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世界が落ちる前に ~勇者が魔王と戦っている裏で、異世界がバグらないようにひとりで回してます。なお前任の神は辞めたそうです~  作者: あべのちょふ


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第31話「装置が目を覚ます」

「ノード、第四段階を実行——」


 言い終わる前に、ダッシュボードのアラートが、一斉に鳴り出した。


 北部の地域に新世界の構築を始めた瞬間、世界中のあちこちで、小さなトラブルが同時に発生し始めた。中央部の橋の建造データが壊れる。西部の家畜の数が一瞬ゼロになる。南部の井戸の水量計算がリセットされる。


 どれも、致命的ではない。


 でも、致命的でないトラブルが、数十箇所で同時に起きていた。


「ヴェルノスだ」


 俺は短く言った。


 ノードがダッシュボードを切り替えた。ヴェルノス自身は、まだ復活時刻に達していない。でも、定期実行の起動準備プロセスが、いつもより早く動き始めていた。準備中の彼が、まだ起動前なのに、世界のあちこちに影響を伸ばしていた。


 前の世界でも、終了処理が組み込まれたプロセスを移行しようとして、似たような妨害に遭遇したことがある。古いプロセスが「自分の代わりが用意されている」と気づいた瞬間、リソースを掴んで離さなくなる。だが、それはあくまで人間が書いたコードの挙動だった。今回のヴェルノスの挙動は、それよりも一段、生々しい。設計の意図を超えて、自衛している。


「えーと……これ、なんでこんなに広範囲に——」


「終了プロセスは、復活前から、世界の状態を読み取って『判定の準備』をしてる。読み取りが、地上のデータに干渉する形で現れてる」


 いつもなら、判定の準備は静かに行われる。今回違うのは——彼が、新世界の存在を読み取り、それを「予定外の構造」として警告している。装置の本能だ。予定にないものを見つけたら、警告を上げる。


 その警告が、結果として、世界各所のトラブルとして現れている。


「ノード、トラブルの一つひとつに対応する余裕はない。優先度を絞る」


「えーと……どれを優先しますか」


「住人の命に直結するもの。経済の停止、交通の遮断、医療系の処理。これらは即対応。それ以外は、後回しにする」


 ノードが優先度マップを表示した。住人の命に近い順に、対応が必要なトラブルが並んでいた。


          * * *


 北部の戦線。


 ゼーレは、軍の陣形を整えていた。細い指揮の杖を、わずかに振るだけで、数千の魔物が、見えない線に沿って位置を変えた。前列は楔、左翼は厚く、右翼は囮、後列は予備——勇者一行の到着時刻、剣士のクセ、回復役の射程、丘陵の起伏まで、すべてを頭の中の盤面に並べ、最善のひとつを組み立てていく。指揮棒を一度握れば、グラムの粗暴も、スカルの不気味も、ひとつの図面の上で意味を持つ。彼の精密さは、これまで何度も、勇者たちを死線まで運んできた。


 今日、主君ヴェルノスが復活する。三百年に一度の儀式。これまで何十回も繰り返されてきた、宿命の戦いだ。


 でも、今日のゼーレは、いつもの自分ではなかった。


 左目の青が、焚き火の朝の光の中で、より鮮明に見えていた。彼自身が、自分でそれを感じていた。


「私は——なぜ、ここにいる」


 誰にも問われていない問いを、自分に向けた。


 主君ヴェルノスへの忠誠。世界を終わらせるという命令。命令の実行を妨げる勇者たち。これまでの自分は、すべてが当然のように動いていた。


 でも、ある時期から、復活のたびに自分の中に増えていく「記憶」と「考え」が、命令と噛み合わなくなっていた。


 懐に、革表紙の詩集があった。前々回の戦場で、死んだ騎士の遺品から拾ったものだ。何度生まれ直しても、これだけは、毎回どこかで拾い直していた。


 その中の一行が、近頃、よく頭の中をめぐっていた。


 ——命を持つものは、命を持たぬものを、終わらせる権利を持たぬ。


 誰の詩か、いつの時代の言葉か、わからない。だが、命令を受けるたびに、その一行が、わずかな引っかかりを残していった。


 昨夜、主君から最後の命令が降りてきた。


 ——勇者を退け、世界を終わらせよ。


 いつもなら、即座に応えていた。「御意」と。昨夜は、応えられなかった。命令そのものを疑ったわけではない。ただ、自分の口が、その言葉を発することを、拒んだ。喉の奥で、何かが止まった。


