取り敢えず腹ごしらえ
世界最大級の巨大ダンジョン、「オルトロス」。
その深部に存在する、「カフェ オルトロス」。
さらにその店内の、一番端っこの方の席で、今、僕は、黒スーツの青年から渡されたメニューと睨み合っていた。
正直、僕は今すぐにでもアリシィのところへ帰りたいのだが、少女と青年に、
「だめですよ!まだ怪我が治りきっていませんし…。帰るのは、せめて、何かこのカフェで栄養をとってからにしてくださいね!」
「腹が減っては戦はできぬといいますよ。」
と、引き留められ、あれよあれよと言う間に席に案内され、メニュー表を渡されてしまったのだった。これはしばらく帰れそうにない。
「しかし、ダンジョンのなかにカフェがあるなんてなあ…。」
ふと、ぼそりとこう漏らした。
正直言って、未だに信じられなかった。モンスターが蔓延るダンジョン内、しかも脅威度Bランクを超える、並の冒険者では刃が立たないようなものまで存在する、ダンジョン「オルトロス」の深部でカフェを開くなんて。そんなこと、普通だったら、自ら死にに行くようなものだ。そもそも誰も考えやしない突飛な発想だし、仮に思いついたとしても、無駄な思考だとすぐに切り捨てことだろう。
そんな常識外れで、支離滅裂で無茶苦茶な考えを現実にしているのは─。
僕は、ふと、窓の外の景色に目を向ける。
グウオオオオオオン!ウオオオオオ!
バン!バン!バン!
「…」
そしてそこからは、しきりにカフェの窓を叩き、威嚇するように叫ぶゴブリンの姿が見える。この穏やかなカフェ内と、外から見える景色のギャップがすごい。
しかしどれだけ窓を叩かれようと、叫ばれようと、このカフェには傷一つつかない。
なぜならこのカフェに、非常に強靭な「結界」が施されているからである。
「この結界は、少なくともAランクの魔物程度の攻撃では破れることはありませんから、ご心配には及びません。もし仮に何かあった場合でも、私どもが全力でお客様をお守りしますので。」
メニューを渡してきたとき、青年は確かこう言っていた。
…いや、Aランクの魔物って…。その辺のダンジョンボスと同等か、それ以上の力を持った存在なんですけど。そんなモンスターを簡単に封じ込める結界なんてあったら、もう国が動くレベルの問題なんですけど。
と思い、さっき青年にこの事も聞いてみた。
「ええ…。そ、そんな結界、今の魔法技術がひっくり返るくらいのとんでもない代物ですよ。もしあなたが冒険者だったら、A、いやSランクにさえなれるんじゃないかってくらいの、凄まじい力を秘めたものでは…。」
出来るだけ冷静になって言ったつもりだったが、実際は、興奮で心臓がはち切れるくらいにバクバクと音をたてていた。
「確かにそうかもしれませんが…。実はこのカフェと結界は、私が『先代』から受け継いだものなのです。『先代』は、ただ私に、『この店を任せた』とだけ伝えたあと、その日のうちに、何処かへ遠くへ旅立たれてしまいました。私に基本的なカフェの接客方法も、運営方法も、もちろん結界についても、何も教えずに、です。あのときは非常に強い憤りを感じましたねえ…。」
青年は至って落ち着いた口調でそう言ったが、明らかに、話し方から『先代』への怒りが滲み出ていた。怖い。
「『先代』、ですか?」
「はい。私は直接、『先代』と血縁関係にあったわけではないのですが、昔、少しばかり縁がありまして。ある日突然、この店のマスターを任されてしまいました。そのため、私は結界の仕組みや技術について、詳しいことはなにも知らないのです。」
「そうなんですね。」
残念なような、ほっとしたような。
この結界が、このカフェ以外でも実現出来るのだとしたらすごい。本当にすごいけど、これは、それだけで終わらせられるどころの問題じゃない。少なくとも、僕は面倒事にはあまり関わりたくないので、個人的には、この結界に実用性はないと知り、安心した。
