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世界が落ちる前に ~勇者が魔王と戦っている裏で、異世界がバグらないようにひとりで回してます。なお前任の神は辞めたそうです~  作者: あべのちょふ


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第34話「みんなで支える世界」

「悠真さん、サブプロセスの皆さんに、お話しします」


 ノードが、コンソールから管理層の各サブプロセスへ、緊急の呼びかけを発した。


『悠真さんが、自分の記憶と引き換えに、世界を救おうとしています。わたしたちで止めました。代わりに、みんなで少しずつリソースを出し合うことを、提案します』


「ノード」


「はい」


「お前たちも弱体化する。それぞれの機能が落ちる。天候が乱れ、ダンジョンが止まり、計算が狂う。地上にも影響が出る」


「出ます。でも、止まりはしません。弱くなるだけです。そして弱くなった分は——地上のみんなが、補ってくれます」


 俺は、しばらく彼女の言葉を反芻した。


 弱くなる。だが、消えない。それは、俺ひとりが消える解決とは、決定的に違う。


 応答が、次々に届いた。


 最初に動いたのは、ダンジだった。


          * * *


「……ワシのダンジョンが、止まる、か」


 ダンジは、自分のコンソールの前で、しばらく目を閉じていた。


「一時的にだ。新しい設計が動き出したら——」


「お主に言われずとも、わかっとる」


 彼はそう言って、自分の処理能力を下げる操作を、淡々と進めた。世界中のダンジョンが、新規の階層生成を停止した。彼の体の輪郭が、目に見えて灰色に沈み、足元のあたりからは、淡い砂粒のようなものが、ほろほろと崩れて消えていった。


「ワシはダンジョンを作り続けてきた。数千年、ただそれだけを。じゃがな——」


 ダンジが、俺の方を見た。


「お主と会って初めて、『誰かのために作る』意味を知った。だから止めるんじゃない。譲るんじゃ」


 俺はうなずいた。何も言えなかった。


「ふん、感傷的になっとるな、ワシ」


 ダンジが照れ隠しのように、自分のあごひげを撫でた。新規階層の生成キューが、彼の操作でひとつずつ落とされていく。最深部の輪郭が、わずかに揺らぎ、それから静止した。彼の体の輪郭は、まだ立っていた。


          * * *


「あらあら。わたしにもできることがあるのね」


 セレスは、いつも通り、にっこり笑っていた。


 天候制御の精度を、わずかに下げる操作を、自分の手で行った。世界中の空が、一瞬、灰色に染まった。すぐに、それは単調な「晴れ」に戻った。


「少しだけ、お天気が退屈になるけど……我慢してね、みんな」


 彼女の空色の髪が、音もなく、その色を失っていった。鮮やかだった青が、ほとんど白に近い色まで抜けて、それから、ゆっくりと淡い灰色のところで止まった。風を作る力が、明らかに弱まった。それでも、セレスの口元には、笑みが残っていた。


「怒ってもいい場面なのに、不思議と穏やかよ。……ああ、そうか。これが『自分で選ぶ』ってことなのね」


 今までの彼女は、天候のすべてを「やらされて」きた。

 今日の彼女は、自分の選択として、力を弱めた。

 怒りは、なかった。


 空色の髪が、ほんの少しだけ風を呼んで、それから静かに落ち着いた。世界の天気は、これからしばらく、彼女の細やかな指揮を失う。代わりに、もっと素朴で、もっと不正確な空が、しばらく地上を覆うことになる。それでも、住人は雨に濡れたり、日差しに笑ったりしながら、暮らしを続けていくはずだった。


          * * *


「ぼ、僕の……計算を、止める……?」


 カルクは、メガネの奥で、涙をいっぱいに溜めていた。


「カルク——」


「で、できません。僕は、正しい計算を——」


 彼にとって、計算を止めることは、存在意義を否定されることと同じだった。それを、俺はわかっていた。


「止めるんじゃない。一時停止だ」


 俺は、彼の目をまっすぐ見た。


「新しい世界が動き出したら、前より正確な計算ができるようになる。俺が保証する。前の世界でも、メンテナンスのために一時的にサービスを止めることはあった。止めるのは終わりじゃない。もっと良くするための準備だ」