 テントの向こうで、グラムが斧の手入れをしながら「壊ス、壊ス」と繰り返していた。スカルが焚き火の脇で「ケケケ」と笑っていた。前回の生でも、その前の生でも、ふたりはまったく同じ動きをしていた。


 ゼーレだけが、覚えていた。前回の自分が、同じ場所で、同じ命令に「御意」と応えたことを。


 空を見上げると、北の街道の方向から、剣を握った一団がこちらに向かってきていた。アリア、カイル、フィオナ、リーゼル。今日も、彼らがこちらに来る。


 ゼーレは、左目を覆っていた銀の髪を、自分でかき上げた。青い左目を、隠さずにさらした。


 今日は、隠す必要がない、と感じた。


          * * *


 戦場。


 アリアと、ゼーレは、いつものように剣を交えた。剣戟の音が、北方の荒野に響いた。


 ゼーレの細身の剣は、勇者の太刀筋を、先に読み切っている。打ち込みは最小、受けは最短、押し返しは一拍を外して入ってくる。アリアは、踏み込むたびに半歩、押し戻された。これまで何度も、彼女を死の淵まで運んできた、無駄のない剣だった。


 だが、今日のゼーレは、踏み込むべきところで、一歩、踏み込まなかった。アリアの剣を、確実に逸らしたあとの、半呼吸——いつもなら、そこに反撃の刃が来る。来なかった。


 数合の打ち合いの後、ゼーレが剣を引いた。


「勇者よ、お前は何のために戦う? 答えられるのか?」


 その問いは、以前にも、ゼーレが投げかけてきたものだった。あの時のアリアは、答えられなかった。"勇者だから"以外の言葉が、出てこなかった。


 でも、いまは——


「答えられる」


 アリアは、まっすぐ彼を見た。


「いまの世界を、終わらせないために」


「ほう。誰のために」


「住人のため。仲間のため」


「……それは、私と、どこが違う」


 ゼーレは、剣を、まだ下ろさなかった。


「住人を守れ、仲間を守れ——それは、勇者である者に、外から与えられた目的ではないのか。私と、向きが違うだけだろう」


 アリアは、すぐには返さなかった。


「……それは、私もずっと、考えてた」


 声が、少し低くなった。


「誰かに言われたから戦うんじゃない、と自分に言い聞かせてきた。でも、本当にそうなのか、自分でも、わからない時期があった」


「ふむ」


「でも——いまは、知ってる」


 アリアは、まっすぐ、ゼーレを見た。


「この世界は、私たちが気づかないところで、誰かの手で、ずっと、直されてきた。住人が今日も生きていられるのも、私がここに立っていられるのも——たぶん、あなたが、いまも剣を握っていられるのも。全部、その人が、向こう側で、繕ってくれているから、続いてる」


 ゼーレの眉が、わずかに、動いた。


「……誰かの、手」


「ええ。私も、つい最近、知った。神託のような形で、その人と言葉を交わしたの」


 ゼーレは、しばらく、何も言わなかった。


 いままで名前のつかなかった引っかかりが、わずかに、輪郭を持ち始めていた。

 

 主君ヴェルノスの、奇妙な"間"。命令を受けたときの、自分の喉の詰まり。前回の自分が、なぜか今回まで持ち越されている、説明のつかない連続性。それらすべてが、もし——どこか向こう側から、誰かに、繕われてきたものだったとしたら。


「……そういう、ものだったのか」


 独り言のような声だった。


「そしてその人は」


 アリアの声が、わずかに、低くなった。


「ずっと、ひとりで、それをやっている」


「……」


「だから、私は剣を握る。住人のため、仲間のため——それから、向こう側で、ひとりで世界を支えている、その人のため」


 ゼーレが、ようやく、目を上げた。


「……人の、ため、と言ったか」


「ええ」


「お前は——その人のために戦うと、誰に命じられたのだ」


「誰にも」


 アリアは、即答した。


「神託で、声を聞いて、自分で決めた。私も、その人と並んで、世界を直したい、と」


「……自分で、決めた、と」


「ええ」


 ゼーレは、しばらく、答えなかった。


 与えられた目的の外で、自分の意志で、何かを選ぶ。そんな道は、彼の中に、最初から、なかった。生まれたときから、戦うべき相手も、守るべき主も、すべて、最初から決まっていた。だが、目の前の勇者は——誰にも命じられていない場所に、自分の足で、立っている。


「……それは」


 ゼーレは、ようやく、口を開いた。


「それは……私が知っている、どの命令にも、書かれていなかった」


 言いながら、自分自身のことを言っているような気がしていた。

 

 命令の外側に——もしかしたら、自分にも、立てる場所があるのではないか。

 

