にこーっの顔
空中に浮かび上がった「アルシャイン」は、目がくらむほどの光を放つと、突然力を失ったように落下し、テーブルに刀身を激しく打ちつけた。
「い、今のは…?」
輝きがだんだんと収束していき、目をあけられるくらいになって、僕は急いで、その光源の大剣に近づく。
「急に剣が輝いて、宙に浮かんで…。刻印が光っていたようにも感じたけど…。」
僕はアルシャインと、僕の名が刻まれた文字を見つめる。…特段変わっているところはなさそうだった。
「…アーシュ…?マスター…?どこ…?前が見えない…。」
その時声が聞こえ、僕は振り向く。目をこすって、手を伸ばして辺りを探しているフロールがいる。
「大丈夫です。私もアーシュ様も、ちゃんとここにおりますから。」
そしてフロールの横には、突然の光にも全く動じていなさそうなマスターがいる。
「はい、僕はここにいますよ、フロール。そんなに慌てないでください。…逆にマスターは…随分落ち着いていますね。」
「私は生まれつき目が細いので。多少の光では動じません。」
その細い目で、僕のことをじっと見ている。
「…そうですか。それにしても、今の光は一体…。」
僕はそう言いつつ、アルシャインの刀身に触れる。
…ドクン、ドクン、ドクン…
「…っうわ!」
そして思わず手を離す。
「アーシュ様?どうされました?大丈夫でしょうか?」
「はい、大丈夫です。ちょっと手がしびれますけど…。ただ、今のは…?」
今、僕が剣に触れると、突然そこから、一定のリズムで鳴り響く、心臓の鼓動のような音が聴こえてきた。まるで、何かと共鳴しようとするかのように、力強い音だった。
「…手がしびれた…?私には、ただアーシュ様が剣に触れただけのように感じたのですが…?」
「あれ、そうですか?かなり大きな音が、この剣から聴こえたと思うんですが…?」
「二人とも何の話してるんですか…?まだ…眩しいよ…。」
そう言うフロールを心配しつつ、僕はもう一度アルシャインに触れる。
ドクン、ドクン、ドクン…
…やはり聴こえる。大きく鳴り響く鼓動が、この剣から。…でも、そんなに悪いもののような感じはしないな。
「一体これは、何なんだ…?」
─おかしなことばかりだ。
この音が何なのかも。
この剣が本当に「七大名工」によって創られたのかも。
─そもそもなぜ、父がこんな剣を持っていたのかも。
何一つ、分からない。
「お客様、とりあえず、今日は帰られてはどうでしょう。」
「え?」
そう思ったところで、マスターが声を発した。
「あまり頭に情報を詰め込みすぎると、パンクしてしまいますよ。きっとアーシュ様もお疲れでしょう。」
「は、はい…。」
「そうですよアーシュ!無理はよくありません!」
「フロールまで…。」
「難しいことを考えるのは、また別の日にしましょう。今日はどうか、お帰りになってください。」
「…」
確かに今日はもう疲れた。マスターとフロールの言うとおりかも知れない。
…アリシィにも会いたい。
「分かりました。じゃあ今日は帰ることにします。早く帰らないとアリシィにも怒られてしまうので。」
「そうですか。」
「あ!でも折角なら、何か食べていきませんか!」
「いえ、今日はもういろんなことがありすぎて、お腹いっぱいです。」
「そうですか…。」
フロールが悲しそうな顔を浮かべてので、僕はちょっと申し訳ない気持ちになる。
「では、お客様、またいつでも来てください。」
『お客様、またのお越しを心よりお待ちしております。』
最後にフロールが、僕に向かって手を振ってくれたので、僕も振り返した。
「ただいまあ…。」
僕が帰ると、玄関に仁王立ちしている妹が、こちらを鋭く睨んだ。その表情は明らかに不服の意を示していて、僕は瞬時に危機を察知する。
「おそい!二十分おくれなの!ちゃんともんげんはまもってって言ってるの!」
昔から、僕と違って時間にはキッチリしているアリシィは、門限を破るとすぐにこうなる。特にこの間、ダンジョンで倒れてからは、さらに時間に厳しくなった気がする。
「ごめんごめん…。今日も忙しくてさ…。」
ぷっくり頬を膨らますアリシィは、まだ怒りが抑えきれないようだった。
しばらくして、アリシィの怒りが少しずつ小さなものになってから、僕達は今日も下の階へ向かう。この宿の朝食を食べるためだ。
僕達の泊まっている宿、「こぐま亭」は、とても小さく、シンプルな宿屋だ。正直外見は、あまりぱっとしない。ここに似たような宿場、もっと綺麗で絢爛な宿屋は、この街にはいくらでもあるのだが、アリシィに何かあった時にすぐに駆けつけられるようにしたいと、ギルドから一番近いこの宿にアリシィを泊まらせることにした。
