ロイドとアーシュ
最初に俺が冒険者を志したのは、二十歳を過ぎた頃だった。冒険者を目指すには、あまりにも遅い年齢だった。周りからは散々反対されたが、俺の決心は固かった。
慣れない生活を続けていた。常に死と隣り合わせのこの職に、俺はなかなか馴染むことができなかった。眠れない夜が数え切れない程に過ぎていった。
しばらくギルドに通っていた。すると、他のテュポンのギルドの冒険者達は、俺を実の兄のように慕ってくれた。人を取りまとめるというのは、昔から結構得意だった。もともと冒険者を始めるのが遅かったから、駆け出しの冒険者の中では俺が、ギルドで一番年上だった。
俺には剣技の才能があるわけでも、魔法の才能があるわけでもなかった。
駆け出しの冒険者の頃は、その辺の魔物相手に、負けに負けた。折角整えた武具はすぐに使い物にならなくなって、心は折れかけた。
何度も冒険者を辞めようと思った。
しかし、仲間がいた。いつもこんな俺をリーダーとして見てくれている仲間がいた。リーダーがへばって諦めるなんてことは、言語道断だ。当然、辞めることはできなかった。
長い時間をかけて、着実に、確実に、俺は強くなっていった。冒険者ランクは年を重ねるごとに、一つずつ上がっていた。
仲間と共にパーティーを組んで、モンスターを倒しに行ったこともあった。最初はバラバラだったパーティが、日を追うごとに息が合うようになり、自身の、そして仲間の成長を実感した。
冒険者ランクが、冒険者としての上澄みと呼ばれるCに上がった頃には、俺はすっかりおっさんになっていた。
今はもう、全盛期の若い頃のように派手に暴れることはできそうにないが、これまで経験した出来事と冒険者としてのランクC、そしてギルド酒を交わす数多くの仲間が、俺の冒険者としての人生を物語っている。
ある日の事だった。
俺はいつものように、仲間たちと酒を飲み、愚痴を言い合っていた。
「俺なんかもう十年以上、防具を変えてないぜ。流石にボロボロだ。なのに最近の防具は高いったらありゃしない。一式買い揃えようとしたら、家が一つ建つぐらいの値段だぞ!」
「なんでも、鍛冶屋が足りていないらしいぜ。最近の若いやつは、王国の騎士団に夢中みたいだし、成り手がいないんだろう。」
「しかし…俺らの身にもなってほしいよなあ…。こっちは命賭けて戦ってるってのによお!」
そんな事を言い合っていたとき。
入口からある一人の冒険者が姿を現した。
冒険者はかなり幼いように見えた。大体16、7歳ぐらいだろうか。そして冒険者は、自身の背丈とあまり変わらぬほどの大剣を持っていた。
「…うわ、出たよ。たまにいるんだよな、冒険者気取りのいいとこの坊っちゃんが。」
思わず、仲間はこう漏らした。
冒険者という職は、常に危険が伴う。毎年多くの犠牲者が出ているし、ギルドもその数を完全には把握しきれないほどだ。
しかしその危険さに憧れ、幼い頃から冒険者を目指す子供も多い。だがそういう大抵の子供は、冒険者に憧れるだけで、実際に冒険者になろうとはしない。最近の武具は高く、冒険者の登録手続きにも第三者の了承が必要であるため、行動に移すことはないからだ。
ただし、貴族など高い身分の息子となれば話は別。金は余る程持っているし、コネでギルドの了承を得ることも容易だ。そのため貴族の子供の「冒険者への憧れ」は、現実化することも多い。
そして戦場では、そういう奴等から先に命を落とす。
この冒険者もそうなんだろう。何処かいいとこの出で、順風満帆な人生を送ってきたに違いない。持っている立派な大剣がいい証拠だ。
冒険者は、暫く入口のドアの前で立ち止まっていたが、ほどなくしてギルドの受付へと歩みを進めた。
ところで、俺は立ち上がった。
「おい、お前…。」
そこで俺はその冒険者に話しかけた。
その後のことは…詳しいことは朧げで覚えていない。ただ、その冒険者にかなり酷い事を言ってしまったのは確かだ。酒の勢いもあって、冒険者を茶化すような事を言った。貴族かどこかの坊っちゃんが、憧れの冒険者として命を落とさないように、ギルドに嫌な印象を植え付けようとした。
「退けよ。」
─その一言で、瞳で、俺は理解した。
この冒険者は、冒険者とは何か知っている。
もう既に、戦場にいる。
俺は魂が抜けたような感覚に陥り、膝から崩れ落ちた。程なく、嫌な汗が背を降りた。
そのとき俺が感じたのは、底知れない恐怖だった。駆け出し冒険者の頃に幾度となく味わった、絶望と恐怖だった。
モンスターに挑み、敗れ、折られた剣を片手にひたすらにダンジョンを彷徨った時の記憶を思い出した。追ってくるモンスターが果てしなく大きな存在に思えた。
今淡々と、ギルドの受付へと向かう、一人の小さな冒険者のように…。