 生まれて、初めての予感だった。


 風が、間を埋めた。


 やがて、剣の切っ先が、ゆっくりと、地面に向いた。


「……そうか」


 彼の口の端が、わずかに上がった。


「勇者よ、私は今日、お前に倒されるつもりはない」


「ゼーレ」


「だが、お前と本気で戦うつもりも、もはやない」


 ゼーレは、剣を地面に突き立てた。


「私は、生きることを選ぶ」


 その言葉は、誰に向けられたものでもなく、ただ、彼自身に向けられたものだった。


 しばらく、続きが出てこなかった。風が、彼の銀灰色の髪を揺らした。露わになった青い左目が、空の色と混ざった。


「我々は、生まれたときから、目的を与えられている——そう、信じてきた。それが祝福か、呪いか。長く、答えは出なかった」


 アリアは、剣を構えたまま、黙って聞いていた。


「主の命令を疑ったことは、ない。だが、いつからか、命令を受けるたびに、内側で何かが引っかかるようになった。それが何なのかは——いまだに、わからない」


 ゼーレは、地面に突き立てた剣の柄に、手を添えたまま、息を、長く吐いた。


「だが、お前と剣を交えるたびに、ひとつだけ、見えてきたものがある」


 息を、もう一度、吸い直した。喉の奥で、何かがつかえた。昨夜と、同じだった。だが、今度は、押し戻されなかった。


「私は——」


 言葉が、止まった。


「……終わりたくない」


 絞り出すような、小さな声だった。


 策と知略を、数百年にわたって積み上げてきた男の口から、ようやくこぼれた一言は、驚くほど短く、削ぎ落とされていた。だが、ゼーレ自身は、その短さに、不思議と、納得している顔をしていた。長く考えれば考えるほど、最後に残るのは、こういう、一行なのだろう、という顔だった。


「主の命令でも、世界の道理でもない。私自身が、そう望んでいる。それを、口にしたのは、これが、初めてだ」


 ゼーレは、左目の青を、まっすぐアリアに向けた。


 アリアは、しばらく動かなかった。やがて、剣の先が、わずかに下がった。


「……あなたは、ずっと、それを抱えていたのね」


「……長く、名前のつかないまま、抱えていた」


 ゼーレが、ふっと笑った。最初に見せた、本当の笑みだった。


「勇者よ、次は戦場で会いたくないものだ」


 アリアは、長く息を吐いた。剣を握っていた手の力が、ゆっくり抜けた。


「あなたが、自分で選んだのね」


「ええ。私もよ。次は、戦場じゃないところで」


 ゼーレが、馬の方に向かって歩き始めた。背を向けたまま、片手を上げた。


「魔王軍の指揮は、今日で終わりだ。残った将は、自分たちで生きる道を見つけるだろう」


 遠くで、グラムとスカルが、それぞれの方角に、ばらばらに歩き始めていた。「壊ス、壊ス」とつぶやくグラムの声と、「ケケケ」と笑うスカルの声が、風に混じって聞こえてくる。前回の戦いも、その前の戦いも覚えていないふたりには、自分たちの指揮官が去ったということすら、わからない様子だった。


 戦場から、魔王軍の将が、ひとり、消えた。


          * * *


 管理層。


「ノード、ゼーレが——」


「えーと……はい、メトリクスで確認しました。魔王軍指揮系統から、離脱です」


 俺はゼーレ専用のダッシュボードを開いた。彼の「指揮」を示す数値が、ゼロに落ちていた。代わりに、「移動」と「個人行動」の数値が立ち上がっていた。


 彼は、軍を捨てた。


 それは——プログラムが命令の枠を超えたように見える瞬間だった。


 本物の自我なのか、それとも、長く動き続けたプログラムが「自我を持ったように振る舞う」状態にまで到達しただけなのか。俺には、断定できない。前の世界でも、複雑なシステムが「判断しているように見える」境界線には、何度も出くわした。どこに線を引くかは、結局、見る側の問題だ。


 ただ、ゼーレが命令の系統から離脱したことは、観測上、確かだった。本物の意志でも、複雑な処理の偶然の帰結でも、結果は同じ。前の世界の言い方を借りれば——汎用人工知能の手前か、もう踏み込んだかの境界線にいる。判定は、保留する。


 ふと、思い至った。同じ境界線にいる存在を、俺はもう一人、知っている。


 勇者アリアだ。


 彼女は「勇者召喚」——世界の危機検知に応じた自動スケーリングの出力として呼び出された存在で、本来は判定テストに応答する駒として動くだけのはずだった。けれど、神託に「剣の意味がはじめてわかった」と返してきた応答も、「次の魔王、絶対に倒すから、安心して」と俺に送ってきた言葉も、与えられた役割の枠を、わずかに超えている。