だから、部屋やサービスの良さには、あまり期待していなかったのだが…。
「あら、アーシュちゃん、もうお仕事から帰ってたのね。ちょっと奥にいて、お出迎えできなかったわ。ごめんなさいねえ。」
「いやいや、お出迎えなんて…。おばさんの笑顔だけで十分です。」
「あら、うれしいわあ。アリシィちゃんも、こんにちは。」
「こんにちは!」
予想に反して、サービスも、部屋も、最高なものだった。建物自体は決して新しくはないが、掃除が行き届いていて、いつも部屋はピカピカ。とても満足している。さらに、ここを二人で経営しているという夫婦には、いつも助けられている。ダンジョンにいて帰ることのできない僕のかわりに、アリシィを見てくれているのだ。
その他にも、忙しい僕達の為に夕食まで作ってくれている。最初は遠慮したんだが、
「駄目よ、夕食ぐらいはちゃんと食べなくちゃ、冒険者なら、なおさらだわ。今は他のお客さんもいないし、私が作ってあげる。」
そう言ってくれて、最近はいつも、おいしいご飯を作ってくれる。「好きでやっていることだから、お代は要らない」と言われているが、いつかこの宿を出るときには、必ずご飯代も多めに足そうと思っている。
「今日はオムレツを作って見たの。上手に作れたわ、自信作よ!」
「やったー、おばさんのオムレツ大好きなの!」
アリシィが「おばさん」と呼んだ女性こそ、この宿を経営している夫婦の奥さん、シェリーさんだ。いつも柔らかな笑顔で、安心感がある。旦那さんもいるのだが、宿ではほとんど見かけない。どうやら、別の仕事をしているらしい。小さなこの宿の宿場代だけでは、とてもお金が足りない、とシェリーさんが言っていた。
この宿は民家を造り替えたもののようだし、部屋も3つくらいだ。僕達が泊まっている間は、他の客にも会っていないし、この宿は本当は、赤字経営なのかもしれない。それでも僕達を泊めさせてくれるなんて、ありがたい限りだなと思う。
「それは良かったわ、さあ、食べましょうか。」
シェリーさんはそう言うと、席についた。続いて僕達も椅子を引く。
「いただきます!」
そしてそう言い、シェリーさんのふわふわのオムレツに、勢いよく喰らいついた。
「オムレツ、おいしかったー、ふわふわだったのー!」
そう言ってアリシィの笑顔を見るときが、やはり一番の幸せだ。
「おいしかったね。この前は遅くなって食べれなかったから特に…。さて、もうこんな時間か。そろそろ寝よう、アリシィ。」
「えー、もうねるの…。まだおきてたいのー…。」
「だーめ、早く寝ないと身体に毒だぞ。お兄ちゃんも、お仕事朝早いから、もう寝るよ。」
「むぅ…。」
納得いかないようで、しかめっ面をしたアリシィだったが、渋々ベッドに飛び込んだ。そしてすぐに、ゴロゴロ転がって、シーツをしわくちゃにしている。
…僕も明日の予定を考えたら、一緒に寝よう。今日も疲れてしまった。そう思っていたとき。
「ねえ、お兄ちゃん。」
アリシィが話しかけてきた。
「ん?どうかした?」
「あしたも一日中しごとなの?」
「うん、そうだね。」
「…あのね、じつはね、お兄ちゃんさいきん、いっつもこわい顔してたの。」
「怖い顔?」
アリシィに唐突にそう言われ、少し驚く。
怖い顔…とはなんだろうか。普段鏡も見ないから、自分が今どんな恰好なのか、表情なのか、あんまり意識したことがないな。
「怖い顔って、どんなの?」
「なんか、ぐわーっ、てかんじなの。」
「ぐわーって感じ?」
「うん。…でも今はね、そんなにこわい顔してないの、むかしのお兄ちゃんに戻ったみたいなの。」
「昔みたいな?…そう、かな?」
「うん、そうなの!なんだか、とってもたのしそうな顔をしてるの!」
そう言うとアリシィは起き上がり、僕を見る。そして、何かを思い立ったように立ちあがったかと思うと、僕に寄ってきて、そして頬をつかんで、上方向にむにゅーんと引き伸ばした。
「えっ?ちょっと、急にどうしたの?い、痛いよアリシィ…。そんなに引っ張らないで僕の顔…。ちぎれる…。」
「ふふ、にこーっの顔なの!」
…にこーっの顔。そう言えば、アリシィは笑顔のことをそんなふうに言っていたっけな。
笑顔なんてしばらくしてなかったから、そんなことも、忘れてしまっていたな。
「そうかー、にこーっの顔かぁ…。じゃあアリシィも…。」
そう言って僕は、アリシィの頬に手を伸ばす。
「あっ、ちょっとくすぐったいの!ほっぺが伸びちゃうの!」
結局二人で笑い合って、寝るのは夜遅くになってしまった。
でもこんな日々が、ずっと続けばいいと思った。
─そう思った、次の日の事だった。