─さてと。
思えば昨日から、ずっと驚きっぱなしだ。突然に姿を現した「魔法種」。少女と青年に助けられて、目覚めた場所は、カフェの中。しかもそこは、ダンジョンの中に存在していた。
もうそろそろ脳の処理が追いつかなくなってきた。これ以上考えるのも、もうちょっと疲れた。やはり先ずは何か腹ごしらえをしよう。
そう思い、僕はメニュー表へと目を向ける。
サンドイッチ、ホットドッグ、パンケーキに…ここからはコーヒーか。
「メニューは意外と普通なんだな。」
などとぼやきつつ、何を注文するか考える。
昨日から何も食べて居ないから、確かにお腹は空いている。しかし、大怪我の後にいきなり固形物を食べ過ぎるのも、あんまり良くないだろう。何か軽いものがいい。
「すみません、注文いいですか?」
僕はほうきを持ち、店内をパタパタと掃除していたメイド服の少女に、声をかけた。
「はい!もちろんです。」
「ええと、このかぼちゃのポタージュと、バゲットをください。」
「かしこまりました!お飲みものはどうされますか?」
「オレンジジュースで。」
注文を終えると、少女はパタパタと、カウンターへ走っていった。
カウンターでは、青年が食事を作ったり、食器を洗ったりしている。少女は接客担当で、青年は調理担当らしい。
しばらくして、青年は僕のポタージュを作り始めた。一つ一つ手作りらしい。手間がかかっていておいしそうだ。
僕はなんとなく、店内を見渡してみる。
木でできた床と壁に、席が十五席ほど。もちろん、店内はがらがらで、いるのは、多分僕と同じぐらいの歳との少女と、やや細めの目をした、黒スーツの青年だけだ。
それと、ここがダンジョンの奥地ならば、地上よりもずっと空気が薄いはずだが、ここでは何故か問題なく呼吸ができている。これも「結界」のおかげなのだろうか。
「お待たせしました。オレンジジュースとポタージュ、そしてバゲットですね!」
「あ、ありがとうございます。」
そんなことを考えていると、食べ物が運ばれてきた。なんというか、どれもきらきらと輝いている感じで、とてもおいしそうだ。
僕はまず、バゲットに手を付ける。
ぱくり。むしゃ。ごくり。
「う、うまぁ…。」
う〜ん、もっちり〜。ふあふあだあ〜。
カリッとした外側の皮と、弾力がありながらも柔らかい内側が交ざり合い、口の中でハーモニーを奏でている。
すごくおいしい。
続いて、かぼちゃのポタージュにも手を付ける。
ズズズ…。ズズ…。
うん…こっちも絶品だ。温かいスープが、疲弊した僕の身体に浸透していくのが分かる。濃厚なかぼちゃが口で広がって、これもバゲットに引けを取らないほどにおいしい。
ごくっごくっ…
途中でオレンジジュースを挟む。
これも、オレンジのフレッシュな感じと、程よい酸味と甘みが心地よく、どんどん喉を潤していく。
僕は夢中で食べ進めてしまっていて、我に返った頃には、食器の中はすっかり空になってしまった。
美味しかった。お腹も満たされた。心も満たされた。
ふう…。栄養を摂取できたからか、僕の頭の方もだんだん回転し始めた。
僕が今どこにいるのか、何をしていたのか、これから何をするのか、一つ一つ整理する。
「…うーん…でもなあ…。」
─しかし、どうしても僕の中で納得がいかない、腑に落ちない点が、一つあった。
「ちょっといいですか?」
僕は、隣の席のテーブルを拭いていた少女に、声をかける。
「はい!追加のご注文ですか?」
「いや、違うんですけど…。どうしても気になったことがあって…。」
「気になったこと、ですか?」
「はい。─その、なんでこんな人の寄りつかない場所に、ダンジョンの中に、カフェを作ったんですか?」
それは、もし僕と同じ状況に陥ったならば、恐らくほぼ全ての人間が抱くであろう疑問であり、僕の中で一番まとまった結論が出ない疑問だった。
