4話 休息
それから、いのりと白髪の男の平和な日々が続いた。
一緒に食事をとり、一緒に庭を散歩し、蛇が出てくればいのりが驚いて男が笑って蛇を捕まえる。
ここがクレイジーランドでなければ、普通の恋人同士のような、そんな毎日。
「クリアワールドでデート?」
「はい。一度行ってみたかったんです!」
男はキラキラした目でいのりに訴えかける。
「クリアワールドってそんな簡単に行けるの?」
「普通は無理ですけど、いのり様の力なら転移魔法で行けると思いますよ!」
私の正体がバレたらまずくない?と訊ねるいのりに対して普通にしてれば大丈夫ですよ、と返す男。
「じゃあ食事をとったら行きましょう。」
「はい!」
朝食を終えると、いのりは部屋の真ん中に立ち転移の魔法陣を出す。
「そうだ、あなたの名前、まだ聞いてなかったわ。」
「え?」
男はきょとんとした顔を浮かべる。
「名前が分からないと困るでしょう?外ではぐれるかもしれないし。」
「俺がいのり様から目を離すこともないと思いますが、それもそうですね。」
でも、と続ける。
「俺、名前ないんですよ。」
「え?」
「いや親からもらった名前はありますが、あんまり好きじゃないし、そもそも誰も呼びませんよ。おい、とかお前、とかで。」
だから、と男はにこりと笑う。
「いのり様がつけてください。」
「え?」
「当然です。俺はいのり様のお付きなんだし。いのり様の好きに呼んでください。」
屈託なく笑う男にいのりは困った顔をした。当然だ。名前をつけてくれなんて言われたことがないのだから。名前を聞き出す流れでもなし、仕方なくいのりはうーんと頭を悩ませる。クリアワールドを眺めていると、ふと「あ」と声を漏らす。
「シアン。」
「シアン?」
「私が好きな青。」
クレイジーランドの頭上に広がるクリアワールド。背景は透き通った青空。いのりはふと思い出していた。初めて海外を旅行した時、山奥に囲まれて豊かな水を讃えていた湖を。
「つけるなら好きな物の名前がいいわ。」
「そうですか?じゃあ俺は今日からシアンだ!」
ニコニコと笑って両手をパンと叩くシアン。いのりは恥ずかしそうにほら、行くよ、とシアンを連れて魔法陣に入る。
────────。
いのりとシアンは市街地に出た。
外から見た通りの中世ヨーロッパ風の街並みにファンタジーゲームのような服装の人々。パン屋や酒場、市場、クレイジーランドとは違い活気にあふれている。何より、いのりは空を見上げ、眩しさに片手をかざす。
見上げれば光がさんさんと降り注いでいる。いのりからしたら何日ぶりの光か。体が緩むのが分かる。
「空気が美味しい。」
「ははは。異世界から来たいのり様からしたら、そうですよね。」
歩き出す男といのり。露店でアクセサリーを見たり、屋台で食事をしたり、時計塔を指さして一緒に眺めたり。
「あ、綺麗。」
いのりは金のチェーンに青い宝石をあしらったペンダントに目を止めた。
「これが欲しいわ。」
「あいよ!」
いのりはバッグから財布を出そうとする。財源はロマだ。好きに使ってくれと定期的に使い切れないほどの金銭をいのりに渡している。
「いや、いのり様!ここは俺が出します!」
「え?」
「俺、いのり様に何もできてないから。ここは払わせてください。」
シアンは財布を取り出し、それでも足りず上着を必死にはたいて出てきた小銭をかき集めて、そのペンダントを買った。
「ありがとう。」
「とんでもありません。本物の宝石じゃないし。」
「ううん。私はこれがいいの。」
大切にする、と愛おしそうにペンダントを包み込むいのり。
「シアン、ありがとう。」
いのりは柔らかく、優しくシアンを包み込む。
「ちょ、往来の場所ですよ!」
「ふふふ、誰も見てないよ。」
「……調子狂うなあ。」
「ん?」
「なんでもありません。」
シアンはにこりと微笑む。
2人は、しばし見つめあった。
「このガキ!盗人!」
急に響く怒号。ガタイのいい男が体の細い少年を踏みつけている。
「ふてえ野郎だ!人が店を見てる隙に食いもん盗みやがって!返せ!お前んじゃねえ!」
少年は男にゴムまりのように蹴られてしまった。血が飛び散っているが、街の誰も気にもとめなければ、話しかけることもない。
「ちょ、ちょっと旦那!落ち着いてくださいよ!」
いのりの身体の震えを察し、シアンは男をなだめにしようとする!
「触んじゃねえ!気色悪い!」
シアンは思い切りはたかれてしまった。
刹那、街の風景がモノクロになる。
いのりは懐に入れていたナイフを握った。
「ま、待った!」
瞬間、いのりの視界が色を取り戻す。いのりは懐のナイフをしまう。
「いのり様が手を下す必要はありません。ここは俺に任せてください。」
ややあって、男は終始怒り心頭だったが、最後はシアンが金を払ったことで事なきを得た。
「坊や。大丈夫かい?あれ?」
少年はいつの間にか姿を消していた。どうやらシアンと男が揉めている間に逃げおおせたようだ。
「いやあ、すみません。お見苦しいところを。」
参った参ったといのりの元へ戻るシアン。
「あんなこともあるのね。」
「クリアワールドは貧富の差が激しいです。俺たちが見てるのは上澄みですよ。路地裏では何人もの市民が飢えてます。」
シアンの視線の先に目をやると、建物の影でみすぼらしい格好の人々がうなだれていた。
「だ、大丈夫ですか?」
そのうちの一人に駆け寄る。いのりが手を差し出すと、女性はいのりが首からかけていた、先程露店でシアンが買ったペンダントをひったくった。
「あっ、ま、待って!それ返して!」
いのりは追いかけるが、女性は逃げる。
「待って!それはダメ!第一お金にならないわよ!そ、そうだ、私に売ってくれない?」
女性はぴたりと足を止める。
「ほ、ほら、これで足りるでしょう?」
いのりはクリアワールドの通貨で1番高い紙幣を出した。
だが、女性はひったくって、ペンダントも返さず逃走。
「だめ!返して!」
「ひっ!」
女性は鬼にでも捕まったような表情で振り返る。刹那、女性は灰になり、手から離れたペンダントはカツーンと石畳に反射する。
「あ……。」
いのりはしばらく呆然としていた。
(悪いの私じゃない。こいつらでしょ?子供をいじめて、人の大事なものを盗んで、そこまでしなくちゃ生きられない人達を、誰も助けない。それなら─────。)
数十秒の沈黙の後、ゆっくりシアンの方へ振り向いた。
「シアン。」
「はい。」
一部始終を見ていたシアンに話しかける。
「最初は滅ぼすことはないと思った。でも、よく分かったわ。ここには救うべき人間は一人もいない。」
振り返ったいのりの顔は、路地裏の暗がりで表情は読めない。
「この世界も私のものにするわ。」
シアンはたじろぐ。逆らう気持ちは起こらなかった。
「仰せのままに。女王様。」
シアンは静かにかしずく。
もう戻れない。なら、進むしかない。たとえこの先で、この身を焼かれる未来が待っていようとも────────。
続く。




