第18話 沈黙の冷却装置と隻眼の執念
荒川の河川敷に建つ小屋に、今日も冷却装置の重低音が響いている。
俺は泥と雨にまみれた扉番の外套を脱ぎ捨て、土間に座り込む源寺の前に身を乗り出した。
「源寺、手がかりを掴んだぞ。巨大組織の連中が、『七年かけて培養した特別な肉体』を闇の競売にかけるらしい」
「なんだと……?」
携帯端末の基盤をいじっていた源寺が、残された右目を鋭く光らせた。
「間違いない。富裕層の連中が、俺の目の前でそう話していた。買い手はもう決まっているともな」
俺の言葉を聞き、部屋の奥で白湯を沸かしていた由美が、静かに立ち上がった。
ひび割れた手で湯呑みを握りしめ、冷却装置の分厚い硝子越しに、眠り続ける翔太の顔を見つめる。
「あなた……」
由美の震える声が、狭い部屋に落ちた。
「その体……本当に、翔太なのね。七年間、見知らぬ誰かに使われ続けて、成長してしまった、あの子の体……」
「ああ。俺の勘がそう叫んでる。絶対に逃がしはしない」
由美は深く頷き、硝子にそっと額を押し当てた。その横顔には、母親としての凄絶な覚悟が宿っていた。彼女の言葉に軽さはない。七年間の泥水が、彼女の心を鋼のように鍛え上げていた。
「よし、鉄。その微かな糸口から、俺が巨大組織の深部まで喰い破ってやる」
源寺は無精髭の生えた顎を擦り、壁際に積まれた複数の計算機を起動させた。
かつて、奴らの防壁に挑んで左目の視神経を焼かれた男だ。だが、その指先は少しの躊躇いもなく、目にも留まらぬ速さで暗号鍵を打ち込んでいく。
「表の通信網じゃない。富裕層だけが使う、裏の秘匿回線に的を絞る。……七年ものの極上な肉体、闇の競売、事前取引……」
画面に無数の文字列が滝のように流れ落ちる。
俺と由美は、息を殺してその背中を見守った。冷却装置の駆動音だけが、翔太の心臓の鼓動のように脈打っている。
「……見つけたぜ、鉄」
数時間後。血走った右目を見開き、源寺が低く唸った。
「組織の末端から、競売の目録を引っこ抜いた。『特注の人工知能を定着させた、七年物の戦闘用素体』。……間違いない。翔太の体だ」
「どこだ。取引の場所はどこだ、源寺」
俺は思わず源寺の肩を強く掴んだ。
源寺は画面の座標を指差しながら、信じられないというように顔を歪めた。
「灯台下暗し、とはこのことだな。取引の舞台(お披露目会)は三日後……お前が毎日、這いつくばって扉を開けている、あのネオ台場の『高級料理店』だ」
全身の血が沸騰する音がした。
俺が透明人間になりきって、屈辱に耐えながら働き続けてきたあの場所。
そこに、七年間探し続けた翔太の体が、上流階級の慰み者として現れるというのか。
「……上等だ」
俺は、土間に放り出していた扉番の外套を拾い上げ、固く拳を握りしめた。
「三日後。俺が必ず、あいつの匂いを嗅ぎ分けてやる。どれだけ顔が変わっていようと、親父の俺が気づかないはずがねえ」
運命の糸が、今、不気味な音を立てて絡み合い始めていた。
続く




