じょーれんのお客様
ブォォォォン!
ゴブリンロードの咆哮は、ごつごつとしたダンジョンの壁の中で、底知れない威圧感とともに響き渡った。ビリビリと空気を引き裂き、地を揺らす轟音に、これまでも幾人もの冒険者が挑んできたのだろう。
ゴブリンロード。ダンジョン内に最も多く生息するモンスターとしても知られる「ゴブリン」達を取りまとめる王のことである。
その脅威度はAランク、同じAランクのエンペラードラゴンには劣ると言われているものの、紛れもなく、「王」に相応しい力を秘めたモンスターだ。
ガキィィィン!ダァァァァン!
「っらあ!『衝水!!」
僕がそう叫ぶと、どこからともなく上から水が降り注ぐ。多量の雫は、ほんの僅かの間だが、ゴブリンロードの視界を奪った。
─水属性魔法、衝水。それは、大地に水を注ぐだけの単純な魔法で、冒険者はもちろん、農家や商人といった、一般人でも扱うことの出来る、至って身近で基本的なものだ。だがこの単純な魔法がダンジョン深層で使われることは滅多にない。
なぜなら、モンスターを倒すには、この魔法はあまりにも攻撃力に欠けているからだ。
ダンジョン内という環境でこの魔法を放つとなると、魔力の制限が必要となる。密室空間の多いダンジョンで、魔力を制限せず、多量の水を放出すると、水のはけ口がなく、自分で出した洪水に、自分自身が巻き込まれてしまう可能性があるからだ。そのため、術者は思うように魔法が振るえず、十分なダメージをモンスターに与えることができないのだ。
ただ、この魔法にも優れている点はある。最も効率的に、魔力を消費せず、水を放出する事ができるという点だ。
そのためこの魔法は、魔力の乏しい駆け出しの冒険者が、目眩ましをしたり、時間稼ぎをしたりするときに、稀に使われることがある。
しかし、深層に潜り、モンスターが強くなるにつれ、モンスターの目眩ましになる時間はどんどん少なくなっていく。やがて、ほんの僅かな時間稼ぎよりも、少しでも魔力を消費することのほうが損になり、使われなくなる。
この衝水は、本来そんな魔法だ。
グゴォォォ!
ゴブリンロードは、突然現れた液体に、僅かに怯んだようだったが、それがただの水だと分かると、僕のいる方へ、凄まじい勢いで走ってきた。僕の背丈ほどもある棍棒を振り回しながら。あれをもろに食らったら、流石にひとたまりもないだろう。
「いいか。ゴブリンはとにかく力が強い。もし出会ったら、なるべく接近戦は避けたほうがいいぞ。特に、ゴブリンロード。あいつは危険だ。もしまともに殴りあったら、俺でも敵わないからな。」
─ふと、父さんがそう言っていたのを思い出す。
ゴブリンロードは変わらず、声を発しながら、僕に向かって突進してくる。
「…そろそろいいかな…。『雷鎚の球!』」
バチィィィィィ!!
そう言うと僕は、溢れんばかりの白の輝きを纏った愛剣を、力の限り地面に突き刺した。
流星の如く光る雷鎚は、水を介して地を這って、ゴブリンロードの足元へと届く。
グッ!?ガッ、ググゥアァァァ!!!
突然、足元から身体を刺すような痛みに襲われたゴブリンロードは、先ほどより数倍も大きな、耳を塞ぎたくなるような奇声を上げる。
グ…ググォァァ…
そして、ピクピクと、麻痺した身体を動かそうと、必死にのた打ち回ったが、しばらくして動かなくなってしまった。
雷鎚の球の電気に、水を通して触れ、感電したのだ。
「でも、その分ゴブリンは動きが鈍い。不意打ちとか予測できない攻撃に、すぐに対応することができないんだ。」
─そういえば、父さんはこうも言っていたな。
ドシャァァァァ…
ゴブリンロードの巨体は、ダンジョン内でゆっくりと崩れた。
身体の欠片を回収し終え、しばらくすると、僕は歩き始めた。普段なら、さらに深層に潜るか、今日はこのくらいにして帰還するか迷うところだが。
今日は別の目的がある。
「ここか…着いた…。」
前回はアリシィを待たせたくなかったから、こうしてじっくり眺めることはできなかった。
ダンジョンから隔離されたように佇む一つの光。木の看板。温かい空気感。温かい匂い。
チリンチリン
僕はもう一度来てしまったのだ。
ここ、「カフェ オルトロス」に。
「いらっしゃいませ!っあ!」
店内に入ると、入口でモップをかけていたメイド服の少女がこちらを見た。
「また来てくれたんですね!どうぞこちらの席へ!」
そして、前回同様、席を案内してくれた。
「ありがとうございます。あの、僕のこと、覚えててくれてたんですか?」
「もちろんですよ〜忘れるはずありません!なかなかここまで来てくれるお客様は少ないですしね!」
少女がそう言うのと、僕が席につくのはほぼ同時だった。
「それで、お客様。今日も『いつもの』でよろしいですか?」
すると、少女は唐突に僕にこう言った。ああ、そうか、何か頼まないと。ちょうどお腹も空いている。なににしようか─
ん?「いつもの」?
