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第44話 過去の懺悔と氷のように冷たい真実


 暗証番号『0・4・1・9』。  


 由美が血に濡れた指でキーパッドを叩くと、培養槽の裏に隠されていた分厚い壁が音もなくスライドし、銀色に輝く専用エレベーターが姿を現した。  


 俺たち三人が無言で乗り込むと、冷たい金属の扉が静かに閉ざされ、重力を置き去りにするような浮遊感とともに、箱は最上階へと昇り始めた。


 国家の要人やアリスの最高幹部だけが使うであろうその内部は、塵一つないほどに磨き上げられ、無機質なLEDの光が俺たちの姿を鏡のように壁へ映し出していた。  


 煤と泥、そして返り血と機械の油で真っ黒に汚れた底辺のネズミ三匹。


 場違いにも程があるその姿を見て、源寺が血まみれの鉄製スパナを床に突き立て、低く吐き捨てた。


「……胸糞悪りぃ。人のガキの首だけを、氷漬けにして宅急便で親に送りつけてきやがって。それで自分たちはこんな綺麗な箱に乗って、偉そうに最上階でふんぞり返ってるってわけか。国が聞いて呆れるぜ」


「……悪かったな、源寺。俺たちの家族のゴタゴタに、こんな死線まで付き合わせちまって」


 俺が壁に背を預け、折れた肋骨の痛みを堪えながら言うと、源寺は真顔になって首を振った。


「水臭ぇこと言うな。あんな首のないガキどもの姿見せられて、ここで引き返したらスラムの職人の名が廃るからな。……それに、翔太のあんな姿を見ちまったら、親じゃなくても腸(はらわた)が煮えくり返る」


「……鉄さん」


 隣に立つ由美が、静かに口を開いた。


 奪い取った軍用短刀の血糊を黒い皮のコートの裏地で丁寧に拭いながら、どこか遠くを見るような目をしている。


「私、あの冷たい箱を開けた時の……翔太の凍りついた顔が、頭から離れないの。私、翔太にとってずっと普通の、優しいお母さんでいたかった。あの裏社会で血に塗れてた過去は全部捨てて、ただの家族として生きていくって決めてたのにね」  


 由美の震える声に、親としての深い後悔と悲哀が滲んでいた。  


 普通の幸せを与えたかった。その願いが、皮肉にも愛する息子をこんな地獄へ引きずり込む結果になってしまったという自責の念。


 俺は痛む体を起こし、油で汚れた分厚い手で、由美の華奢な肩を力強く抱き寄せた。


「お前は最高の母親だ。だから……泣くのは、あいつの体を奪い返して、家の地下で待ってるあいつの首と、もう一度繋ぎ合わせてからだ。俺たちで、翔太を連れて帰るぞ」


「……ええ、そうね」


 由美は小さく息を吸い込み、次に顔を上げた時、その瞳からはもう一切の迷いが消え去っていた。


 冷酷な狂犬の目。いや、我が子の体を奪い返しに行く、ひとりの母親の凄絶な覚悟がそこにあった。


『ピーン』  


 その時、無機質な電子音が鳴り響き、上昇を続けていた箱が静かに停止した。  


 表示パネルの数字は『99』。アリス本社ビル、最上階。翔太の『体』が囚われている、悪魔の執務室の入り口だ。


 俺は親父から受け継いだ丸鋸の電源スイッチに指をかけ、源寺は巨大なスパナを肩に担ぐ。  


 冷たい金属の扉が、ゆっくりと左右に開き始めた。


「行くぞ……翔太の体を取り戻す!」  


 地獄の底から這い上がってきた三匹の狂犬たちは、国家という巨大な敵が待つ最上層へと足を踏み入れた。




続く

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