔で見上げていた。
「大丈夫だよ。……これは、ちょっと戦ったせいで」
「あ、やっぱりか」
俺の返答に、呆れたようにジークが言う。
顔を上げると、ノアほどではないが割と近い位置にジークがいた。視線を流すと、少し離れた場所にエレンとアリシアがいる。
「……見た?」
「いや、殆ど見てねぇよ。つうか見えやしねぇ。このカンテラじゃ、せいぜい入り口周辺くらいが限界」
見える範囲で木の根が動いているのがわかったため、何か起きていると感じていたらしい。
「音も派手に聞こえてたしな。まったく、どー考えても危ねぇっつーのにノアが突っ込みそうで、抑えるの大変だったんだからな」
俺が『王の間』に入ったあと、続けて飛び込もうとしたノアを捕獲してくれていたらしい。かなり世話を掛けてしまったようだ。
「お前が火を使ってからはそこそこ見てたんだが……あの燃えてた人形っぽいの『泥木の王』か?」
思ったより小さかった、と首を傾げるジークに、ああと頷く。
実際、あれは『泥木の王』としては小さかった。それにジークが目にした頃は、俺が大半の土を奪った後だ。構成物である土の支配権を奪われて、当初よりずいぶんと小さく縮んでしまっていたはず。
ジークの疑問ももっともだろう。
「そうだね。あれはまだなりかけだったから……俺でも簡単に倒せたんだと思うよ」
細かく説明しようとして、その必要もないかと思い直して頷いておく。
「なりかけ?……いやまて、倒したのか? ほんとに? ボスを?」
「そうだね」
「いやお前ならやりそうな気はしてたけど……ボスだぞ? おっかねぇ『泥木の王』だぞ?」
「ええと、途中で大きくなったよ。天井に頭がつくくらい。それにあそこは『王の間』だから……『泥木の王』しかいないよ」
疑う素振りのジークへ、事前に聞いた情報通りの姿だったと証言する。約百年分の俺の記憶でも、『王の間』に『泥木の王』以外のモンスターが配置されたことはなかったため、別のモンスターという可能性も否定しておいた。
倒してしまったので、しばらくはまた空き部屋になるけれど。
「えええ……信じられねぇ……いや、信じてないわけじゃないんだけど!」
「だから足が千切れちゃったの?」
喚くジークを余所に、ノアは俺にひっしとしがみついたまま問うてくる。俺の態度から緊急性はなさそうだと理解してくれたようだが、負傷していないという言葉は信じていない様子。
「千切れたわけじゃないよ。すこし崩して、作り直しただけだから」
いつもみたいに、と言うと、ノアは不満そうな顔になった。
「……でもルーチェの足……」
怪我ではないのだわかっても、納得はできていないらしい。元通りとはいえ、「形を一度失う」ことがどうやらひっかかっているようだ。
これまでも散々手足を落としてきた気がするのだが。すっかり慣れたように見えていたのだけれど、違ったのだろうか。
「さすがに色々使わないと戦えなかったんだよ。ほら、相手はボスだから」
話を逸らしつつ弁解すると、ノアはなおも不満げにいう。
「強かった? ルーチェより?」
「いや…………まぁ、強かったかも。大変だったよ」
そんなに強くはなかった、という正直な感想が漏れかけて、慌てて修正する。
大変だったのは、後処理のほうである。ストックされた『素材』が多かったので、全部の亡骸を焼却するのはなかなかに疲れた。
あれらはあの『泥木の王』のために集められたものだろう。一番古いものが俺が殺してしまった冒険者の亡骸のようだったから、比較的直近の『素材』ばかりだったのだと思う。
きっとあの『泥木の王』に挑戦して敗れた冒険者たちだとは思うのだが……それ以前の犠牲者はどうなったのだろうか。順当に考えるなら、俺が殺してきた約百年分があの下に埋まっていなければおかしいのだけれど。
気づけばあの『命令』はだいぶ小さくなっていた。消えてはいないが、かけてくる圧というか、強制力もかなり弱い。やはりあの『王の間』に問題があったらしい。それとも、そこに『泥木の王』がいることが問題だったのか。
「強い相手だったのに……僕を置いていった」
拗ねる声が聞こえて視線を落とす。
「一緒に戦おうって言ったのに。1人でいっちゃうなんて」
「……それは」
「僕も戦える。『泥木の王』だって怖くないのに」
「……そうだね。ごめんね、置いていって」
確かにそんな約束はしたけれど、それはノアが突っ込んだ時のための保険のようなものだ。
俺と一応は同格である『泥木の王』との戦闘に、ノアを連れていくなんて発想はない。危険すぎる。
そうは思ったものの、ノアが言いたいのはそういう表面上のことではないだろうから、大人しく謝罪を口にする。
腰にかじりついている金色の頭をそっと撫でると、ノアの不満顔が僅かに和らぐ。機嫌が少しだけ上向いたのを感じて、密かにほっとした。
「次はちゃんと僕も連れて行って」
「え?」
「ルーチェは僕の護衛なんだから。僕から離れちゃだめなんだよ」
だから一緒にいるの、と一層きつく抱きついてくるノアに、思わず言葉に詰まった。