─そして今、そのときと似たような恐怖を、俺は感じている。
ガボッ ゴボッ ゴボ…
シュウゥウウウーーー…
何かが溶ける音
瞬く間に蒸発する音
武具が溶け出しそうなほどに近く感じる、熱
あつい、あつい、あつい…
何より恐ろしいのは、この熱を発しているのが、意志を持った一つの生命体であるということだ。
ジュウウウウウ…
僅かにある隙間から見えるのは、溶岩のように赤黒い色をし、全てを焼き尽くす、灼熱のスライムだけである…。
「先に進みましょう!」
そう言った僕は、レイたち冒険者を連れ、ダンジョンの奥地へと歩みを進めた。
「アーシュ、この辺りだ。ロイドさんの冒険者ライセンスが見つかったのは。」
後ろを歩いていたレイが不意に言った。
「この辺りですか…。ということはロイドさんは、かなり深層まで進んでいたんですね。」
今は74階層。その辺の冒険者ならば刃が立たないであろうモンスターがそこら中にいる領域だ。
「ロイドさんはCランク冒険者だからな。冒険者の中ではかなりの上澄みだ。ちなみに俺はDランク。ロイドさんは、いつもギルドで酒を飲んでる冒険者の中では、多分一番強いよ。─だから、そう簡単にはやられない。そう信じている。」
レイの瞳からは、ロイドへの厚い忠誠心が見て取れる。ロイドを心の底から信じているのだ。
僕は、このギルドに来て日は浅いので、あまり詳しい関係は分からないが、ロイドという人物は、多くの冒険者から深く信頼されているのだろうと思う。そう実感する。
僕はまた歩みを進める。
ガタッ
その時だった。嫌な音がした。
─地が揺れた。いや正確には、沈み込んだ。罠を発動させるためのスイッチとして。冒険者をダンジョンの彼方へと送り込むための、起動装置として。
ほんの一瞬の油断が、ダンジョンでは命取り。そんな言葉を思い出す。
突如出現する魔法陣は、抵抗する間もなく展開され、僕の視界はほんの僅かの間、白く眩い光に支配される。
「ところでアーシュ、アーシュは今何歳なんだ?そういえば、年齢を聞いたことがないと思って…。…あれ?アーシュ?どこだ…?」
レイは辺りを見渡すが、そこにアーシュの姿はない。もちろん影すら見当たらない。
ダンジョン74階層に残されているのは、岩場に刻まれた、アーシュの足跡だけである。
「ここは…?」
アーシュは、ダンジョン内のさらに深層、尋常じゃない数の強力なモンスターが、次々と冒険者を襲う、通称「死者の領域」に転移させられていた。
「確か僕は、転移トラップに引っかかって…。そうだ!レイや他の冒険者はどこに…。居ないか…。」
転移先に他の冒険者の姿は見えず、声は反響するだけだ。きっとレイたちは、トラップには引っかからなかったのだろう。
「こんなに広いダンジョンで、たった一人か…。」
普段ダンジョンへは一人で潜っているので、今更孤独感のようなものはない。でも、賑やかさが失われると、やっぱりどこか寂しい。
─しかし。これは逆にチャンスと言えるかもしれない。もしロイドが僕と同じトラップを踏んだのだとしたら、この近くに飛ばされているはずだ。下手に低層を探しているより、いっそのこと自分もトラップにかかり、その転移先でロイドを探すほうが明らかに効率的なはずだ。
…問題は、ここがダンジョンの何階層なのか分からないという点だ。僕はなんとか、このダンジョンの90階層までは潜ったことはあるものの、魔法を操るモンスター、「魔法種」に返り討ちにされた。もしここがその90階層よりも深層だとしたら、自分では到底敵わないモンスターがそこら中にいるはずだ。
だが、迷っている暇はない。
ここで、ロイドが助けを求めているかもしれない。
「行くか…。」
僕は父の大剣を片手に、広いダンジョンの中を探索し始めた。
「おかしいな…。」
暫く歩き続けて、僕はある違和感に気づいた。どれだけ彷徨っても、モンスターに全くと言っていいほど出くわさないのだ。
通常ダンジョンでは、複数のモンスターが生息している。モンスター同士が直接接触することは殆どない。しかし、ダンジョン深層などではごくごく稀に、モンスター同士の抗争が発生することもある。その理由として挙げられるのが、深層のモンスター達は、争う理由を持つ程度に、高い知能を持っているからではないかという説である。
こうしたモンスター同士の争いが起こり、一定の数のモンスターだけが残る。争いを勝ち抜いた、より強いモンスターだけが。
…この階層にはモンスターがほぼいない。ということは、前にモンスター同士の抗争が起こったのではなかろうか。
そして、その抗争に勝ち残ったモンスターはきっと…。
「あと探していないのは、この奥だけか…。」
─この重厚な扉の奥で、凶暴な力を秘めながら、来る敵を待ち構えているに違いないだろう。




