ダンジョン「オルトロス」の探索
ダンジョン「オルトロス」の90階層以降、通称「死者の領域」。世界有数の巨大ダンジョンであるオルトロスの深部。そこは、これまでに数え切れぬほどの冒険者が挑み、そして夢半ばにして敗れ、闇に葬られた絶望の墓場である。
オルトロスの深部が、通常の比にならないほどの危険度を誇り、冒険者を戦慄させ、死者の領域とまで呼ばれている理由。
それは、「魔法種」の存在のためだ。
魔法とは、もとは古代大陸ユグドラシルの初代最高指導者、オーディンによって発見されたという、空気中の魔力を別のエネルギーに変換する技術である。
魔法は、大きく分けて、炎、水、風、雷、土、光、闇の7つの属性で構成されている。それぞれの属性に特徴があり、熟練の魔法使いならば、複数の属性を同時に扱うこともできる。
魔法は人類の発展に欠かせない存在であり、今やあって当たり前のような、生活の一部となっている。
人類が、魔法を使いこなし、古くから利用することができたのは、魔物と比べ圧倒的に高い知能を持っているからだと言われている。
複雑な術式や詠唱を必要とする魔法は、雄叫びのような声を発することが関の山の魔物には使えない。
つまり魔法は、非力な人類が魔物に対抗できる唯一の術と言っても過言ではないのだ。
しかし。
この世界には「魔法種」と呼ばれる例外が存在する。魔法種は、魔物でありながら、高い知能を兼ね備え、魔法を自在に操ることができる。ダンジョンの奥地で極稀に現れる魔物の最上位種である。
もし魔法種である場合、それがスライムやゴブリンといった雑魚敵であるとしても、脅威度はCランクにまで跳ね上がる。それほど魔法種というのは特殊で危険な存在なのだ。
そしてここ、オルトロスの奥地が恐れられている理由。それも、圧倒的な「魔法種」の出現率の高さにあるのだった。
「グォォォォン!」
薄暗く孤独なダンジョンの89階層。僕は自らの背丈を遥かに凌駕する大きさのゴーレムと対峙していた。
バゴォォォウ!
ドシャァァ!
次から次へと繰り出されるゴーレムの拳を間一髪のところで受け流すと、僕は腰に掛けた鞘から稲妻の如く光る剣を引き抜く。
「っと。あぶねー。」
そして絶え間のないゴーレムの攻撃を避けつつ、手元で光る雷に魔力をかける。
「─増幅雷魔法、助長雷天!」
バチィィィィ!
雷はさらに輝きを増し、モンスターの血に飢えたように、眩しさは辺りを包み込む。
「ゴォォォ!」
そして、本能のままに突進してくるゴーレムに狙いを定め、正面から切り込んだ。
「ふう、まあこんなもんかな。」
戦いを終えた僕は、バラバラになったゴーレムの、大きめの欠片を、一つバックに入れる。帰還する際、ダンジョンの何階層まで探索したかの証明材料に、モンスターの欠片は必須なのだ。
「さて、次が90階層か…。」
テュポンの街にやってきて3日。ギルドで軽く絡まれたりしたが、ダンジョン探索の方は順調にここまで来れた。
「確か、90階層以降は、死の領域とか言うんだっけ。」
死の領域。幾多もの冒険者を葬ってきたという、ここオルトロスの奥地。
回復用ポーションは尽きている。今からでも90階層へと向かうべきなのか。今日は諦めて帰路につくべきなのか、正直僕は迷っていた。
やはり、いつになっても、命の危険に常に晒されているダンジョンを進むというのは、怖い。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
でも、もっと怖いものがある。
─アーシュ、お前は先に行け!絶対に振り返るな!止まるな!前だけを見て走れ!
…そうだ。僕は止まれない。こんなところで休む暇なんかない。大丈夫、僕は史上最年少の、「Aランク冒険者」なんだから。きっと無事に帰れる。
そう自分自身を奮い立たせると、僕はダンジョンの深部へと足を進めた。
「ここか…。」
しばらくして、僕は一つの門の前に立っていた。ところどころに汚れや錆が見られるものの、それはまるでオリュンポス王国の絢爛な王室を思わせるような、赤く立派な門である。僕が門の前に立つと、その赤はより一層輝きを増した気がした。
ギギギギ…
門は錆びた音を立てながら、開かれる。
「これは…。」
その先にいたのは、先ほどのゴーレムとは対照的に、小柄で非力そうなアンデッドだった。
それを見て僕は小さくため息をつく。
89階層のゴーレムのような、特段、力が強そうなモンスターではなかったので安堵したのではない。むしろその逆、そのアンデッドのもつ雰囲気はあまり異質で、僕は背中の辺りに嫌なものを感じたのだ。
そのアンデッドは僕に気づくと、突然、持っていた杖を僕の方に向け、囁くようにいった。
「…炎槍」
「ッッ!」
その言葉、いや詠唱を聞き、僕は反射的に上空へ飛ぶ。
ダッダッダッ!
