柳十兵衛 政虎たちを調べ出す 1
政虎たちは江戸の調査の目を撹乱するために猿一郎たちに土蔵破りをさせた。彼らはこれを成功させ、盗んだ金は賤機山に隠された。
これで江戸の調査も少しは緩むだろうと安堵する政虎たちであったが、その一方で彼らはこの計画で死人が出てしまったことに秘かに心を痛めていた。
猿一郎たちによる亀屋の土蔵破りはおおよそ成功した。これにより猿一郎たちの不満の解消、および十兵衛たちに対する目くらまし。そして何より政虎たちの陰目付のお役目も進行するという一挙三両得の形となった。
その一方で政虎たちはこの計画で死人が出てしまったことをひどく悔いていた。いくら大義名分があろうとも、いくら亀屋が裏で盗品売買をしていようとも、何も知らぬ町人が犠牲となれば心も痛む。そんな罪悪感からか、政虎と茂兵衛の二人は翌日亀屋へと足を伸ばすことにした。どうしてもその目で自分たちの選択の結果を確認したかったのだ。
ちなみに土蔵破りはすでに露見したらしく、往来ではまだ午前中だというのに多くの人が事件の噂をしていた。そしてその亀屋の前では見知った同心たちが必死に野次馬たちを散らしているところであった。
「まだ検分中だ!誰も近付くな!そこ、止まってないでさっさと歩け!」
「相当な騒ぎだな。まぁ無理もない。ここ最近では一番大きな事件だからな」
「こら、関係ない奴は近付くな!……なんだ、政虎様と茂兵衛か。何の用ですかい?」
見張りの同心は近付いてきた政虎たちに気付いて露骨に嫌そうな顔をした。ここが政虎たちの管轄外だったためである。
「ここはうちらの受け持ちですよ。関係ない奴は帰っていただけますか?」
「そう言わんでくれ。今日は知人として見舞いに来たんだ。ここの先代には世話になったからな」
適当な理由付けであったが、これはあながち嘘でもなかった。政虎の家系は元々川越人足の一族だったため、安倍川で働く商家の多くとは顔見知りだったのだ。実際政虎の訪問に気付いた亀屋の女房が涙ながらに駆け寄ってきたくらいである。
「あぁ、政虎の旦那!来てくださったんですね!私たちはもう本当に心細くて、心細くて……」
「おお、御新造か。話は聞いた。大変だったそうだな。……とりあえず中に入ろうか。ここは人目があるからな」
政虎は亀屋の女房を慰めながら見張りの男に目配せをする。男も泣いている被害者相手では手も足も出ないようで、心底嫌そうな顔をしながらも政虎たちを通してくれた。
上手いこと屋敷の中に入った政虎たちは他の同心たちの邪魔にならないよう隅に行き、そこで亀屋の女房を慰めながら事件の概要を聞き出そうとした。
「どうやら大変だったようだな。話を聞いたときは驚いたよ。土蔵破りだってな。旦那に怪我はなかったかい?」
「ええ、おかげさまで旦那は無事です。でも、あぁ……、若い奉公人が一人、賊に殺されてしまって……。」
政虎が来たことで少し落ち着きを取り戻した亀屋の女房であったが、死んだ奉公人を想って感極まったのだろう、またさめざめと泣き始めてしまった。話は進まなかったが彼の死については政虎たちも痛ましく思っていたため、他意なく彼女の背中をやさしく叩いてやる。
「あぁ、わかるよ。なんてむごい話なんだろうねえ。親御さんのことを思うと言葉も出ないよ」
「ええ、本当に……。彼の両親は俵川村にいるんですけど、そこに送る文の墨すら擦れないほどでして……」
(俵川村……。確か安倍川上流の村だったな。ということはその奉公人も盗人の一人だったのかもな)
そんなことを考えながらも顔には出さずに慰める政虎たち。女房はしばらく泣いては話し、泣いては話しを繰り返していたが、半刻ほどしてようやく少しは落ち着いたようだった。
「……あぁ、ごめんなさい、政虎様。こんなみっともないところを見せてしまって……」