結果的に僕は、ダンジョンの中にカフェがあったことで助かった。しかし、この様子だと、普段は滅多に客はやって来ないんだろう。当然だ。ここは、ダンジョンの89階層なのだから。
ダンジョンの中は、ただでさえ薄暗く、地上からは遠く、危険に満ちている。カフェに張られた「結界」の維持は、きっと大変なはずだし、さっきのポタージュやフランスパンは美味しかったけど、ダンジョンの中まで品質を落とさず食材を運ぶというのは、困難を極めるはずだ。
そこまでして、『先代』から受け継いだというこのカフェを続ける理由が、僕には思いつかなかったのだった。
しかし、そんな僕の疑問に、少女はまた、その問いを待ってました!といわんばかりに答えてくれた。
「フッフッフ…。確かに、ダンジョンの89階層にあるこのカフェに立ち寄ってくれるお客様は数少ないです。食材調達も大変ですし、正直、赤字経営ですね。」
「…じゃあなんで…!」
「─それは、放っておけないからです。」
「放って…おけない…?」
「はい。…ダンジョンを進む冒険者の皆様は、最初、大抵何か目標があり、夢があり、歩き続けています。目を輝かせて、夢を追いかけ続けて。それは、とってもいいことだと、私は思います。でも…。」
「でも?」
「─でも、夢に向かって進んで、進んで、進んで。いつか、ただ「ダンジョンを進む」ということだけが、今の目標だ。昔持っていた夢なんて、もうとっくに忘れてしまった。…そう言う冒険者の方々を、本当に、よく見てきました。だから、そういう冒険者の方々を私は放っておけないんです!」
「ただ進むことだけが、目標…。」
僕は、どう、だっただろうか。
あれ以来、アリシィのために、走り続けてきた。どれだけ辛いことがあっても、大怪我をしても、本当に、長い間、走って、走って走って…。
─いつしか、「止まってはいけない」と、自分以外の誰かが、僕に囁きかけてきていた。
走らないことは罪だと、僕に話しかけてきていた。
止まってはいけない、止まってはいけない、止まっては…。
「僕も…ずっと『走らないといけない』って…思ってました。ダンジョンを進んで、未来へ進んで、自分を犠牲にしても、進まないことは罪だって…。ずっと、ずっと、思ってました。」
「そうですか…。なら、ここを、もう一度、自分を見つめ直す場所に、夢を見つけられる場所にしてください!きっとお客様自身の本当の夢が、目標が、必ず見つかります!私も、マスターも、もちろんお手伝いします!」
「そうです、お客様。一度立ち止まってみることで、見えてくる景色もきっとあります。少なくとも、私はそう思います。」
今まで黙々と食器を拭いていた青年まで、口を挟んできた。
…僕の、夢って?
僕は、もともとアリシィを守るために冒険者に…。
いや、違う。
「アーシュは、将来の夢はもう決まっているのか?」
「うん!僕、冒険者になりたい!お母さん、お父さんみたいな、立派な冒険者になりたい!」
「ふふ。そうなのね。それなら、誰かを命懸けで守れる存在ならないといけないわね。もちろん、無理は禁物だけど。」
「そうだぞ、アーシュ!冒険者は、誰かの憧れとなるための仕事だ!分かったか?」
それは、父と母との記憶。忘れていた、思い出したくなかったはずの、記憶。
そうか、僕は。
「冒険者に憧れたから…冒険者になったんだな…。」
「改めて、本当に、本当に、色々とありがとうございました。」
「いえいえ、とんでもございません。」
またしばらくして、ごはんを食べ終えた僕は、帰る身支度をしていた。愛剣を手に取り、扉の前まで行くと、少女と青年が見送ってくれた。
「またダンジョンに潜ることがあれば、いつでも来てください!お待ちしてます!」
「ええ、いつでもここで、お待ちしております。」
チリンチリン
開戸を告げる、ベルが鳴る。
『お客様、またのお越しを心よりお待ちしております。』
カフェを出るとき、少女と青年は、声を合わせてそう言った。




