第25話 冷たい鉛の箱と親父の折れた骨
新台場の空から泥水の流れるスラムまで、夜空は赤と青の不気味な光で埋め尽くされていた。
治安維持局の無人探査機が無数に飛び交い、けたたましい警報音が荒川の河川敷にまで鳴り響いている。
俺たち三人は、追手の探照灯が作り出す光の網の目を縫うようにして、息も絶え絶えにボロ家へと辿り着いた。
「がはッ……!」
土間に転がり込んだ瞬間、俺は堪えきれずに胃液と血が混じったものを吐き出した。
翔太の体に砕かれた肋骨が肺を圧迫し、息をするだけで刃物で内臓をえぐられるような激痛が走る。
「あなた! しっかりして!」
背中に冷却装置を背負った由美が、泥だらけの手で俺の顔を抱え込んだ。
「源寺、ここもすぐに奴らの探知機に引っかかるぞ……。俺を置いて、由美と一緒に逃げろ」
「馬鹿野郎、寝言は死んでから言え」
源寺は足を引きずりながら、床板の畳を乱暴に剥がし始めた。
先ほど俺が武器を取り出した隠し場所――だが、源寺はそのさらに奥、土くれにまみれた「巨大な鉄輪」を力任せに引き上げた。
ゴゴゴゴォォッ……。
重々しい摩擦音と共に、地中の奥底から、分厚い「鉛の扉」が姿を現した。
「この地上のボロ家は、初めからただの目くらましだ。本命はこっちだ、早く降りろ!」
俺たちは這いつくばるようにして、錆びついた鉄の階段を地下深くへと降りていった。
背後で重たい鉛の扉が閉まると、地上の警報音も、土砂降りの雨の音も、完全に遮断された。そこには、身の毛のよだつような冷たい静寂だけがあった。
「ここは、旧時代に作られた『核攻撃や災害から身を守るための核シェルター』だ」
源寺が壁の配電盤を操作すると、古い白熱灯がチカチカと瞬き、広大なコンクリートの空間を照らし出した。
「源寺……なんで今まで言わなかったんだよ、お前」
俺は痛む胸を押さえたまま、奴を睨みつけた。
この七年間、いつ追手が来るかと怯えながら、隙間風の吹く地上のボロ家で必死に翔太の首を守ってきたのだ。
「簡単にこんなこと言えるわけねえだろ、お前……。お前にだって言えねえよ」
源寺は苦虫を噛み潰したような顔で、分厚い鉛の壁を叩いた。
「ここは、治安維持局の網の目をかいくぐって手に入れた、俺たちの最後の切り札だ。知ってる人間が多ければ多いほど、翔太の首が危険に晒される。だから、本当に死ぬか生きるかのギリギリまで、誰にも口を割るわけにはいかなかったんだ」
「……そうか、悪かったな」
俺は短く息を吐き、矛先を収めた。
「分厚い鉛とコンクリートの壁が、奴らの熱感知も生体探知も全て弾き返す。上空からどれだけ探査機を飛ばそうが、俺たちを見つけることは絶対にできねえ」
源寺は部屋の奥にあった巨大な独立発電機の電源を入れた。
低く力強い駆動音が、地下室を満たす。
由美はすぐさま、自分が背負っていた冷却装置の電源線を、発電機の主電源へと繋ぎ変えた。
……ブゥン、と。
翔太の命を繋ぐ装置が、安定した重低音を取り戻す。分厚い硝子の向こうで、俺たちの息子の顔は、今日も静かに眠っていた。
「……よかった。翔太、もう大丈夫よ」
由美は硝子に額をすり寄せ、安堵の涙をこぼした。
そして彼女は、鋭い目つきに変わると、部屋の隅から古い布の束と添え木を掴み、俺の前にひざまずいた。
「痛むわよ、あなた」
「……構わねえ。思い切りやれ」
俺は血に染まった上着を脱ぎ捨て、泥だらけの柱に背中を預けた。
由美は俺の折れた肋骨の位置を確かめると、一切の躊躇いなく、力一杯に布を巻き上げ、骨を強引に固定した。
「ぐ、おおおおォォッ……!!」
気絶しそうなほどの激痛に、俺の奥歯が砕けんばかりに鳴る。
脂汗が滝のように流れ落ち、視界が真っ白に飛んだ。だが、あの新台場で、息子の体を盾にされた絶望に比べれば、こんな痛みは虫刺されのようなものだ。
「……正面から乗り込んでも、あの体を取り返すことはできねえ」
俺は荒い息を吐きながら、暗い地下室の天井を睨みつけた。
「ああ。鉄があの体を攻撃できない以上、神崎の城で戦うのはただの的になるだけだ」
源寺も、残された右目を鋭く細めた。
「なら、どうする。親父」
「決まってる」
俺は、折れた肋骨を抑え込みながら、血の混じった歯を見せて不敵に笑った。
「神崎自身に、翔太の体を持ったまま、この俺たちの縄張り(スラム)まで降りてこさせるんだ。奴の城じゃ手も足も出なかったが、俺たちの地の利を生かした場所に誘い込めば、勝機はある」
「……なるほどな。だったら、その勝機を確実にする打ってつけの『罠』と、奴を呼び出すための極上の『餌』があるぜ」
源寺が計算機を弾きながら、ニヤリと獰猛に笑った。
「俺の仕掛けなら、息子の肉体に指一本触れずに、あの首の機械だけを完全に無力化できる」
巨大な権力から逃げ隠れるネズミの時間は、終わった。
冷たい鉛の地下室で、二人の親父の底なしの執念が、新たな反撃の罠を練り始めていた。
続く




