↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

54/60

第54話 凍てついた首と復讐の契約


 光の届かない地下の配管通路は、まさに地獄だった。  


 腰まで腰まで浸かるヘドロは氷のように冷たく、腐ったメタンガスの悪臭が肺を焼く。


「ゼェ……ハァ……ッ」


 一歩足を踏み出すたびに、折れた肋骨が軋み、目の前が真っ白になる。


 背中に負った二十歳の息子の肉体は、時間が経つごとに鉛のように重さを増していた。


「ひぃッ……ね、ネズミが……! 汚い、嫌だ、私をここから出せッ!」


「うるせえ、少しは自分で歩きやがれ!」  


 泥水の中で転んだ神崎を、源寺が容赦なく蹴り飛ばして引きずり起こす。


 高級スーツはドブの匂いに染まり、エリートの面影は完全に消え失せていた。




「鉄さん、代わるわ。少し休んで」  


 由美が泥だらけの手で俺の肩を支えようとするが、俺は首を横に振った。


「いや、いい……。こいつは、俺が連れて帰る。親父の……意地だ」  


 感覚のなくなった足を引きずり、泥水を掻き分けてひたすら奥へ進む。


 どれだけ歩いたか分からない。永遠にも思える暗闇の行軍の果てに、ようやく源寺が重たい鉄扉の前に立ち止まった。


「……着いたぞ。俺のアジトの、さらに地下だ」


 重い扉を開けると、機械油とカビの匂いが染み付いた空間が広がっていた。


 部屋の奥で、低い駆動音を立てている旧式の冷凍カプセル。  


 分厚いガラス越しに白い冷気が渦巻く中、俺たちの「本当の息子」が眠っていた。  




 七年前、十二歳のあの日から時が止まったままの、小さな翔太の首だ。


 俺は、背負ってきた重たい肉体を、手術台代わりの冷たい鉄板の上にそっと下ろした。  


 そして、ガラスにこびりついた霜を、泥だらけの手でゆっくりと拭い去る。


「翔太……お前の体が、やっと帰ってきたぞ。今、繋いでやるから待ってろ」


 震える由美が、俺の隣で声を出さずに泣き崩れた。  


 俺はカプセルから振り返り、部屋の隅でへたり込んでいる神崎を睨みつけた。


「源寺、準備はいいか?」


「神経の縫合と血管の接続は俺の腕でどうにでもなる。だがな、鉄。問題はアリスの『防衛システム』だ」  


 源寺が血まみれのスパナを放り投げ、メスと溶接機が並んだトレイを引き寄せる。


「Sランクの肉体は、登録されたAI以外の脳信号を異物とみなす。無理やり生身の脳を繋げば、強烈な拒絶反応で脳髄が焼き切れるぞ。……システムを書き換える『マスターコード』が要る」


 俺は無言で歩み寄り、震える神崎の胸ぐらを鷲掴みにして引きずり起こした。


「聞いただろ?…元・最高幹部様。お前の頭ん中に入ってるコードを出せ」




「ふ、ふざけるなッ! アリスの最高機密だぞ! お前らみたいなゴミ共に、完璧な作品を渡してたまるか……!」  


 エリートのちっぽけなプライドにしがみつき、神崎が唾を飛ばして喚く。


 俺はそいつの顔面を、渾身の力で殴り飛ばした。


「……目を覚ませ、クズが。お前はもう、俺たちと同じゴミだ」  


 床に転がり、鼻血を吹く神崎を見下ろす。


「アリスはお前を捨てた。お前が心血注いだシステムは、お前をトカゲの尻尾にして燃やそうとしたんだよ。……悔しくねえのか、あー?」


 神崎の動きが止まった。  


 俺は、そいつの耳元で悪魔のように囁いた。


「お前を捨てた完璧なシステムに、俺たちと一緒に泥を塗ってやろうぜ。Sランクの最高傑作に、スラムのガキの脳みそを上書きして、アリスの連中に最高のツラをさせてやるんだよ」


 神崎の肩が、小刻みに震え出した。  


 恐怖じゃない。それは、全てを奪われた男の、底なしの憎悪だった。




「……あ、あはは……ハハハハッ!!」  


 泥と血にまみれたエリートが、壊れたように笑い出す。


「いいだろう……。私を切り捨てたあのクソシステムを、私の手で台無しにしてやるッ…!」


 親の執念と、エリートの復讐心。


 絶対に交わるはずのない二つの感情が、薄暗い地下室で一つになった。




続く


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。