63.真実
出たくはないが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
亡骸が燃え尽きたことを確認して、身体の嵩を元に戻すことにする。
余分な土を戻して、足を再構築。当然ながら千切れた服と靴は元に戻らないので裸足だ。上は問題ないものの、下はギリギリ大事な部分は残っているという状態。なんとか人としての尊厳は守られたと思う。まあ今の身体は魔物だけれど。
ローブの前をしっかり閉じれば誤魔化せそうだ、と判断して、外へと足を向けた瞬間。
――排除セヨ
不意に、あの声が聞こえた。
咄嗟に『泥木の王』を振り向いて、そこに何の姿も見えないことを確認する。
ならばあの声は。
――排除セヨ
ひときわ大きく響いて、思わず顔をゆがめた。
外はまったくの無音なのに、頭の中ばかりがわんわんと煩い。
頭蓋の中で反響する音の強さに、くらりと眩暈がした。
――排除セヨ
足元から何かが這い上がってくるような、何かが身体を掴んでいるような、なんとも言えない不快感。
不安定に揺れる視界で、倒したはずの『泥木の王』が動いた気がした。
しきりと排除を促す声が、さあ倒せと背中を押してくる。
言われなくても倒すけれど、アレは既に壊したはず。でも動いている。壊れていない。本当に?
思考がぐるぐるとかき混ぜられる。喚く声がうるさくて、思考が端からちぎれていく。
排除。排除しなければ。でも一体、何を。
――侵入者ヲ、排除セヨ
浮かんだ疑問に答えるように、明瞭な声が響いた。
なんの温度も感じない冷たいそれは、『侵入者』を酷く嫌悪しているようだった。
いや、嫌悪ではない。アレは何も感じない。恐怖も苦痛も、悪意も。
ただ、『侵入者』が邪魔なだけだ。
このダンジョンを維持していくのがアレの使命であり、そのための手足としてダンジョンモンスターは生み出されているのだから。
アレを守らねばならない。壊させてはならない。そのためには侵入者を――。
殺さねば。
自然に浮かんだ思考に、はたと我に返った。
今、何を考えた?
自分の思考に慄然とする。まるで初めてここで目覚めた時のような、誰かに思考を誘導されているような気持ち悪さに背筋が寒くなった。
俺が守りたいのはノアであって断じてアレなどでは、と首を振りかけ、思考のおかしさに動きを止める。
アレとは何だ?
その疑問はすぐに解消された。
脳裏で、古い映像がぱちりと明滅する。
何もない小部屋に、明らかに人工の台座がある。そこには、これといって特徴のない立方体の石がひとつ安置されていた。
台座の足元に転がる石ころとなんら違いがなさそうなそれが、ダンジョンモンスターの守護すべきものであり――冒険者が『ダンジョンコア』と呼ぶものだった。
ダンジョンコアは、ダンジョンの実質的な管理者であり、ダンジョンモンスターの創造主である。いわば、ダンジョンの心臓とも脳ともいえる重要な存在だ。
映像と共に脳裏に浮かんだその答えに、納得すると同時に混乱した。
だって、こんなこと、俺は知らない。
生前はいわずもがな、こうなってからも特別ダンジョンについて学んだ記憶もない。まして、隠されているだろうダンジョンコアの姿を見る機会などあるはずがないのだ。
なのに、俺の頭にはその光景がはっきりと浮かぶ。それが最近のものではないことも、随分と……10年、もしかしたらそれ以上に古いものだということも、わかる。
どういことかと混乱する俺の脳裏で、再び映像が閃いた。
逃げ惑う人影と響く悲鳴。
地面がうねり、木の根が走る。飛び散る赤と、何かの残骸。
目を覆いたくなるような惨状に、けれども心は凪いでいた。
いや、そもそも何かを感じるような「心」はないのだ。
ダンジョンモンスターに自我はなく、感情はおろか、思考すらも存在しないのだから。
ただ淡々と、与えられた命令に従って『侵入者』を排除していくだけ。
それは、百年以上に及ぶ『泥木の王』の記録であり、記憶だった。
紛れもない、俺自身のもの。
ああ、そうか。
やはり俺が、『泥木の王』なのか。
マリードダンジョンには、中層と下層にボスと呼ばれるモンスターがいる。
それぞれに名前を付け、ボスと定義したのは冒険者ギルドではあるものの、ダンジョンの定義としてもあながち間違いではなかった。
より多く、より早く。余すことなく『侵入者』を排除するために最初から「強く」作られている個体。
量産されるダンジョンモンスターが侵入者を疲弊させ、追い込み、最終的にすべてを平らげるのがボスの役目だった。そして侵入者に倒されれば、全く同じ性能の個体が再び配置されるのだ。他のダンジョンモンスターと同じように。
『泥木の王』もそうしたボス個体のひとつ。
ゆえに、他のモンスター同様に自我も意識も、感情もない。与えられた命令に従い、侵入者を排除するだけの人形だ。
――いや、人形だったというべきか。
あの時、様々な偶然が重なって、『泥木の王』の中に『俺』が目覚めてしまった。
死霊だとか魂だとか、そういう話ではない。
目覚めたのは『素材』の記憶だ。
先ほど倒した『泥木の王』と同じく、俺にも『素材』となった人間がいた。
素材の記憶が確かならば、2000年前にダンジョンに取り込まれた人間だ。家族や友人、周囲の人々にそれなりに愛されて、体が弱いなりに懸命に生きていた彼の、濃密な記憶が瞬間的に蘇ったのだ。
それを、俺は自分のものだと誤認してしまった。
本来ならばそんな誤解は起こりえない。他人の記憶なのだから、困惑こそすれ自分のものと思いはしないだろう。
けれど俺は『泥木の王』だ。自我も意識もない、からっぽの何か。自分と定義できるものが何もない器だったからこそ、蘇った鮮やかなそれにすべてを明け渡してしまった。
そう、結局のところ、俺に「人間だった過去」は存在しないのだ。
兄や父に対する憧憬も、家族への想いも、近所の子供たちへの微笑ましい気持ちも。
すべて2000年前に死んだ『俺』のものであり、俺の感情ではない。
こうして思考している俺もまた、『俺』の記憶に基づくもの。
では、俺は何なのか。
『俺』の記憶を得てからこちら、頑なに自分を人間だと思い込んでいた俺は。
「……笑い話にもならないな」
思わず零した自嘲の声は、広い空間にぽつんと落ちた。
頭の中は変わらず煩いが、現実はなんの物音もしない静寂が広がっている。
周囲には、盛り上がった土と炭化した何かが転がっているだけで、動くモノはない。生きているものも、生きていないものも、何も。
ここに残されているのは、2000年前の人間の記憶を持っているだけの、正真正銘のモンスターだけだった。
ああ本当に。
これが悪い夢ならばよかったのに。
推敲するうちに長くなってしまったので、半分くらいに調整……。




