56.ジャム
孤児院の子どもたちの中には、初期からずっと俺を警戒している賢明な子もいる。
ぜひそのまま魔物は怖いという認識を捨てずに育ってほしいものだが、俺がこの姿になったせいか、最近では少し事情が変わってきた。
あれほど頑なに近寄らなかったのに、気づけば近くにいることが増えたふたりの子ども。
「今日はひとりなのね。ノアは?」
厨房の入り口に立って首を傾げて問いかけてきたのは、その賢明な子どものひとり、リンデだ。
今年13歳になる彼女は、この孤児院では最年長である。あと2年で孤児院をでなければならない年齢なのだが、ルッツのようにあれこれと計画している様子はない。というよりそんな余裕がないといえばいいのか。彼女は生前の俺同様に、あまり身体が丈夫ではないらしい。詳しい病状は知らないが、庭よりも屋内で過ごす時間が多いようだ。パメラと共に裁縫をしている姿をよくみかける。
そしてその彼女にいつもついて回っているのが、9歳のマチルダである。大人が得意ではないらしく、修道女たちともあまり目を合わせない。反面、リンデをはじめとした子ども相手だと元気に……元気すぎるほどにお転婆な姿をみせている。
「ノアなら庭にいるよ。みんなと畑」
ノアに用事かと思い、居場所を教えてやる。
俺を警戒している彼女たちだが、ノアとは仲が良い。ノアが俺にべったりな時は寄りつかないが、俺が側にいないときは仲睦まじく一緒に作業をしたりしている。ソフィアやエルシーたちに対しても同様だ。嫌悪対象はあくまでも俺だけらしい。
ちゃんと線引きできているあたり、立派なものだと思う。
「別にノアに用はないの。あなたは何してるの?」
「……料理、かな」
俺が厨房の手伝いをしていることは周知のことなのだが、わざわざそう尋ねてきたのは俺の手元にあるものが見慣れなかったからだろう。その証拠に、彼女の視線は俺の手元に向けられている。
「料理? それ、たべものなの」
「そう。色はすごいけどね、果物だよ」
俺が手にしているのは毒々しい紫色の球体。こう見えて林檎の一種である。
この外見だけあって、食用として流通はしていないそう。乾燥させて倉庫などに吊るし、防虫剤として使用するのが一般的らしい。乾燥すると独特の強い香りがするのだとか。
だが、別に食べられないわけではない。えぐみが強くて「向かない」だけであって、食べてもどうにかなるわけではないのだ。あって、腹痛程度だろうか。
まあ、ごく普通の林檎が出回っているので、わざわざ毒々しい見た目の林檎を食べる物好きはいないだろう。
俺がこれを手に入れたのも偶然である。エリアーテのところに行った際、廃棄すると聞いたのでいくつか貰い受けただけだ。食べるにあたっての注意もいろいろと教えて貰った。
「どうするの?」
「少し傷んでるみたいだからジャムにしようかなって」
「ジャム!」
リンデの問いに答えると、彼女を盾にするような恰好で隠れていたマチルダがぴょこりと顔をみせた。
俺も一応大人の外見をしているから苦手の範疇だとは思うのだが、そのきらきらとした瞳はまっすぐに俺を見ている。……魔物だから「大人」に数えられていないのだろうか。
「ジャム知ってる! あまいやつ!」
孤児院の食事で、ジャムが食卓にあがることはまずない。ジャムよりもその元となる果物のほうが安いし、ジャムに加工するほどの余裕がないというのもある。
彼女たちの知識にあるジャムは、恐らく寄付などによるものだろう。もしかしたらロビンが差し入れたものの中にあったのかもしれない。
「……甘くなるの?」
とてもそうは見えないと疑わしげなリンデに、だよねと頷く。
一般的に、ジャムの色は果肉の色に左右される。もしくは、煮詰める過程で茶色くなるのが普通だ。
そしてこの林檎の果肉は紫。皮だけでなく中まで鮮やかな紫をしている。
ちなみに、傷んだ部分はどす黒くなる。いかにも身体に悪そうである。
「甘くなるよ。……興味があるなら見ててもいいけど」
あまり火には近づかないで、と言えば、ふたりは大人しく頷いた。
竈の反対側に寄り、すこし伸びあがるようにして背後から俺の手元を覗いている。以前より距離が近い。俺が背を向けているからだろうか。
竈には、既に火が入っている。
厨房の使用許可をもらった際に、パメラが用意してくれた。この後夕食の準備もするので火は消さずにおいてくれと言われている。
林檎の皮を剥いて適当な大きさに切る。傷んだ部分を捨てたら思った以上に少なくなった。あまり多くはできないかもしれないが、試作品でもあるし構わないだろう。
竈にかけた鍋に、林檎と水、砂糖を放り込む。砂糖は林檎を貰った後、急遽市場で購入してきたものだ。孤児院にも砂糖は常備されているが、自分の思いつきで勝手に使うのもためらわれた。それに、こういうものは結構たくさんの砂糖を消費する。
「何色が好き?」
くつくつと鍋の中で震える林檎の欠片を眺めつつ、背後のふたりに問いかける。
「色? なんの?」
「なんでもいいよ。好きな色を教えて。……そうだなあ、好きなものでもいいよ。お花とか、服とか」
「花……お花好き! ロビンがくれたの、お花の髪飾り!」
「ああ、あの赤い花のやつね。……私は、空かな。夜明け前の空が好き」
