第38話 見下ろした男の誤算と血と油に塗れた狂犬たち
アリス本社の最上層へと昇る、ガラス張りの専用昇降機の中。
神崎は手元の端末を一瞥し、冷たい鼻で笑った。
「馬鹿なやつらだ。わざわざ自ら、あの地下の処刑場へ飛び込んでくるとは」
地下搬入口に配置した四体の防衛用機械兵は、神崎自身が調整を施した冷酷な番犬だ。
スラムの職人と女将が束になったところで、一分も持たずにただの肉片に変わるだろう。
神崎はそれ以上興味を失い、これから始まる翔太の「脳髄の摘出」へと冷酷な思考を巡らせた。
だが、その頃。地下の終着駅は、神崎の予想を遥かに超える地獄の様相を呈していた。
「源寺! 接着剤はあとどれくらい残ってる!?」
鉄が息を切らしながら叫ぶ。
丸鋸を持つ手は機械の油と自身の血で汚れ、折れた肋骨の痛みが限界を超えていた。
「もうボンベの底を突く! 次の奴の足止めで最後だ!」
源寺もまた、顔を煤と血で真っ黒にしながら、背負った筒の引き金を引く。
数秒で終わるような戦いではなかった。
相手は分厚い装甲の塊だ。
源寺が特製の瞬間接着剤で関節を固め、由美が銃で隙を作り、鉄が丸鋸をねじ込む。
その命がけの連携を何度も繰り返し、十五分に及ぶ死闘の末に、ようやく三体の首なし機械兵を鉄屑に変えたところだった。
「鉄さん、最後の一体が来るわ!」
黒い皮のコートを機械の油でドロドロに汚した由美が、鋭い声を上げる。
残る最後の一体が、巨大な右腕の粉砕機を振り上げ、狂ったような速度で鉄へと突進してきた。
「やらせるかよッ!」
源寺が筒の引き金を深く引き絞り、残りの接着剤を全て、機械兵の足元の床と膝の関節に向けてぶちまけた。
ギガガガッ!!と不快な金属音を立てて内部の歯車が完全に噛み合い、突進の勢いのまま機械兵の巨体が前のめりに大きく崩れる。
「今よ!!」
ギュッ、と皮のコートを軋ませ、由美が床を蹴って傾いた鋼鉄の胸元へ滑り込む。
容赦なく、胸の中央で不気味に光る『赤い単眼レンズ』の隙間にリボルバーの銃口をねじ込み、引き金を引いた。
鼓膜を破る破裂音と共に単眼レンズが内側から砕け散り、胸部から大量の火花とオイルが噴き出す。
「うおおおおッ!!」
そこへ、親父の意地を全て乗せた鉄の丸鋸が、銃撃でひび割れた胸の装甲の奥深く――機械の駆動中枢へと容赦なく食い込んだ。
断末魔のような金属の悲鳴が地下室に響き渡り、最後の一体はついに真っ二つに裂けて崩れ落ちた。
――同じ頃。
最上層に到着した神崎の端末が、狂ったように鳴り響いた。
『か、神崎様! 地下の防衛線が……四体の機械兵が、全滅しました!』
「なんだと……?」
神崎の顔から、余裕の笑みが完全に消え去った。
慌てて監視用の画面を開く。そこには、目を疑うような光景が映し出されていた。
完全に破壊された四体の巨大な鉄屑。
その中心で、息を乱す二人の初老の男。
そして――機械の油で汚れた黒い皮のコートを着た女が、ゆっくりと顔を上げ、天井の監視カメラを冷たい目で見据えた。
女は、カメラの向こうにいる神崎の存在に完全に気づいているかのように、リボルバーの銃口をまっすぐ画面へと向けた。
ドンッ。
銃声と共に、神崎の手元の画面がノイズ混じりの砂嵐に変わる。
「……あ、あり得ない。ただのスラムのゴミどもが、私の機械兵を……」
神崎の手から端末が滑り落ち、硬い床に嫌な音を立てて転がった。
見下ろしていたはずの底辺のネズミたちが、ついに自分の足元まで狂犬の牙を剥いて迫ってきている。
その事実が、初めて神崎の背筋に冷たい恐怖を走らせたのだった。
続く