その直後には、僕の居た地面は灼熱の槍で燃えていた。かと思うと、アンデッドは僕を睨みつけ、また杖を構える。
「氷槍」
ボゴォォォン!!
殺意のこもった氷の槍は、空中で爆散した。
「はあ…はあ…。」
空中で身を捩り、愛剣を盾にして、なんとか致命傷は避ける事が出来た。それでも。
僕は自身の右足を見る。感覚はあるが、アンデッドの放った氷槍が深々と突き刺さっており、もうまともには動けないだろう。
マジでなんなんだあいつは…。魔法を使う魔物?噂程度に聞いたことはあったけど、まさかあいつが「魔法種」?
くそ…、油断した。部屋に入ったとき、すぐにアンデッドの杖を警戒しておけばよかった。そうすれば、もっと別の未来が…。僕はもっと…。
ザッザッザッ
「っ!」
アンデッドの足音で僕の意識は現実に引き戻される。こんなことを考えている暇なんかない。奴の氷槍の爆風でできた霧が晴れないうちに、何か策を考えなければ。
どうすればあいつに勝てる?足は動かないが体力には余裕がある。僕の最大火力で一か八か賭けに出る?いや、相手はアンデッドだ。一度死んでも復活する。
逃げるしかないのか?
僕の今出せる最大火力で地面に魔法を放てば、風圧で身体を飛ばし、門を破り、足を使わなくても、無理やり外に出ることはできるだろう。
僕は、逃げるしかないのか?逃げて、逃げて、ただ逃げるだけ。駄目だ。僕は何も変わってなんかいない。あの日から、絶望を知った日から、なにも…
「氷槍」
「なっまずっ!」
気づけば霧は晴れており、背後にはアンデッドが杖を構えている。
正に絶対絶命。
「雷鎚の球!!」
バシュュュュュウ!!!
衣服の先は奴の氷槍で微かに凍てつき、脳は一瞬死を感じた。
僕は本当にギリギリのところで、本能的に魔法を放っていた。
「ゲホッ、グエ、う、おえええええ…。」
あれからどのくらい歩いたのだろうか。なんとか90階層から逃げることはできたが、想像以上に脱出時のダメージが大きい。視界がぐらつく。前が見えない。僕は愛剣を杖のようにして重い右足を引きずりながら歩いていた。
「う、うえ…はあ、はあ…。」
ドサッ
無理だ。もう歩けない。ああ、やばいな。これはマジで死ぬ。死ぬ、死ぬのか…僕。
父さん、母さん、今どこにいるのかな。何処かで僕のことを見てくれてるのかな。
「ゲホッゲホッ!」
思わず口に手を当てると、生温かい血がべっとりと付いている。
ああ、終わったな。
父さん、母さん
約束守れなくてごめんなさい。
アリシィ
ごめんな
─大丈夫ですか?…ますか?起きてください!
誰、アリシィ?そこにいる?
─あっ!目を覚ましました!マスター!来てください!
アリシィ、なんでこんなところにいるの?危ないって…
─大丈夫です!もう少しですからね!
ありがとうアリシィ。もう…大丈夫…そう…
「ッハア…ハア…ハア…アリシィ!」
僕は気づけば上体を起こし、アリシィへと手を伸ばしていた…。はずだったが、その右手はアリシィではなく、何故か全く別の少女の肩に触れていた。
メイド服を着ているその少女は、少し目のあたりが潤んでいて、安心したような顔つきで、僕の顔をまじまじと見てきて…。
「よかった…。本当に心配しましたよう…。」
そして、肩に触れた僕の手を、強く、強く、本当に強い力で握りしめた。
「えっいや、あの、あなた誰、って痛い、あの、ほんとに、ちょ、痛い痛い痛い!」
ミシ、ミシ、ピキッ。
握っているのは手だけだというのに、僕の体のあちこちにから、嫌な音が立ち始めた。マジで、本当に痛い。どんな馬鹿力だよ…。
「あっごめんなさい…。私、力のコントロールが下手くそで…。ってうわ!」
その少女は、すぐに僕の手を離した。と、思ったら、そばにあった椅子に足を引っ掛けて、盛大に転んでしまった。
「あいたたたた…。」
「えっ…あの大丈夫ですか…?」
「あはは…大丈夫です!体は丈夫なので!」
そう言うと少女はすぐに立ち上がり、パッパッと服についた埃を払う。
「うちの店員が大変お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ございません。」
とその時、背後から突然声が聞こえてきた。振り向くと、黒いスーツに身を包んだ、スラリと背の高い青年が、そこに立っている。
「マスター…。そんな言い方しなくてもいいじゃないですかあ。私、昨日から夜通し回復魔法をかけ続けていたんですよ!」
「ハッハッハ。それは失礼致しました、フロールさん。さて、改めましてお客様。」
「改めましてお客様!」
そしてその少女と青年は、少しだけかしこまった後、声を合わしてこう言った。
『ようこそ!カフェ オルトロスへ!』




