49.野犬討伐
現れた犬は、俺の記憶にあった「犬」よりも大きかった。
やや長めの黒い毛並みに、暗がりに爛々と輝く目。牙を剥き、激しく吼えながら冒険者ふたりを追い立てる様は、狼の狩りを彷彿とさせる。
大型犬などというのもおこがましい。見た目だけならば立派に狼である。
俺のイメージしていた犬は、もう少し小さい。野犬は確かに獰猛だし脅威だったけれど、ここまでの大きさはなかった気がする。俺の知らない2000年の間に、犬は大型化したのだろうか。それともそういう犬種なのか。
ふと、白氷狼のことが過ぎった。
白氷狼は狼よりも更に大きな、狼に似た魔物だという。今まさにこちらに向かっているアレが「犬」だとしたら、この時代の「狼」は俺が思っている以上に巨大なのではないだろうか。
そんなの、どう考えても人が簡単にどうこうできる魔物ではない。
図らずも、メランを警戒する周囲の気持ちが少しだけ理解できたところで、犬の姿がジークたちにもはっきり見えたらしい。
「くそっ、やっぱ緑角犬かよ! 今昼間だってのに!」
緑角犬というのが、あの狼っぽい犬の名称らしい。やはり犬で間違いないらしい。
必死に逃げる冒険者たちの進行方向からして、巻き込まれるのは確実だ。
人間はともかく、犬のほうはこちらの存在にも気付いているようだが、それでも少しも足を緩めないあたり相当興奮している。
とはいえ、こちらはまだ逃げようと思えば逃げられる距離。
回れ右して全力で逃走すれば、犬もさすがにこちらまでは追ってはこないだろう。彼らの標的は、あくまであの2人の冒険者のようだから。
「予定変更、アリシア!」
「りょーかい!」
「エレンは魔術頼む!」
「わかりました~」
『炎の剣』の様子を窺っていたら、ジークが剣を構え直して前方に足を向けた。彼らの仲間も慣れたもので、素早く行動に移る。どうやら冒険者たちを助けるつもりらしい。
さて俺はどうするかと思案しつつノアを引き寄せて背に庇う。
正直冒険者の安否はどうでもいい。なぜ追われているのかは知らないが、俺が守るべきはノアだけである。次点でジークたちだろうか。
ノアの意見を求めて見下ろしたら、その足元で暢気に転がる毛玉が目に入った。
犬の気配に気付かない筈もないが、相変わらずころころと楽しそうだ。本来は敵にもならない相手とはいえ、現状、毛玉は良い餌でしかない。メランも大概、危機感が薄い。
ペットは飼い主に似るのだろうか。
「ノア、犬がきたよ。ジークたちはあのふたりの冒険者を助けるみたい」
「じゃあ……僕たちも手伝う」
「わかった。なら……そうだな、メランを抱っこしててくれる?」
犬と間違われたら危ないから、と犬っぽい何かになりつつあるメランを示すと、ノアは慌ててメランを拾い上げた。
メランはよくわかってない様子で、ノアの腕の中でご機嫌である。いやほんとに危機感。
「! ジーク!?」
茂みを掻き分け現れた2人のうちのひとりが叫ぶ。驚愕の理由は、こちらに人がいると思っていなかったことか、それともジークの存在か。
「お前ら何してんだよ! 何頭ぐらいだ!」
「すまん! ええっと……10はいない! たぶん!」
「たぶんかよ! 加勢してやっから自分の身は守れよ!」
ともかく、彼らはジークの知り合いらしい。ジークの声にそれぞれ礼を述べて、剣を構えて反転した。応戦するつもりのようだ。
ジークとアリシアが、武器を構える。風の魔術を行使したエレンが、彼らの側に近づいた犬を吹き飛ばし、わずかな空間を作った。
体勢を整えたふたりの冒険者とジークが剣をふるい、アリシアが少し下がった位置から短剣を投擲していく。
エレンは風の魔術以降は杖を握ったまま待機している。回復要員として魔力を温存しているのだろう。
彼らの連携は危なげない。相手は群れているとはいえ魔物でもない野犬だし、少々怪我をしたところで回復術士のエレンがいる。
手伝うと決めたものの、下手に介入しては邪魔になりそうだ。
ノアは自身の安全、俺はノアの守りに専念したほうがいいかもしれない、と彼らの奮闘を眺めていたらノアに袖を引かれた。
「あのね、僕は大丈夫。……あの人たちを助けてくれる?」
ノアは俺が以前「助けない」と言ったことを覚えていたらしい。
助ける気があまりなかったのは本当だ。
犬を連れてきた2人は知らない顔だし、見知らぬ人間を助けようと思うほど俺は善人でもない。ジークたちに至っては、既に上手く連携して戦えているので、変に手をださないほうが良さそうでもある。
参戦するならたしかに、ジークたちではなくあの2人の冒険者のほうだろう。
あまり脅威を感じないため、傍観でも良いような気もするのだが。
仕方ない。ノアの「お願い」を断るほどの理由もないことだし。
「わかった。エレン、ノアを頼んでも?」
エレンを見遣ると、エレンはぱちと瞬いた後、笑顔で頷いてくれた。
彼女の側ならば、ノアの安全はほぼ確保されたと言ってもいい。補助に徹することが多いといえエレンも威力の高い魔術を使えるし、ノア自身も戦える。
ジークたちを抜けてきた個体がいても、ふたりで対処はできるだろう。
「メラン、ノアを守るんだよ」
ついでに、状況を把握しているのか怪しいメランをそっと撫でる。メランは「み!」とやけに気合いの入った鳴き声をあげる。わかってなさそうだ。
まあ、最悪危なくなったら泥人形の能力を駆使するつもりではいるけれど、それは最後の手である。
剣の柄に手をかけて、少し考える。
あの犬の強度はどの程度か。生前の記憶で、似たような魔物と戦った記憶を浚う。
当時と同じだけの力を込めたら、やりすぎになる可能性が高い。
ならば。
「多少切りつけるくらいなら、問題ないか」
浅く、動きを止める程度でやれば大丈夫だろうと結論づけて、剣を抜いた。