「えっと…?『いつもの』?ですか?」
「はい!『いつもの』!」
「『いつもの』?」
「『いつもの』!」
?「いつもの」とは?
常連客とかが毎回使っている「お決まりのメニュー」的なやつ?そういえば、前にいたギルドでは、毎日のように大酒を飲む冒険者が、この言葉をよく使っていた。
でも、僕がこの店に来るのは二回目だけど…。
「あの、『いつもの』というのは…?。」
「バゲットとかぼちゃのポタージュのことです!」
…ああ、前回も同じメニューを頼んだっけ…。まあ、いつものっていっても、頼んだのは一回きりなんだけどなぁ…。
「あ、前回頼んだやつのことですか…。でも…僕、常連客ってわけじゃないですし、『いつもの』って言うにはちょっと変というか、早い気が…。」
「そんな事はありません!」
少女は口をへの字にすると、僕にきっぱりとそう言った。
「また来てくれたんだから、もう立派な、『じょーれんのお客様』です!」
「え、えっと…じょーれん、ですか?」
「はい!じょーれんです!」
「そうです、かね…?」
「もちろんです!」
…じょーれんのお客様、か。まだ二回しか来ていないのに。
…でも、なんかいい感じだな。
そういえば、あれ以来、アリシィを連れて色んなところを転々としてきた。本当に長い間、歩いて、走って、馬車に乗って、宿屋を見つけて、ギルドに入って、モンスターを倒してきた。旅をしてきた。
だから、毎日通った思い出の場所とか、店とか、行きつけとか、そんなのは、何一つなかったな。
「僕は、『じょーれん』で、いいんですかね?」
「はい!」
僕は、この店で、人生初めての「じょーれん」になってしまった。
「それで、ご注文はどうされますか?」
「えぇっと…じゃあ折角なんで、『いつもの』で。」
「かしこまりました!」
そうして、少女はスタスタと去っていってしまった。
「やっぱおいしいなぁ…。」
前来た時も思ったけど、ここのごはんは本当においしい。ダンジョンの中で、どうしてこんなにおいしい物が作れるのか、本当に不思議で仕方がない。
ところで。
「…あの…いいですかね…?」
「はい、追加のご注文ですか?お客様。」
「そうじゃないんですけど、その…。僕のこと、『お客様』なんて、呼ばなくていいですよ。」
「えっ?」
少女は少し驚いた様子で、目を丸くした。
「いえいえ…お客様は、『お客様』なので、『お客様』と呼ばせて頂きますよ!」
「でも…。僕はあなたたちのおかげで、ダンジョンから脱出することができました。アリシィに…妹にまた、会うことが出来ました。あなたたちは、僕にとっての命の恩人なんです!だから…『お客様』なんてとても…。よければ気軽に、好きなように呼んでくれませんか?」
「…」
少女はしばらく黙ったままだったが、僕の方に顔を向けたかと思うと、ニコリと笑いかけた。
「分かりました!でもそのかわり、私のことも気軽に、『フロール』と呼んでください!」
「『フロール』ですか?」
「はい!」
─でも、命の恩人に呼び捨てなんて…
そう言おうと思ったときには、目の前の少女は、目をきらきらと、爛々と、輝かせていた。
「わ、分かりました。これからもよろしくお願いします、フロール。」
そう言うと少女─フロールは、 顔一面に笑顔を創り出した。
「もちろんです!アーシュ!」
「…あ、折角なのでお客様。」
「─えっ?」
すると突然、店のカウンターの方から声が聞こえてきた。声の主は多分、グラスについた水滴を丁寧に拭いている、黒スーツの青年からだった。
「私のことも、気軽に、『マスター』と呼んで頂けると幸いです。」
「ま、『マスター』?」
「はい、そう言って頂ければ。」
青年の方も、その細い目をさらに細くして笑いかけてきた。この青年からは、なんだか、やっぱり、どことなく只者ならぬ雰囲気を感じる。
「そ、それじゃよろしくお願いします。『マスター』」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。」
食事も終わって、一段落ついた。
またアリシィを待たせると怒られてしまうし、名残惜しいようだけど、そろそろ帰るかな。
「じゃあ、そろそろ帰ります。ありがとうございました。フロール、マスター。」
「こちらこそ、ご来店ありがとうございました。」
「またいつでも来てくださいね!アーシュ!」
チリンチリン
『お客様、またのお越しを心よりお待ちしております。』
二人は前来た時のように、また、声を合わせてこう言った。
「…あの、それも、『アーシュ』で大丈夫ですよ。」
「いえいえ、これはもう決まり文句みたいなものなので!変えません!」
「そうですか…。それじゃ、また来ます。」
『はい、お待ちしております!』
こうして僕は、二度目の「カフェ オルトロス」を後にした。




