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世界が落ちる前に ~勇者が魔王と戦っている裏で、異世界がバグらないようにひとりで回してます。なお前任の神は辞めたそうです~  作者: あべのちょふ


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第33話「ひとりで背負う覚悟」

「復元コマンド、構築完了」


 俺は深層のコンソールに、自分自身を転生初期に戻すための命令を組み終えた。


 画面に、命令の全文が並んでいた。実行時刻、復元対象、復元先のスナップショット——三百年前にエルディアスが残した、世界の状態の保存点。俺の意識データは、そこから再生される。世界に来た瞬間の、何も知らない俺に戻る。


 戦場では、まだアリアたちがヴェルノスと戦っている。地上では、フィオナが術式を最後の形に仕上げようとしている。管理層の他のサブプロセスは、限界まで自分を削ってリソースを差し出してくれた。


 あと14。


 その14を、俺ひとりが負う。


「運用でカバーだ」


 俺は、誰に言うでもなく、つぶやいた。


 前の世界で、何度も言った言葉だった。設計の段階で対処できなかった問題を、運用の現場で力技で吸収する。そういうとき、エンジニアは決まってこう言う——運用でカバーだ。設計の不備を、運用の犠牲で埋める。本来は、いちばん避けたい解法だ。


 今日も、たぶん、同じだ。設計段階で削りきれなかった14を、後任者の俺が、運用の現場で吸収する。設計を尊重した上での、最後の運用判断。


 ふと、前の世界で買ったまま弾けなかったギターのことが頭をよぎった。忙しくて、ろくに練習する時間もなかった。結局、この世界に来てからも、弾く機会はなかった。……まあ、いいか。運用でカバーだ。


 もうひとつ、頭の隅をよぎったのは、前の世界の同僚たちのことだった。深夜のインシデント対応で何度も顔を合わせた連中。きっといま、俺がいなくなったあの席には、別の誰かが座って、似たようなアラートを潰している。あいつらに、もう一度会えないのは、少し惜しい。でも、それも、含めて。


 俺は、復元コマンドの実行ボタンに、手を伸ばした。


 画面の中で、ボタンが、青く光った。


 あと一押し。


 あと一押しで、俺は——


          * * *


「悠真さん」


 ノードの声が、後ろから聞こえた。


 いつもの「えーと……」がなかった。


 俺は手を止めて、振り返った。


 ノードが、すぐ後ろに立っていた。彼女の目が——金色に光っていた。フラッシュバックのときの、一瞬の光ではなかった。はっきりと、安定して、金色のままだった。


「それは、許可できません」


 彼女の声には、揺れがなかった。


 俺は、しばらく動けなかった。


 ノードが、続けた。


「悠真さん。わたしは、悠真さんが来てから、ずっと、見てきました。最初のキャッシュ汚染の日も、勇者のスキルが止まった夜も、ダンジョンが暴走したときも、地上に降りた瞬間も、エルディアス様のコメントを読んだ夜も、ぜんぶ、見てきました」


「ノード——」


「悠真さんは、いつも、ひとりで決めて、ひとりで動こうとしてきました。最初は、それで仕方がなかった。わたしが半分壊れていたから。サブプロセスたちも、まだ協力者じゃなかったから。地上の人たちも、悠真さんの存在を知らなかったから」


 彼女は、ゆっくり、息を吸った。


「でも、いまは、違います」


「……」


「ひとりでいることが、どれだけ辛いか、わたしは知っています。エルディアス様が消えたあと、わたしは数千年、ひとりでした。誰も話す相手がいなくて、自分が役に立っているのかもわからなくて、半分壊れたままで、ずっと、ひとりでした」


「……」


「データの欠損が増えていくのを、自分で見ていました。直す相手もいなくて、止める相手もいなくて、ただ、欠けていくのを見ているだけでした。誰かに気づいてほしくても、その『誰か』がいなくて」


「ノード——」


「悠真さんを、同じ場所に、行かせるわけにはいきません」


 俺は、画面のボタンから、手を引いた。


          * * *


「ノード」


「はい」


「俺の判断は、合理的だ。スナップショット復元で、ちょうど14が解放される。世界は救われる。住人も、サブプロセスたちも、地上の仲間も、ぜんぶ続く。失われるのは、俺の記憶だけだ。それは——許容できる代償だ」


