オルトロスの底で
ギルドが、やけに騒がしかった。
それも、普段のような、冒険者の活気が溢れんばかりの騒々しさではなく、何か予想だにしなかったことが起こったような、どこか不穏で嫌悪感を覚える、そんな雰囲気。
右往左往するギルドの冒険者達を眺めながら、その雰囲気を、僕は感じている。
「あ、アーシュ、ギルドに居たのか!」
すると、受付前の最も大きいテーブルに座る長髪の冒険者、レイが話しかけてきた。
「はい、今ちょうど来たところです。レイも来てたんですね。…ところで、この騒ぎは一体…?」
「ああ…実はな…。」
何かを言いかけて、レイは、口ごもり、俯いた。その表情は、どこか深刻そうで、僕も不安になる。
「もしかして…何か…ギルドで良くないことが起こったんですか?」
僕がそう尋ねても、レイは微動だにせず、机の一点を見つめている。
「ロイドさんを…見ていないか…?」
しばらく沈黙が流れたあと、レイはゆっくりと、重々しい口を開いた。そしてその口から聞こえてきたのは、僕にも聞き馴染みのある名だった。
「ロイド…?いや、そういえば最近見ていないですね…。てっきり長いことダンジョンに潜ってるのかなと思ってましたけど…。彼に何かあったんですか?」
「そうか…見ていないか…。」
僕が答えると、レイは落胆を顔に浮かべて、大きく息をついた。
「実はな…ロイドさん、もう一週間も行方が分かっていねぇんだ。誰とも連絡がつかねえ。こんなこと、今まで一度もなかった…。ギルドでは、ダンジョンの転移トラップに引っかかったんじゃないかって噂されてる。」
「…え?」
ロイドさんの、行方が分からない?
転移トラップに引っかかった?
それってつまり…。
「─アーシュ、いいか。ダンジョンでの本当の脅威は、モンスターじゃない。トラップだ。お前も冒険者になるんだったら、本当に気をつけろ。特にお前がある程度、大きく強くなったらな…。所詮トラップだ、と慢心したやつから、ダンジョンでは命を落とす、いいな。」
僕はまた、父の言葉を思い出していた。
─ダンジョンの転移トラップ。それは、冒険者のダンジョンでの死因の、約三割を占めると言われている、非常に凶悪で残酷な罠のことである。
ダンジョン内での死因、その殆どは、言うまでも無くモンスターとの戦闘の敗北によるものだ。しかしながら、真っ向にダンジョンに挑み、敗れる冒険者の数は、そこまで多い訳では無い。ある程度経験を積んだ冒険者ならば、己の実力を十分に理解しているため、そもそも自分より強いモンスターのいる階層より、深く進もうとしないからだ。
だがダンジョンには、転移トラップというイレギュラーな存在がある。
転移トラップというのは、ダンジョンに出現する、ダンジョンの深層まで強制的に転移させられる罠のことだ。不定期に出現するため、これといった対策もなく、一度その罠にかかれば、一流の冒険者でも命を落とすことはざらにある。
けれども、戦い慣れた冒険者ほど、このトラップを軽視する。自分はダンジョンを十分に理解している。多少深層に飛ばされても、長年の知識を生かし、脱出できるだろうと慢心してしまうことが多いのだ。
結果的にその油断は、ベテラン冒険者の、ダンジョンでの死亡事故につながる。
「ダンジョンの転移トラップに飛ばされた…。それは本当なんですか…!?」
「まだ確証はない。ただ…ダンジョンで、ロイドさんの冒険者ライセンスが見つかった。それに、ロイドさんがここまでにギルドに来なかったのは初めてだ。そこで何かあったのは間違いないだろう。」
レイは話し続けた。その声が、段々と暗く落ち込んだものになっていったのが分かった。
「今、俺達冒険者の間で、ロイドさん探索隊を組んでいるところだ。今日中には、ダンジョンを潜る予定を立てている。」
ダンジョンの転移トラップ…。トラップ…。
思い出したくもない。
記憶の底に渦を巻く、あの日を。
あのときを、
絶対に…、絶対に。
忘れたいのに、忘れてはいけない。
