第30話「広がる新世界」
「ノード、第二段階を実行する」
「えーと……はい」
朝、俺は決行のコマンドを打った。
リオン村と、その北の三集落。住人数で千人ほど。新世界が、一気に広がった。
差分集計の結果は、昨日と同じだった。住人の振る舞いは安定。天候は穏やか。経済の流れも変化なし。新設計が、千人規模でも問題なく動く。
「いける」
「はい。次は——」
「中央部の小さな町だ。住人数で五千ほど」
俺はリソース消費量を確認した。95.2。上限100の警戒線まで、5ポイントを切る余裕しかない。
最初の村のときは余裕があった。でも、規模が広がるほど、新世界の構築に必要なリソースが累積していく。残りの余裕は、薄氷のように細い。
「ノード、次の段階で警告が出たら、すぐに知らせろ」
「はい」
* * *
昼前、中央部の小さな町、ヴェニス。
町の広場で、人々が穏やかに行き交っていた。屋台の主人が客と話し込み、子供たちが追いかけっこをしていた。
その時、空が、ふっと暗くなった。
昼なのに、夕暮れのような光に世界が染まった。風が止まり、声がやんだ。人々が顔を上げ、互いの顔を見合わせた。
「……なに、これ」
「いま、空が——」
町の中心で、奇妙な現象が起きていた。新世界に切り替わったばかりの地域に、現世界の天候データが一瞬だけ漏れ込んだ。セレスが新設計の天候を流す瞬間と、現世界の古い天候処理が干渉した、一瞬の影。
すぐに、空は明るさを取り戻した。
でも、人々の不安は残った。
子供が母親の手を握った。屋台の主人が、客との会話を途中で止めたまま、空を見上げていた。年寄りが胸に手を当てて、何か小さく祈っていた。説明できない異変を一度でも目撃した町は、何時間か、もとの音を取り戻せない。風がもう一度吹き始めても、誰かが「あの暗さは、何かの予兆では」と口にしてしまうと、その不安は連鎖していく。
* * *
管理層。
「ノード、ヴェニスで一瞬、現世界の天候が漏れた」
「えーと……はい、検知しました。新世界の天候処理が、現世界の境界から流入を防ぎきれませんでした」
「セレスは」
「対応中です。境界の遮断強度を上げています」
「漏れの幅は」
「えーと……30秒、最大で12点ほどの強度差です。地上の住人が気づく範囲ですが、健康被害は出ない数値です」
最悪は免れた。だが、「気づかれる」のはこの種の移行で一番厄介な部類だ。物理的な被害よりも、住人の側に残る「世界が信用できない」という感覚の方が、長く尾を引く。
俺は街道の地図を見た。ヴェニスから周辺の集落へ、不安が広がっていく可能性。リーゼルの神殿に、住人からの相談が増え始めるはずだ。
ガルドに、急ぎの連絡を入れた。
神殿の祈祷ログ経由で、メッセージが届く。
『ガルド、ヴェニスで小規模な天候異常。冒険者ギルドの支部から、住人に「神官団の調査に伴う一時的なゆらぎ」と説明してほしい。詳細な対応は——』
返信が、すぐに返ってきた。
『すでに支部長に伝達。神官団と協力して、住人の安心を確保する。なお、勇者パーティが付近にいる。協力を求めてもよろしいか』
俺は少し迷った。
アリアたちにこれ以上の負荷をかけたくない。でも、彼女には伝えてある。「世界を作り直す」と。彼女は、自分の意志で剣を握ると決めてくれていた。
『お願いします』
* * *
ヴェニスの広場。
大きな盾を背負った騎士が、走ってきた。
「おい、住人ら、落ち着け!」
カイルは琥珀色の目で、混乱しかけている群衆を見渡した。彼の声は粗野だが、響きに芯があった。
「神官団の調査だ。ちょっと空がぐらついただけだ。怪我もない、家も無事だ。落ち着いて、自分の家に戻れ」
「で、でも、ついさっき急に暗くなって——」
「神様も、たまには昼寝するんだろ。すぐ起きた」
住人がきょとんとした。それから、何人かが笑った。
「めんどくせぇな」とつぶやきながら、カイルは群衆をひとりずつ落ち着かせていった。子供をなだめ、老人を椅子に座らせ、屋台の主人に水を出させた。
数十分後、広場には、いつもの音と光が戻っていた。
町の隅で、リーゼルが息を切らしていた。
「リーゼル、無理すんな」
「だ、大丈夫……ちょっと、怖がってた人たち、回復してきたよ」
