第32話「世界が軋む」
「アラート、過去最大」
ノードの声が、震えていた。
朝の時刻に、ヴェルノスが復活した。十二時間後の切り替えを予定していたが、復活の瞬間、世界中で同時にトラブルが噴き出した。妨害は想定以上に激しい。十二時間は、もう待てない。
俺は最終切り替えを、八時間前倒しすることに決めた。
ダッシュボードが、上から下まで、赤で塗りつぶされていた。世界全体で、同時多発のトラブルが起きている。中央部の橋が三本崩落判定、北部の街道が分断、東部の家畜が一斉に動かなくなった。南部の井戸の水が止まり、西部の畑の作物が成長を止めた。
地図の脇に、シャードの所属が色分けで表示されていた。南部全域・中央部の主要都市・東部・西部の大半——いずれも新世界シャードへ移行済み。残っているのは、北部の戦闘地域だけだ。戦闘中の住人は眠れない。眠りの儀式が使えない以上、彼らをいま運ぶ手段はない。だから、ヴェルノス本体と戦っているアリアたちの戦線は、最後まで旧世界シャードに残す設計にしてあった。
ヴェルノスの妨害は、新世界側の地域にも、旧世界側に残った戦闘地域にも、両方に伸びていた。彼は装置として、新世界の「不正な構造」を読み取り、両側のシャードに同時に警告を放っている。それが、世界中で同時多発のトラブルとして現れていた。
アラートが鳴りすぎて、もはやどれを先に見るべきかわからない。前の世界で何度か経験した、最悪の種類のアラートストームだった。優先度をつける作業そのものが、リソースを食う。だが、無視はできない。住人の命に直結するものを最優先に、残りは順次。判断を、何度も繰り返す。
彼は復活した。過去最大の魔王として、北部の戦場に立っていた。アリアたちが、いまそこに向かっている。
彼の本体が戦場にいるのに、世界中で同時にトラブルが起きていた。それは、復活した瞬間に放たれた、最後の判定の前準備だった。
世界が、今日、判定される。
倒せれば、世界は続く。倒せなければ、世界は終わる。
でも、俺は——その判定そのものを、無効にするつもりだった。
「ノード、緊急体制に入る」
「はい」
俺は深呼吸をした。
管理層の各サブプロセスに、一斉通知を送った。
『緊急。最終切り替えを、今日の夕方に強行する。それまでに、リソースを14捻出する必要がある。各自、削れるものはすべて削れ』
返事が、次々に返ってきた。
「あら、わたしも頑張るわ」(セレス)
「計算、まだまだ削れます!」(カルク)
「ふん、ワシのダンジョンの一部を、一時停止する。譲るんじゃ」(ダンジ)
ノードが、自分にも通知が来たことに気づいた。
「えーと……わたしも、できることはやります」
「お前は今日、いちばん忙しい。差分集計、最終切り替えのトリガー、緊急の停止判断——全部、お前のコンソールが要だ」
「……はい」
ノードが、目を伏せた。
* * *
北部の戦場。
ヴェルノスが、いつもの姿で立っていた。漆黒の鎧、長い銀髪、赤い目。だが、いつもと違うのは、彼の周りに、黒い霧のようなものが渦巻いていることだった。
それは、彼自身の身体の一部ではなかった。彼が引き連れてきた、世界の終了処理そのものの可視化。判定が下されたあとに発動する、終了の本体。
アリアが、剣を構えた。隣でカイルが、大盾を構えた。リーゼルが祈りの杖を握り、フィオナが術式を組み始めた。
「ヴェルノス——」
アリアが、彼の名を呼んだ。
「あなたを倒すことは、世界を判定することだと、私は知っている。でも、私たちは、世界の判定を、もう必要としない」
ヴェルノスは、初めて、何かを言おうとした。
でも、彼の口から出たのは、いつもの定型句だった。
「滅びよ」
黒い霧が、アリアたちに襲いかかった。
「デカすぎだろ……剣でどうにかなる相手じゃねぇぞ、こいつ」
カイルが舌打ちしながら、大盾を構え、霧の先端を受け止めた。彼の盾「イージス」の表面が、青白く光った。霧を弾き返し、アリアの前に立った。
「めんどくせぇな! でも、お前らの前に立つのはだいたい俺だ」
フィオナが術式を仕上げた。
「これより、魔法体系の地上側の最終構成へ、移行を開始しますわ」
彼女の周りに、見たこともない複雑な術式が浮かんだ。地上の魔法の動かし方を、新世界の設計に合わせて切り替える。フィオナと管理層のセレスが、何ヶ月もかけて打ち合わせてきた、最後の作業だった。
リーゼルが、祈りの杖を高く掲げた。彼女の額には、すでに汗が浮いていた。今日の戦いは、いつもより長い。代償で生命力を削る量も、今日は段違いだ。
「大丈夫、治せるよ……あたしのできる限り、ぜんぶ」
神官団全員の祈りが、彼女の杖に集まった。回復魔法が、戦場の前線を、淡い光で覆った。
アリアが、戦場全体を見渡してから、後ろの仲間に小さく言った。
「剣じゃなくていい。私たちは、時間を稼ぐの。世界を作り直している人が、切り替えを終えるまで」
戦闘は、はじまった。
* * *
管理層。
「ノード、地上のフィオナの最適化、どう」
「えーと……順調です。魔法体系の地上側で十五を削れる見込みです」
「悪くない」
俺はリソースモニタを見た。世界全体の処理能力を100とした目盛りで、画面に並ぶ数字はぜんぶ、その100単位スケール上の値だ。