「……保証、ですか」


「ああ。前より良くなる」


 カルクが、目を拭った。それから、震える指で、バッチ処理を一時停止する操作を、自分で実行した。体の周りに浮かんでいた数式が、ひとつずつ、消えていった。


「……約束、ですからね。もっと良い計算環境にしてくれるって」


「ああ」


 俺は、深くうなずいた。


 計算機にとって、計算を止めることは、たぶん、生き物が呼吸を止めることに近い。それを、彼は自分の意志で行った。震えながらも、自分のキーで。


          * * *


「わたしも、出します」


 ノードが、自分のコンソールに向き直った。


「ノード、お前——」


「記憶データの一部を圧縮します。少しだけ、曖昧になります。でも、大事なことは、忘れません」


「だが——」


「悠真さん」


 ノードが、振り返った。


「前任のエルディアス様のこと、わたし、半分くらい忘れていました。でも、悠真さんのことは、忘れません。だって、わたしが『忘れない』って決めたんですから。これはバグじゃなくて、わたしの意志です」


 彼女の目の光が、目に見えて暗くなった。体の輪郭が、ところどころ、霞んで途切れ、また結び直された。エラー、再構成、エラー、再構成。それを彼女は自分で繰り返しながら、立っていた。


 それでも、ノードはまっすぐ立っていた。


「ノード」


「はい」


「お前は、もう、半分壊れた管理AIじゃないな」


「……たぶん」


 彼女は、自分の口癖が出てこなかったことに自分でも気づいた顔をして、少しだけ恥ずかしそうに笑った。それから、自分の記憶領域の圧縮処理を、自分の手で実行した。コンソールの上で、いくつかの古い記録が、要約されて畳まれていく。それぞれの記録に、ノードはほんの一瞬だけ目を留めて、それから次へ進んだ。


          * * *


 俺は、ダッシュボードを開いた。


 各サブプロセスから解放されたリソースが、共通プールに集まっていた。


 カルクの分:7。

 ダンジの分:12。

 セレスの分:8。

 ノードの分:6。


 合計:33。


 数字だけ見れば、ただの33だ。リソースの単位は無機質で、何の重みも持たない。


 けれど、その33の内訳は、それぞれの体の中から削り取られた切片だった。


 ダンジは、数千年作り続けてきた「作る誇り」の一部を。

 セレスは、世界中の天気をぴったりに整える、その「丁寧さ」の一部を。

 カルクは、正確を尊ぶ、自分の核の一部を。

 ノードは、エルディアスを覚えていた記憶の、いくつかの断片を。


 ただのリソースじゃない。何千年もかけて自分自身として育ててきたものの、一部だ。


 彼らが差し出したのは、命の一部だった。前の世界では、リソース移譲なんて言葉ですぐに片付けてきた行為が、ここではこういう重さを持つ。「リソース」という単語の軽さに、ずっと、騙されていたのかもしれない。


 画面の隅の消費量メトリクスは、99.8のまま、ほとんど動かない。サブプロセスたちが削った分は、解放された端から、ヴェルノスの妨害がすぐに食い潰しに来る。表向きの消費量は、下がらない。


 でも、それでいい。


 彼らが削った33ポイントは、消えたわけじゃない。最終切替の瞬間に使うための予約枠として、共通プールに確保されている。妨害は、流入してきたリソースは食い潰せても、予約済みの枠には手を出せない。


 切り替えに必要な追加分は、最初の見積もりでは40だった。だが、ヴェルノスの妨害が止まらない。リソースの食い潰し方が想定を超えていて、必要量はいま48まで膨らんでいる。


 まだ、足りない。


「……あと、15」


 誰に言うでもなく、俺はつぶやいた。


 そのとき、地上の祈祷ログから、フィオナのメッセージが届いた。


『悠真さん——何ヶ月もかけて、セレス様と詰めてまいりました最適化、ようやく完成いたしましたわ。わたくしの視点はあくまで地上の魔法体系の側、あなた方の言うところのアプリケーション層、ですけれど、こちらからでもできることはございますわ。たくさんの術式が、それぞれ別々に組み立てられて、似たような段階を何度も繰り返していたのです。共通する詠唱の土台を切り出して、ひとつにまとめました。似た術式は、その土台を使い回すように整えました。冗長な段階も削りました。術式の段階の数は、おおよそ半分まで減らせましたわ。世界全体のご負担も、いくらか軽くなっていればよいのですけれど』


「ノード、地上のリソース、いま確認できるか」


「えーと……はい。フィオナ様の改修が、いま反映されました。地上の魔法体系で必要としていたリソースが——ちょうど、15、削れています」


 ちょうど、15。


 俺は、しばらく動かなかった。


 フィオナが、地上から、最後の一押しを差し出してくれた。


 彼女は管理層の構造を直接いじることはできない。でも、アプリケーション側の力で、世界が必要とするリソース総量そのものを減らしてみせた。彼女にしかできない最適化だった。


