第26話 仕込まれた猛毒と死地への誘い
冷たい鉛の壁に囲まれた地下避難所。
俺は柱に寄りかかり、由美に縛り上げられた肋骨の痛みに耐えながら、源寺の背中を睨みつけた。
「それで、神崎をこの泥沼まで引きずり降ろす『餌』ってのは何だ?」
源寺は壁一面に投影された計算機の画面に向かい、凄まじい速度で暗号を打ち込みながら、口の端を歪めて笑った。
「鉄。お前、俺が神崎の部屋で、あの機械の頭部に『電磁衝撃』を放ったのを覚えてるか?」
「ああ。あの青っ白い閃光のおかげで、数秒だけ動きが止まって逃げられたんだ」
「あれはただの目くらましじゃねえ。衝撃に紛らせて、奴の人工知能の中枢に、俺が作った『電子の猛毒』を打ち込んでおいたんだ」
源寺が画面を叩くと、赤い警告の文字列が滝のように流れ落ちた。
「表の特権階級の連中が使う、綺麗に整頓された防壁じゃ、スラムの屑鉄を継ぎ接ぎして作った『泥だらけの論理式』は絶対に解読できねえ。……この猛毒は、今この瞬間も、あの機械の頭部の神経回路を少しずつ喰い破っている」
「それで、どうなるの?」
由美が息を呑んで尋ねた。
「四十八時間後、あの人工知能は完全に機能を停止し、二度と目覚めなくなる。神崎が五億もの大金を叩いて手に入れた『最強の兵器』は、ただの動かない肉塊になっちまうってことだ」
源寺は、残された右目で俺を振り返った。
「毒を中和する『解読の鍵』を持っているのは、この世界で俺ただ一人だ」
俺は思わず、血の滲む口元を歪めて笑った。
なるほど。神崎にとって、翔太の体は己の権力と虚栄心を満たすための最高級の玩具だ。それが目の前でただのゴミ屑に変わるのを、あの強欲な豚が黙って見ているはずがない。
「……だが源寺、奴らが大軍を率いてこの荒川を火の海にし、『鍵を出せ』と脅してきたらどうするつもりだ?」
俺の問いに、源寺は首を横に振った。
「だから、こちらから『条件』を突きつける。……神崎の個人的な秘匿回線に、たった今、招待状を送りつけたぜ」
源寺が読み上げたその文面は、権力者への挑戦状そのものだった。
『大切な玩具が壊れかけているな。解読の鍵が欲しければ、明日の深夜零時、荒川の【旧第三印刷工場跡】へ来い。商品(翔太の体)と、最小限の護衛だけでな。もし軍隊を動かしたり、空から探査機を飛ばしたりすれば、その瞬間に鍵は永遠に消滅する』
「旧第三印刷工場跡……」
由美が呟き、俺の顔を見た。
「あなた、あそこは……七年前、私たちの工場があった場所……」
「ああ。奴らに全てを焼き払われた、俺たちの始まりの場所だ」
俺は痛む胸を押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
あそこなら、スラム特有の磁気嵐と鉄くずの山で、奴らの最新鋭の通信機器も探知機も使い物にならなくなる。地の利は、完全にこちらにある。
「なるほどな。神崎も、あの機械の頭も、俺の庭に引きずり込んでやる」
俺は足元に転がっていた高圧鋲打ち機を拾い上げ、重い鋼鉄の杭を装填した。
「四十九年の職人人生、全部賭けて……今度こそ、あいつの首から偽物の頭を叩き落としてやる」
冷たい鉛の地下室で、俺たち三人の殺気が一つに交わった。
七年間の恨みを晴らす、血塗られた泥の罠が、今、完成した。
続く