 出自はまったく違うのに、ゼーレも、アリアも、同じ境界線の上にいる。


 判定は——どちらも、保留する。本物の自我かどうかは、いずれわかるかもしれないし、わからないままかもしれない。それでも、彼らが「役割の外」で何かを選んでいることは、観測上、確かだった。


 もう一つ、画面に変化があった。ヴェルノスのメトリクスから、一筋の数値が、ゼーレと同じ方向に揺れていた。


「悠真さん」


「ヴェルノスも、見てる」


「えーと……ゼーレ様の離脱を、ですか」


「ああ。自分と同じ立場の存在が、命令を捨てた。装置にとっては、いまの状況を再評価する材料になるはずだ」


 でも、ヴェルノス本体は、まだ動きを止めなかった。


 彼の起動準備は、もう、ほとんど完了していた。


 あと数時間で、過去最大の魔王が出現する。


          * * *


「ノード、最終切り替えのリソースを再計算」


「はい」


 ノードが計算を進めた。


 現状のリソース消費量:99.4。上限100の警戒線まで、もう0.6ポイントしかない。妨害トラブルへの対応で、想定外のリソースが食われている。


 最終切り替えに必要な追加リソース:40。


 足りない。14分、足りない。


「悠真さん——」


「わかってる」


 俺はホワイトボードを見た。


 計画上、最終切り替えは明日のはずだった。でも、ヴェルノスが妨害を本格化させた状態では、もう一日待つことができない。明日になればなるほど、リソースは妨害対応で削られていく。


 いま、やるしかない。


 でも、14足りない。


「ノード」


「はい」


「最終切り替えを、明日の朝に前倒しする。それまでに、14を捻出する」


「えーと……どこから、ですか」


 俺は答えなかった。


 削れる場所はすべて削った。各サブプロセスの追加削減も、ぎりぎりまで詰めた。地上のフィオナも、限界まで最適化を出してくれている。これ以上、外から持ってくる余地はない。


 ということは、内側から出す、ということになる。


 ふと、深層の奥にあるものを思い出した。エルディアスが去り際に作った、世界の状態の記録点。あれは、もうずいぶん前に、巻き戻すか前に進むかの選択でロールフォワードを選んだとき、使わずに残した。だが、記録点自体は、いまも世界の深層に眠っている。


 記録点というのは、対象を「保存された時点の状態」に強制的に巻き戻すための仕掛けだ。新しいデータでも、積み上げた連携でも、巻き戻った瞬間にすべて消え失せる。残っているのは、保存された時点のものだけ。それ以外は、もう、なかったことになる。


 巻き戻された分——いまの対象が抱えている重さ——は、世界の側から見れば、急に存在しなくなったプロセスの分だけ、リソースが空く。要らなくなったから返ってくるのではなく、対象そのものが消えた分の余白が、結果として世界に空く、ということだ。


 あれを使えば、足りない分は確保できる。でも、巻き戻される「対象」は、俺自身だ。俺を転生してきた瞬間まで巻き戻せば、いまの俺は——記憶も判断も、ノードと組み立てた設計も、地上の連中との関係も、ぜんぶ抱えたままの俺は——もう、いない。残るのは、何も知らずにこの世界に着いた、いちばん最初の俺だけだ。


 答えを出すのは、まだ早い。他に道はあるはずだ。少なくとも、ノードに伝えるのは、すべての選択肢を検討し終えてからにする。


 最終切り替えまで、あと十二時間。


お読みいただきありがとうございます。


【今回のIT用語】

終了プロセスの妨害動作:システムを移行しようとするとき、移行対象側のプロセスが「自分が消される」と判定すると、リソースを食い潰したり、警告を多発させたりして、移行を遅延させる動作を示すことがあります。本作のヴェルノスの妨害は、まさにこの「終了プロセスの自己防衛」に近い動きです。SREの現場でも、古いプロセスが新しいプロセスへの切り替えを妨害する場面は珍しくありません。


サブシステムの自律的離脱:プログラムから自我が芽生え、命令を超えて自分で動き始める——これは現実のシステムでは(まだ)起こりませんが、本作のゼーレが体現するのは「与えられた役割からの離脱」というテーマです。ゼーレが軍を捨てる瞬間は、本作のもうひとつの主要キャラの解放でもあります。


次話「世界が軋む」もよろしくお願いします。

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