マチルダはロビンから髪飾りを貰ったらしい。ロビン、なかなか女心を理解しているようだ。
リンデが色の情報を追加して、質問の答えをくれた。
「うん、わかった」
鍋の中は全体的に紫色だ。果肉も砂糖の溶け込んだ煮汁も、毒でも作ってるのかといいたくなるような色合いである。
マチルダとリンデの言葉を反芻して、イメージする。
赤に、夜明けの色。
鍋にそっと手を触れる。当然ながらとても熱い。だが、泥人形の身体は熱さや手触りは感知しても「痛み」には変換されないようで、触れるのになんら問題はない。そもそも土なので火傷も何もないのだ。
まあこれを彼女たちが変に学習して真似されてもいけないので、いつまでも触っているつもりはなかった。
出来上がりをイメージして魔法を使う。使うのは火の魔法だ。撫でるような軽やかさで鍋の中に炎を走らせると、ふわりと宙で掻き消えた。
途端、林檎の色に変化が起きる。
「わぁ! 変わった!」
「! 赤くなって……」
紫から濃い赤へと変わった鍋の中が、今度は徐々に色を薄めていく。薄紅色から橙色、そして淡い黄色へ。
リンデの言う、夜明けの色に近くはなっただろうか。
「きれい……」
移ろいゆく色は、最終的に黄金色になって落ち着いた。
この色が、本来予定していたジャムの色である。
エリアーテ曰く「火魔術で煮詰めるとえぐみが消え、果肉が黄色くなる」そう。
この竈の火は魔術由来ではなく、普通に火打ち石で起こされたものだ。火魔術は恐らく俺でも使えるだろうが、それよりも火魔法のほうが容易い。
なので、魔法で代用した。
この林檎、2000年前は『精霊の涙』と呼ばれていた品種だ。レテの近くの森に自生していたので、ジャムにして食べた経験もある。魔力が多い場所でしか育たず、果実は豊富な栄養と魔力を含んでいると言われていた。詳しい原理は不明だが、魔力を通すことで果実に含まれた魔力が変質し、食べられる味になるのだと。色についても同様だ。
水の魔法を使えば、青みがかった色に。
風の魔法を使えば、緑がかった色に。
そして、火の魔法を使えば赤みがかった色になる。
まあ最終的には、普通の林檎と同じ黄色っぽい果肉の色になるのだが。
エリアーテに色々と聞いて確信はしていたのだが、こうして記憶通りの反応を見せられると安心する。
「どうやったの? 魔術?」
「似たようなものかな。俺の場合は魔法だけど」
「魔法……」
リンデの問いに答えると、リンデははっとした様子で瞬いた。魔術に興味はなさそうだったが、魔術と魔法の違いは知っているようだ。
「魔法ってノアが練習しているやつ?」
「ノアが使ってるのは魔術だね」
一方、マチルダはそのあたりが曖昧らしい。どう違うのかと首を傾げる彼女に、リンデが躊躇いがちに教える。
「魔法は、魔物とかが使うの」
「魔物……あ、そっか。ルーチェって魔物だった」
あっけらかんとマチルダが言う。その顔には、以前のような怯えた色はない。
「魔法ってすごいね。こんなことできるんだ」
「……そうね。ルーチェは器用なのね」
マチルダの様子を見遣って、リンデがほっとしたように微笑んだ。
その彼女自身も、怖がる気配がない。少し幼いところのあるマチルダはともかく、ルッツ同様、ある程度の一般常識があるらしい彼女は魔物の怖さがわかっているはずなのだが。
そもそも、それがわかっているからこそ、近寄ってこないのだと思っていたのだけれど。
「……そうでもないよ。後は形が崩れるまで煮たら完成かな」
「ふうん、そうなの」
頷くリンデと、ちらちらとこちらを見るマチルダ。
「できあがったら……ふたりも食べてみる?」
さすがに魔物が作ったジャムなんて嫌かな、と思いつつ一応聞いてみる。嫌よ、という返事がくることを覚悟した問いかけは、思いがけなくきらきらと輝く四つの瞳に裏切られた。
「やった! わー、楽しみ! ジャムだよ!」
「ええ、ぜひ。どんな味かしら」
嬉しそうな弾む声。待ちきれないといわんばかりに、距離を詰めてくるふたりに少し戸惑う。
おかしい。俺が魔物だと確認したばかりだというのに、警戒心はどこに。
「上手くいったら夕食と一緒にだすね。楽しみにしてて」
もちろん、完成品は先にアンジェリカに見て貰うつもりだ。生前の俺は問題なく食べられたが、現代の子どもたちが大丈夫とは限らない。あと俺の魔力を通しているので、そのあたりの安全性もよくわからなかった。魔力は魔力なのでそこに魔物自体の影響があるとは思えなかったけれど。
アンジェリカから止められたら、彼女たちには申し訳ないが諦めてもらうしかない。その場合、俺が責任をとって美味しく消費するとしよう。
「ごはん? じゃあスープに入れてもいいの?」
「どっちかといったらパンじゃないかしら?」
「甘いから、パンのほうが美味しいと思うよ」
やんわりとスープに投入するという冒険を止めておく。好みはそれぞれなので美味しくないとはいえないが、少なくとも一般的ではあるまい。
楽しみだとはしゃぐ姿を見ながら、どうやらいつの間にか彼女たちの警戒は消えてしまったらしいと悟る。
俺にとっては悪いことではないし、実際、彼女たちに対して害意も悪意もないけれど。
他の魔物には、ちゃんと警戒してほしいところだ。