現状消費量:99.6。上限100の警戒線まで、もう0.4しかない。
新世界への移行:70%完了、残り30%で停滞。
切り替えに必要な追加分:40。
地上のフィオナの最適化:マイナス15。
各サブプロセスの追加削減:マイナス11。
計算上、足りなかった。
あと、14足りない。世界の処理能力の、14ポイント分だ。
移行は、ここから先、進まない。妨害分のリソースが膨らみすぎている。無理に押し進めれば、すでに新世界に移った70%の地域が、不安定なまま放置される。最悪、移行済みの地域ごと、巻き添えになる。
俺はその数字を、画面に大きく表示させた。
「ノード」
「はい」
「計算が、合わない」
「えーと……はい。14、足りません」
「ヴェルノスの妨害分が、想定より大きい。あと一時間粘れば、彼の干渉も収まるはずだったが——」
「えーと……でも、あと一時間待つと、リソースがもっと枯渇します」
「だな」
俺は計算式を、何度も眺めた。
削れるところは、もう削った。サブプロセスたちは、自分の機能を限界まで切り詰めて差し出してくれた。フィオナの最適化も最大限。地上の戦闘も、アリアたちが全力で時間を稼いでいる。
それでも、14足りない。
追加で削れる場所は、もう、外側にはなかった。残るのは、自分の内側だけだった。
俺は深層を呼び出した。
三百年前の記録点が、まだ静かにそこに眠っていた。あれを使えば、俺自身を、転生してきた瞬間まで強制的に巻き戻せる。今までに積み上げた記憶、判断、感情、サブプロセスとの連携——ぜんぶ、なかったことになる。残るのは、何も知らずにこの世界に着いた、いちばん最初の俺だけだ。
管理層から見れば、いま動いているこの俺というプロセスが、まるごと消えるのと同じだ。消えた分の処理能力が、世界の側に空く。
計算してみた。
俺ひとりが消費していたリソース——記憶、判断、サブプロセスとの通信、地上との通信、観測のためのダッシュボード、全部含めて——は、ちょうど、14ポイントだった。
俺は、画面の前で、しばらく動かなかった。
「ノード」
「はい」
「足りない分は……ちょうど、俺ひとり分だ」
ノードの目が、少しずつ大きく見開かれた。
「えーと……それは——」
「俺を、転生初期にリセットすれば、14が世界に戻る。最終切り替えのリソースは、ちょうど足りる」
「悠真さん——」
「俺の記憶は、消える。地上に行ったことも、お前と話したことも、サブプロセスたちと設計を組み立てたことも、エルディアスのコメントを読んだことも、全部、なくなる」
ノードが、口を開きかけた。
でも、何も言葉が出なかった。
画面の隅で、リソース消費量が、また小数点を一つ上げた。99.8。残された時間が、また少し縮んだ。
戦場の方では、まだヴェルノスとアリアたちが戦っていた。
管理層の各サブプロセスから、削減完了の報告が次々に届いていた。
あと、14。
俺の中で、答えは、もうほとんど決まっていた。
前の世界でも、いざというときに「自分の何かを差し出す」判断を迫られた現場を、何度も見てきた。たいていは、責任を取って辞めるとか、引き受けて休まないとか、その程度のことだ。けれど、今回俺が差し出そうとしているのは、「ここまで積み上げてきた俺自身の記憶」だった。それでも、釣り合いは取れている。差し出すものと、守れるものを天秤にかければ、答えは明らかだった。
「ノード」
「……はい」
「準備をする。深層の記録点に、復元コマンドを構える」
「えーと——」
ノードの声が、震えていた。
俺は彼女の手元に目を向けた。ふだん落ち着いているはずの指先が、わずかに揺れていた。ノードの目の奥に、一瞬だけ、いつもと違う色がよぎった気がした。気のせいかもしれない。でも、何かが彼女の中で動き始めていた。
でも、俺は手を止めなかった。
最終切り替えまで、あと四時間。
お読みいただきありがとうございます。
【今回のIT用語】
アラートストーム:複数の障害が同時多発し、警告が大量に出る状態を指します。本作の冒頭は、ヴェルノスの妨害により世界中で同時にアラートが鳴る状況です。アラートストームに直面したとき、SREの基本は「優先度順に対応する」「すべてに同時に対応しない」「根本原因の単一化を急ぐ」の三つです。
スナップショット復元:システムの状態を以前のある時点に巻き戻す手段です。本作の悠真にとってのスナップショットは「転生初期の自分」。これを使えば足りないリソースは確保できますが、引き換えに、世界に来てから積み上げたすべての記憶を失います。SREの現場でも、復元は最後の手段——その代償が大きいからです。
なお、本作では「足りない分はちょうど俺ひとり分」と数値が綺麗に割り切れていますが、現実の運用では十分な安全マージン(余裕)を持って見積もるのが鉄則です。「ぴったり間に合う」設計は、想定外の負荷で容易に崩れます。本作の数値の綺麗さは、物語の覚悟を際立たせるための演出としてご理解ください。
次話「ひとりで背負う覚悟」もよろしくお願いします。
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