「僕も、今からダンジョンに行ってきます。」
気づけば僕は、レイにそう言っていた。
「…駄目だ。」
しかし、レイは僕がそういうのを予知していたのかのように、はっきりと、僕の言葉を否定した。
「アーシュ、今回の件は、これまでロイドさんにお世話になってきた、俺達オルトロスの冒険者の仕事だ。お前がもし、ロイドさん探しに協力してくれるというのなら、確かに心強い。しかし、ダンジョンは危険も多い。お前が強いのは知っているが、全くリスクのないダンジョン探索ってのはない。第一、アーシュにはロイドさんを命をかけて守るような義理はないんじゃないのか?俺達は、ロイドさんに沢山お世話になった…だから、ここは俺達冒険者…。」
「違います。」
覚悟を決めた目をして、話し続けるレイの言葉を遮り、僕は言う。
「ロイドが…、ベテランの冒険者だ、とか、このギルドの親分的存在だ、とか。だからレイさん達がダンジョンに行く、とか。…そうじゃない、そうじゃないですよ!」
「そうじゃない?」
「ロイドさんは…一人の冒険者である前に、一人の人間です。僕は…。」
一人でも多くの人間を、救いたいんです。
僕がそう言うと、ギルドは突然静寂に包まれた。ふと見ると、先程まで慌てふためいていたはずの冒険者が、全員こちらを見ている。いつの間にか、レイとの会話を聞かれていたのだろうか。
そう思ったら。
「なんだ兄ちゃん、いいこと言うな!」
「そうだ、ロイドさんを俺達が救うんだ!」
「おいおい、お前がヒーロー気取りかよ!」
「いいじゃねぇか!たまにもカッコつけさせてくれよ!」
「俺達荒くれ者が、一人の人間を救うんだとよ!」
ギルドは、僅かながら、普段の活気を取り戻したようだった。
ダンジョン オルトロス 72階層
「これで、大体のモンスターは討伐しましたかね。」
レイを含むロイドさん探索隊の面々、それに僕は、もう既にダンジョンに潜りこみ、探索を続けていた。
「これは…ちょっと想像以上だったな…。」
そして、積み上げられた大量のモンスターの屍を前にして、レイは僕に言った。
「それほどでもないですよ。早く先へ進みましょう。」
そして、武装した他の冒険者たちも、ぽかんと大口を空けて、まん丸の目で僕を見ている。
「いや、ちょっと凄すぎだろ…。Cランク、いや、Bランクはあったんじゃないのか…。あのモンスターは…。」
「一体何を見せられてるんだ、俺達は…?」
「じょ、冗談じゃねぇぞ…。」
「もう俺、兄ちゃんのほうがモンスターに見えてきたぞ…。」
血の気の多い冒険者達が、唖然としている。というか、少し引かれている気がする。…そんなに驚くことだろうか。普段はAランクの魔物とばかり戦っているから、相対的にC、Bランクのモンスターはあまり強く感じないのだが…。
「な、なあアーシュ、その、俺達じゃお前の邪魔になるだけかもしれないな。」
いつの間にか、ギルドを出発する前あんなに張り切っていたレイも、少し弱気になっている。
「そんなことありませんよ。僕一人じゃ手こずっていたかもしれない敵も沢山いましたし…。それに、いつも一人潜っているので、レイや冒険者の皆さんが居てくれるだけで心強いです。」
「そうなのか…。それにしても尋常じゃない強さだな…。」
「僕はまだまだですよ。僕より強い人もたくさんいますし。」
「アーシュより強い?そんなやつがいるのか?」
…流石に、ダンジョンの中でカフェを開いているマスターには勝てそうにない気がするが、そんな事を言っても到底信じてくれそうにない。
「ま、まあ…真の冒険者への道は果てしないってことですよ。ははは…。」
とりあえず誤魔化しておいた。
「…?まあ…そういうものなのか。アーシュほどの冒険者になると、真の高み?的なのを目指してるってことなのか。」
「まあ、そんな感じですね。とにかく、早く先へ進みましょう!」
少し納得がいってなさそうなレイを横目に、僕は歩き慣れたダンジョンの中を突き進む。
その先にある、一つの罠にも気づかずに。