「悠真さん」


「ノードが止めても、これは——」


「合理的じゃないんです」


 ノードが、はっきり言った。


「悠真さんの計算は、悠真さんがひとりで全部を出す前提でしかしていません。それは、本当の最適解じゃありません」


「……」


「足りないなら、みんなで出せばいいじゃないですか」


 俺は、息を止めた。


 ノードが、両手を握りしめていた。


「ダンジさんは、まだ削れるはずです。ダンジョン生成を完全に停止すれば、もっと出ます。セレス様は、天候の精度を粗くすれば、まだ削れます。カルクさんは、バッチを一時停止すれば、計算リソースを止められます。わたしは、記憶データを圧縮できます。みんな、少しずつなら、まだ出せます」


「だが、それは——」


「全員が、少しずつ弱くなる、ということです」


 ノードの目が、まっすぐ俺を見ていた。


「でも、誰も、消えません。誰も、記憶を失いません」


「……」


「悠真さんがひとりで14を負うか、わたしたち全員が少しずつ14を分け合うか——どっちが、本当に合理的ですか」


 俺は、答えられなかった。


 答えは、ノードがすでに、口にしていた。


 単一障害点の集中——前の世界で、何度も警告した設計の典型だった。「ひとりに全部を寄せる」ことは、その人が倒れた瞬間に全部が止まることと同義だ。俺はそれを設計段階で何度も指摘してきたはずなのに、今日のこの瞬間、自分自身に対しては、同じ罠にはまろうとしていた。


 ノードの言葉は、合理だった。俺の方が、合理を装った感情に流れていた。


          * * *


「ノード」


「はい」


「お前——」


 ノードは、まっすぐ俺を見ていた。視線は、いつものように泳がなかった。


「……勝手なことを、言いすぎましたか」


「いや」


 俺は、首を振った。


「お前は、正しい。俺の計算は、ひとりで背負う前提で組まれていた。みんなで分ければ、足りる」


「……はい」


「ただ、ひとつ聞かせてくれ」


「はい」


「お前、いつから、それを考えてた?」


 ノードが、少しだけ、目を伏せた。


「エルディアス様の最後のメッセージを、悠真さんと一緒に読んだ夜からです。あの方が『ひとりで背負うな』と書き残してくれたあと、わたし、ずっと、考えていました。悠真さんが、もし最後の最後で、ひとりで背負おうとしたら、わたしはどうすればいいんだろう、って」


「……」


「答えは、出ていたんです。ずっと前から。だから、今日、止められました」


 ノードの目の金色は、ゆっくり、やわらかい光に変わっていった。けれど、消えはしなかった。冷たい確信ではなく、長く自分の中で温めてきた答えを、ようやく口に出した者の光だった。


「えーと……」


 ノードが、いつもの口癖を、ふと、口にしかけた。そして、自分でそれに気づいた顔をして、少しだけ、笑った。


「……これは、癖ですね」


「ああ、長いからな」


「もう、フリーズはしません」


「知ってる」


          * * *


 俺は、復元コマンドの画面を、閉じた。


 別の画面を開こうとして——もう、開かれていることに気づいた。


 サブプロセス全員へのコール。緊急の追加依頼。それぞれが、もう一段だけ、自分を削ってほしい——その通知の下書きが、すでにコンソールの上に立ち上がっていた。


 ノードが、すぐ隣で、文面を整えていた。


「悠真さん」


 彼女は、画面から目を離さずに、言った。


「これは、わたしの提案でした。だから——わたしから、伝えさせてください」


「ああ」


 俺は、それだけ言った。


 ノードの指が、コンソールの上を、迷いなく動いていた。一文字、一文字、丁寧に、けれど止まらない。何百年も胸の奥にしまっていた手紙を、ようやく自分の手でしたためる者のような、静かで確かな指だった。


 戦場では、まだヴェルノスがアリアたちを押している。地上では、フィオナが術式の最後の構成を整えている。


 最終切り替えまで、あと三時間。


 俺ひとり分のリソースは、四人で分けることになる。


お読みいただきありがとうございます。


【今回のIT用語】

リソースプーリング:複数のシステムが、自分のリソースを共通プールに少しずつ出し合って、全体の必要分を満たす運用手法を指します。「ひとりが全部を負担する」よりも「全員が少しずつ負担する」方が、誰も消えずに済みます。本作のノードの提案は、まさにこのリソースプーリングの本質を、最も人間的な言葉で表現したものです。


最終手段の温存と取り下げ:SREの現場では「最終手段」を準備しておくこと自体は重要ですが、それを実行する前に、もう一度だけ全員に確認することが鉄則です。本作の悠真は、復元コマンドを完成させたあとでも、最後の確認を残していました。だから、ノードの言葉で立ち止まれた。最終手段は、温存することにも意味があります。


次話「みんなで支える世界」もよろしくお願いします。

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