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第27話 地下室の誓いと決戦前夜


 決戦の指定時刻まで、あと十時間。


 荒川の地下深くに眠る、分厚い鉛とコンクリートに囲まれた『旧時代の核シェルター跡』。


 独立発電機の低く力強い駆動音だけが、この冷たい空間を満たしている。 


 俺は壁を背にして座り込み、手元の高圧鋲打ち機に油を差していた。  


 使い込まれた布で、凄まじい威力を秘めた鋼鉄の杭を一本一本磨き上げる。


 印刷工だった頃、毎日の終わりに機械の汚れを拭き取っていたのと同じ、職人のルーティンだ。


 これをやっている時だけは、由美に縛り上げられた肋骨の激痛も、胸の奥で渦巻くどす黒い怒りも、少しだけ静まる気がした。


「あなた……」


 少し離れた場所で、冷却装置の傍らに座っていた由美が、静かに声を落とした。


「あの傲慢な男が、本当に一人で来るかしら。軍隊を引き連れて、あなたたちを囲い込むんじゃ……」


「来るさ。奴にとって、五億で買った自慢の『最高級のオモチャ』がただのスクラップになるのは、死ぬより我慢ならねえはずだ」


 俺は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。


「それに、源寺が今頃、決戦の舞台になる『旧第三印刷工場跡』の周囲に、古い地雷と電磁波を乱す鉄屑のジャミングネットを張り巡らせている。奴らの最新式の通信機器も、空からのドローンも、あの泥沼じゃただのガラクタだ。……地の利は、俺たちにある」




 由美は黙って頷き、ひび割れた指先で、ガラス越しに翔太の頬を撫でるように動かした。


 分厚い防弾ガラスの向こうで、翔太の首は、これから地上で始まる血みどろの死闘など知らないかのように、安らかな顔で眠っている。


「……翔太、大きくなってたな」


 俺がぽつりと言うと、由美の目から大粒の涙が零れ落ちた。


「ええ。背も高くなって、肩幅も広くて。……でも、鎖骨のあの小さな星の痣(あざ)は、赤ん坊の頃のままだったわ」


 由美はガラスに額をすり寄せ、声を震わせた。


「あんな冷たい機械の頭を乗せられて、どんなに痛かったでしょうね。……早く、この子を元の体に戻してあげたい」


「ああ。俺たちの七年は、そのためにあったんだ」


 俺は立ち上がり、足を引きずりながら由美の傍へ歩み寄った。そして、泥だらけの手で彼女の細い肩を力強く抱き寄せた。


「由美、よく聞け。俺たちが地上へ出たら、お前はこの鉛の扉を内側から完全にロックしろ。俺か源寺の声を聞くまで、何があっても絶対に開けるな」


「……ええ、分かっているわ。私はここで、この子を守り抜く」


「約束する。必ずあの豚の喉首に丸鋸(まるのこ)を突き立ててパスワードを吐かせ、翔太の体を……俺たちの息子の半分を、ここまで連れて帰ってくる」




 その時、頭上の鉄の梯子(はしご)から、がちゃり、と重い音が響いた。


 泥だらけのコートを羽織った源寺が、凄みのある顔つきで降りてきた。


「夫婦水入らずのところ悪いが、迎賓の準備は整ったぜ、鉄。工場跡地は今、奴らの兵器を無力化する極上のトラップに仕上がってる」


 源寺は懐から、ひび割れた端末を取り出して見せた。


「あとは、あの傲慢な豚が、大事な『商品』をぶら下げてこの泥沼に足を踏み入れるのを待つだけだ」


「上等だ」


 俺は鋲打ち機を拾い上げ、重い音を立てて撃鉄を起こした。


「行くぞ源寺。……あの忌まわしい俺たちの始まりの場所で、全てにけりをつける」


 俺は由美と翔太を冷たい核シェルターに残し、振り返ることなく、暗い梯子を登り始めた。




続く

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