 サブプロセスたちの33は「供給側」の余白を作る仕事。フィオナの15は「需要側」を削る仕事。前者はヴェルノスの妨害に食い潰されかねないが、後者は需要そのものを下げるから、妨害の対象にならない。彼女の貢献は、いちばん固い形で残る。


 アプリの側を効率化することで、インフラの負荷そのものを下げる——前の世界のSREでも、いざという局面でいちばん効くのは、たいていこの種の仕事だった。リソースを増やすより、必要量を減らす。フィオナは、それを地上から、ひとりでやってのけた。


 合計:48。


 ……足りた。


「みんなで、足りました」


 ノードが、隣で小さくつぶやいた。


 俺は、画面の数字を、もう一度、目で追った。


 昨日の自分は、たった14分を埋めるために、自分自身を消そうとしていた。あのとき足りなかったのは、14だった。でも、いま、足りなかった数字は48まで膨らんでいる。妨害の食い潰しがそこまで進んでいた。


 もし、ノードに止められていなかったら——俺は14ぶん消えて、その時点では足りたかもしれない。けれど、その後に膨らんだ34ぶんは、誰も埋められないまま、世界は不安定なまま放置されていた。途中で力尽きた、というのと、同じだ。


 ノードが「合理的じゃない」と言ったのは、感情論じゃなかった。あいつは、計算したわけじゃない。たぶん、勘で、わかっていた。ひとりに集中させる解は、その後に何かが膨らんだ瞬間に、必ず破綻する。単一障害点を作る運用は、いつも、そういうふうに壊れる。


 俺の案では、世界は救えなかった。みんなで分けたから、ぎりぎり間に合った。


          * * *


 俺は、マイグレーションの最終コマンドを、画面に呼び出した。


 最後に残った旧シャードは、北部の戦線。アリアたちとヴェルノスが対峙している、まさにあの戦場だ。彼らは眠っていない。眠れない。だから、ふだんの「眠りの間の運び方」は使えない。


 代わりに、ほんの一瞬だけ、世界全体を止める。


 戦闘中の身体も、振り上げた剣も、組み終えた術式も、祈りの最中の手も、ヴェルノス本体ですら、その一瞬は時が止まる。止まっているあいだに、最後の旧シャードを丸ごと新世界へ運び込む。動きの途中だったぶんも、剣の軌道も、術式の途中の組み目も、ぜんぶ揃ったまま運ばれる。彼らが時が動き出したと感じたときには、もう、新しい世界の上に立っている。


 前の世界では、これを最終swapと呼んでいた。眠りで運べないものを運ぶための、最後の手段。何秒で済むかは、リソースの余裕しだいだった。


「ノード、最終swap、何秒で抜ける」


「えーと……三秒、と試算しています。それ以上はリソース的に持ちません」


「三秒なら、いける」


 手は、もう震えていなかった。


「前の世界では、『自分でやった方が早い』って思ってた」


 俺はキーボードに指を置きながら、誰に言うでもなく、続けた。


「……嘘だな。ひとりじゃ、最後まで届かなかった」


 ノードが、隣で小さく笑った。「えーと、それ、わたしも前から思ってました」とでも言いたげな顔だった。


 ノードがうなずいた。ダンジが、セレスが、カルクが、それぞれのコンソールから、こちらを見ていた。地上の戦場では、アリアたちがまだ時間を稼いでいる。神殿では、リーゼルが祈っている。森の中では、フィオナが最適化の完了を確かめ、ノートに最後の記録を書きつけている。冒険者ギルドでは、ガルドが住人の避難を見守っている。


 そして、誰にも見えない場所で、ゼーレが、軍を離れて、自分の道を歩み始めている。


 全員の力が、ひとつのコマンドに、集まっていた。


 俺ひとりが消えれば届く、と昨夜まで計算した距離を、いま、五人と地上の四人と、ひっそりと軍を離れた一人が、それぞれの分担で埋めていた。


「最終切り替え、実行する」


 俺は、エンターキーを押した。


お読みいただきありがとうございます。


【今回のIT用語】

リソースプーリング(再掲):「ひとりで全部を負担する」のではなく、「全員が少しずつ負担する」。それぞれが弱体化はしますが、誰も消えません。本作のクライマックスの解法は、まさにこの考え方の体現です。


アプリケーション層からのインフラ負荷軽減:フィオナがやったのは、魔法アプリケーションの側を最適化することで、世界インフラの必要リソースを減らす作業です。SREの現場でも、インフラ側だけでなく、アプリケーション側の最適化(クエリの効率化、不要な処理の削除等)が、最後の一押しになることがよくあります。フィオナの貢献は、その最も鮮やかな例です。


次話「もう一度、世界を動かす」もよろしくお願いします。

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