彼女は心の不安にも、回復魔法を効かせていた。本人の生命力を代償にして。リーゼルの杖の鈴が、いつもより激しく鳴っていた。
「お前、また自分を削る癖か」
「みんなが元気なのが、あたしの元気なの……」
「お前のそういうとこ、ほんと——」
カイルは言葉を切った。それから、自分の革細工のポーチから、何かの飴を取り出して、リーゼルに渡した。
「食え。糖分」
「あ、ありがと、カイル」
リーゼルは、飴を口に含んで、ほんの少しだけ目を細めた。鈴の音が、ようやく落ち着いた。彼女の代償はいつも、後からじわじわ来る。今日は二、三日、立ち上がるのに時間がかかる日が続くだろう。それを承知の上で、彼女は今日も飛び出してきていた。
* * *
管理層。
「悠真さん、ヴェニスの状況、落ち着きました」
ノードがダッシュボードを切り替えた。住人の動きが平静に戻っていた。冒険者ギルドの報告書も、追加の問題なしと記載されていた。
ありがとう、カイル。ありがとう、リーゼル。
俺はメッセージを送ろうとして、やめた。彼らには、まだ俺の名前は知らされていない。アリア経由で、後で謝意を伝える。
地上の現場で動ける人間がいる、というだけで、管理層からの一手はずいぶん軽くなる。前の世界でも、深夜のインシデント対応で、現場で電話に出てくれる相手の有無で疲弊度が3倍変わった。役割分担は、こうやって積み上がっていく。
* * *
夕方、第三段階を実行した。
南部全域+中央部の主要都市。住人数で約十万人。新世界の地図が、大きく広がった。
リソース消費量は、97.9まで上がった。
「ノード、これ以上の規模になると、上限100を超える」
「えーと……はい。次の段階は明日に持ち越しを推奨します」
「同意する」
俺は計画を一日延ばした。明日、北部と西部を移行する。あさってに最終切り替え——全住人を新世界に移し、現世界を停止する。
もうすぐだ。あと少しで、世界は「終わらない世界」になる。
* * *
夜。
ヴェルノスのメトリクスを開いた。
昼間の天候異常の瞬間——あの数十秒間、ヴェルノスの躊躇度が、不自然に下がっていた。
いつもの揺らぎではない。明らかに、何かを「決めた」ような、唐突な下降。
「ノード」
「えーと……はい」
「ヴェルノスが、迷うのをやめた」
「えーと……それは、どういう——」
「迷いを乗り越えたわけじゃない。たぶん、自分の役割を、新しい状況に合わせて再定義した」
「えーと……再定義、ですか」
「世界を判定する装置から、世界の終了を妨害する装置に。たぶん、向こうから見て、俺は世界を勝手に作り変えようとしている『不正』だ。装置は、不正を見つけたら、対処するように設計されてる」
ノードが、息を呑んだ。
「えーと……でも、ヴェルノス様は、ゼーレ様と——」
「あいつの内面と、装置としての挙動は、別の話だ。ゼーレと話すヴェルノスは、たぶん本人だ。でも装置としてのヴェルノスは、本人の意志とは別に、設計通りに動こうとする」
画面の中で、ヴェルノスのメトリクスが、もう一度、小さく跳ねた。
俺は、ダッシュボードを閉じた。残りの時間は、もう、長くない。
次の復活まで、あと一日。
明日、装置は、目を覚ます。
お読みいただきありがとうございます。
【今回のIT用語】
プログレッシブロールアウト(段階的展開):新システムを一気に全体へ展開するのではなく、影響範囲を段階的に広げていく手法を指します。1人 → 100人 → 1000人 → 10000人 と、規模を大きくするごとに問題がないかを確認します。問題が出たら、その段階で止める。本作の悠真も、村 → 集落 → 町 → 都市 と段階を踏んでいます。
過渡期の干渉:新旧二つのシステムが並行稼働する間は、両者の境界で予期しない干渉が起きることがあります。本作の「天候の漏れ込み」は、まさにこの過渡期特有の現象です。SREの現場でも、移行期間中は通常時より多くのトラブルが発生する前提で、地上側の対応体制を整えておくのが鉄則です。
次話「装置が目を覚ます」もよろしくお願いします。
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