給料日のローストビーフ
「じーさん、今日はウィスキーが飲みたい。お勧めはある?」
「こないだはオーソドックスにシーバスだったから、今日はちょっと癖のあるやつにチャレンジしてみるか? ラフロイグをロックで」
「じゃ、それで。じーさんが癖があるって言うんだから癖があるんだろうな」
「アイラウィスキーが好きな人には定番だけど、初めての人は多分ビックリするよ」
「でも、美味しいんだよね、定番になるくらい。楽しみ」
「フフッ。じゃ、どうぞ。ラフロイグ10年のロック。そして、今日の肴はローストビーフだ。ぴったりだったね」
「よし、いただきます。ん、いきなり、何か薬みたいな香り。え、え、ウィスキーだよね。スコッチなんだよね、これ」
「もちろん。シングルモルトのスコッチだよ」
「なんか、知ってるウィスキーのイメージと全然、違う。イソジンみたいな香り。味も不思議。なんかどっしりで、甘みもあって、いや、でもやっぱりこの強烈な香りだな。」
「面白いだろう。ま、好き嫌いははっきり分かれるだろうけど、一度体験しておいていい酒だと思うよ」
「うーん。好き嫌いは、分かんないな、まだ。強烈だけど、でも、飲めないとかじゃないんだよね、妙に、後を引くというか。あ、ローストビーフは素直に美味しいです」
「これ、凄く簡単なんだよ。モモの固まりを塩とニンニクとオリーブオイルこすりつけて、表面をまんべんなく焼き色付けて、後はラップして耐熱の保存袋に入れて、沸騰より抑えめの鍋で2分茹でたら、火を切って鍋に蓋して30分放置。それで出来上がり。そばつゆと肉汁を足して煮立てて、タレにする。スライスして、わさびとタレで頂く」
「牛肉って、それだけで満足感があるよね」
「そうだね。今日は給料日の人が多いから、ちょっとそういう気分を楽しんでもらえるかなって」
「はい、給料日です。貴重な生活費をここに注ぎこんでます」
「いい心がけです。これからも続けるように」
「まぁ、愚痴るほどの薄給ってわけじゃないけど、ここんとこの値上げラッシュだと、ちょいと先々の生活を考えちゃうね」
「そうだね。まぁ、ウチの店に来る余裕のある人はともかく、今までもギリギリだって思いながら生活してた人には堪えるだろうね。賃上げもすぐには追い付かないだろうし」
「それ。あの賃上げってまどろっこしいっていうか、まず5割増しぐらいやってくれないと、生活が変わるほどの実感なんて湧かないと思うんだよね。毎年、5割とは言わないけど、欧米に比べての低賃金解消っていうなら、ちまちまやらずに、一度水準を変えないと。その代わり労働生産性も上げる、と。ある程度の保障の上で、そっからの昇給は実績次第とか。今のまま、じわじわみんなの給料を上げましょうじゃ、ラチが開かないし士気も上がらない」
「そうだね。君らぐらいの企業の賃金なら、そういう手段ぐらいで改革も出来るかもしれないね。でもこの国の賃金の問題って、根が深いからな」
「と、言うと?」
「まず、国内市場をメインにしてる企業の営業職の労働生産性って、基本的に人減らし以外の方法で上げようがない。だって人口減の上に消費マインドが、より画期的で良いものより、現状維持の品質をリーズナブルに、って志向だからね。となると、縮小しかねないシェアを対応のきめ細かさで競い合う営業スタイル。会社にはある程度必要かもしれないけど、生産性は低いよね。だから、本来はこの人たちの給料は上げちゃいけない。むしろ下げるべきかもしれない。そして大手、中堅は合理化して営業の人数を減らす。これに対応していた事務職も当然ながら減らす。できないでしょ、そんなこと。大暴動だよね」
「できないでしょうね、少なくとも一気には」
「それから、介護とか看護とか教員とか保育士、後は公共交通の運転手、物流の運転手、この人たちの給料が上がらない。おかげで成り手が少ない。この人たちはあんまり労働生産性を上げることを第一義に働いちゃいけない。市場に利益を生み出す存在じゃない。だけど、重要な重要な仕事だ。一方で、例えば介護士の給料を上げる、それを受益者負担にすると、高齢者の中で福祉サービスを受けられない人が続出する。保育士の給料アップを保育料に転嫁したら、少子化に拍車がかかる」
「ですよね」
「だから国が負担したり、優遇措置を作ったりして手をつけないと、内部の努力や効率化じゃ対応できないか、サービスの劣化を招く。この手のサービスの劣化は社会の劣化だ」
「そうですね」
「で、その財源は?」
「税金ですか。文句言う人が続出するだろうなぁ」
「やるしかないはずなんだけどね。株式会社についても言ったけど、労働の市場価値と社会的価値に差があり過ぎる。例えば、大谷翔平君の年俸は今年、40億円。福祉の介護士の専門職の年収が400万円。介護士1000人分だ。市場価値としては、まぁ分かる。だけど、いくら大谷君のプレイが人々に勇気と感動を与えるにしても、社会への貢献度が、福祉介護士1000人分ってことは無い。しかも大谷翔平の知名度を使った広告的価値としては、別途に何十億円も貰ってるんだからね」
「まぁ、大谷君は特例だけど」
「そう。あれは夢だからって、目くらまし。みんなが憧れるスターだから。そして不公平に不満を抱くより、夢を見ようって言う。でも、地主が土地を貸して年収1億とか、ガチガチの国内市場BtoBの営業部長が年収1千500万とかは、どう。営業部長さんは、必死で頑張って競争を勝ち抜いての1千500万円の何が悪いって言うだろうけど、それは企業に貢献していても、社会的価値としてはどれぐらいかな。毎日、やっぱり一生懸命介護してた人の3倍4倍の価値かな」
「違うでしょうね。でも、儲かる道を選択したからこそ、って。あぁ、そうか、それじゃますます社会的に必要な労働の提供者が減るし、質も上がりにくくなるってことか」
「そう。労働の社会的価値を、市場価値が反映できないなら、社会が補正をかけるしかないだろう。社会も世界も一人一人の人間も、市場の成長のためにあるんじゃない、社会をより良く動かすための道具として、市場も経済もある筈、経世済民なんだから」
「サブスクを止めるー闘病短歌」も頑張って不定期ながら更新を続けております。時間はかからないので覗いてやって下さい。
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