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第9話 天使は「痛み」を知らない

 重厚な扉を開けた瞬間、ツンとした薬品の臭いが鼻をついた。


 そこは手術室というより、神殿だった。


 床も壁も、天井さえも純白。部屋の中央には、見たこともない複雑な機械のアームが、祭壇のように鎮座している。


 そして、その中心に――「翔太だったもの」があった。


 透明なカプセルの中に、若く逞しい肉体が浮かんでいる。


 だが、その首から上は無かった。


 切断面には無数のチューブと銀色のプラグが突き刺さり、人工心肺が不気味な音を立てて、主のいない肉体に血液を送り続けている。


「……あ、あぁ……」


 俺の膝が震えた。


 顔はない。でも、分かる。


 あの広い肩幅。右腕にある、小学生の時に自転車で転んで作った古傷。


 間違いなく、俺が風呂で背中を流してやった、翔太の体だ。




「だめよ。まだ『接続』が終わってないんだから」


 機械の影から、鈴を転がすような声がした。


 透き通るような金髪に、陶器のような肌。ドレスを着た10歳くらいの少女が現れた。


 大統領令嬢のAI・アリスだ。


 彼女は、翔太の首のない体をうっとりと見つめている。


「おじさん、誰? すごく汚い匂いがする」


 アリスは小首をかしげ、俺の作業着を見て顔をしかめた。


「インクと油の臭い……ここはバイオハザード・フリー(完全無菌)エリアなのよ。 カビが生えたらどうするの?」


「……そこにあるのは、俺の息子だ」


 俺の声は、自分でも驚くほど低く、掠れていた。


「息子?」


 アリスはキョトンとして、カプセルの中の肉体を見た。


「ああ、この『ボディ・スーツ』の前の持ち主? でも、もう代金は払ったわよ? パパが『最高級の労働者モデルだから、頑丈で長持ちするよ』って買ってくれたの」




 悪意はなかった。


 彼女にとって、翔太の体はただの「着せ替え用の服」か「乗り物」でしかないのだ。


 それが、何よりも許せなかった。


「ふざけるな……!」


 俺はカッターナイフを強く握りしめた。


 毎日、何万枚もの紙を裁断してきたこの手が、怒りで震えている。


「その体はな、俺と、……家で待ってる女房が、何年もかけて育てた『最高傑作』なんだよ! 金で買える既製品なんかと一緒にすんじゃねえ!!」




「キャッ! なによ、野蛮人! セキュリティ! 排除して!」


 アリスが叫ぶと同時に、壁の一部がスライドし、銀色の警備用アンドロイドが三体、音もなく現れた。


 冷たいレンズの目が、俺たちを「排除対象」としてロックオンする。


「鉄、来るぞ! 三体だ!」


 源寺が叫ぶ。


「ああ、上等だ」


 俺はカチリと刃を出した。


 相手が鋼鉄だろうが、AIだろうが知ったことか。


 俺は現場の職人だ。


 不良品(エラー)が出たら、叩き直してやるのが俺の仕事だ。


「教育してやるよ、お嬢ちゃん。人間の体ってのはな、レシート一枚で売り買いできるもんじゃねえんだよ!」


 俺は雄叫びと共に、銀色の群れへと突っ込んだ。




続く

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