「大丈夫だ、気にするな。こんなことがあったんだ。誰だってどうしようもなくなるさ。そういえば旦那はどうしたんだい?そっちにも声を掛けておきたいのだが……」
「旦那は別の与力様と一緒に、川沿いの貸し蔵を見に行っております。あぁ……、向こうも襲われていたら私たちはどうすれば……」
「落ち着け。悪いことばかり考えるのは気が弱っている証拠だぞ。……なぁ、誰かいるか?彼女を少し休ませてやってくれ」
政虎が声を張ると近くにいた同心が彼女を引き取り奥へと連れて行った。そして手持ち無沙汰になったところで、頃合いを見計らっていたのか、一人の男が声を掛けてきた。
「終わりやしたかい、政虎の旦那。まったく、よその与力が来たら困るのはこっちなんすがね」
「貞久か。そう言わんでくれ。知人の見舞いのようなものなのだから」
声を掛けてきたのは貞久という、このあたりを担当している齢四十半ばの与力であった。ちなみに彼は江戸から命令など受けてない、純粋な駿府の与力である。ゆえに政虎もそちらの顔で応対する。
「それで具合はどうだい?土蔵破りな上、死人も出たと聞いているが」
「へへっ。見舞いに来た奴が訊く質問じゃありませんね。……まぁいいでしょう。お聞きの通り、昨晩亀屋の土蔵が襲われ、その際寝ずの番をしていた奉公人が一人殺されました。現場は向こうです」
貞久は二人を庭の隅にまで案内した。場所は土蔵近くの庭木の茂ったところ。彼曰く、ここで奉公人が殺されたとのことだった。
「地面が赤黒くなっているのが見えますか?血の跡です。奉公人が殺されたのはここで間違いないでしょう」
「ここで?外にいたのか?何か物音でも聞いたのか?」
「どうでしょう、昨日は風が強かったですからね。他の奉公人の話によると、居眠りしないように見張りがてら外に出たんじゃないかとのことでしたが」
「知るのは死人ばかりということか。得物は?」
「傷跡から見るに短刀の類かと。後ろから鋭い刃物で背中を突いたのち、襟首をつかんで引き倒してそのまま喉を一掻き。下手人はかなりの手練れのようですな」
貞久は相手を引き倒して、喉にざくりと刃物を突き立てる動きをして見せた。それを見た政虎にある疑念が浮かぶ。
「倒されて喉を一掻き……。ん?縛られたりとかはされてなかったのか?」
「拘束されてたかってことですかい?うーん、縄とかそれに類する跡の報告は受けてませんね。手に傷もなかったし、おそらくほとんど抵抗する間もなく殺されたはずですよ」
「そ、そうか……」
(どういうことだ?聞いた話では猿一郎たちは一度奉公人を拘束していたはず。殺したのは急に騒がれてしまったからだと言っていたが、まさか奴ら、最初の時点で殺していたのか……?)
猿一郎たちの報告と異なる証拠に困惑する政虎。おそらく茂兵衛も同じような疑念を抱いたのだろう。彼は念押しするように追加で貞久に尋ねた。
「本当にここで殺されたんですか?ここは、その……、それなりに見通しも利くため襲うには適してないかと……」
「ああ、それならたぶん下手人はそこの茂みの陰に隠れてたんでしょう。覗いてみてください。地面に飛び掛かった際の足跡が残ってますから」
言われて茂みの陰を見ると、そこには確かに強く地面を蹴って飛び掛かったかのような草履の跡があった。そして茂兵衛はその足跡に斯一の姿を重ねる。
(確かにあいつならこの茂みの陰にも隠れられそうだ)
夜の亀屋に侵入した斯一。彼はこの茂みの陰に隠れ、息をひそめて獲物がやってくるのを待つ。まもなくして何も知らない奉公人がふらふらと歩いてきて茂みを通り過ぎる。夜闇に見えるのは無防備な背中。覚悟を決めた斯一は音もなく飛び出し、その背中目掛けて短刀を素早く――。
「……くそっ」
「ん?どうかなされましたか、茂兵衛の旦那?」
「……いや、むごい事件だと思いましてね。それで下手人の目星は着いているんですか?」
「そのことなんですが、ちょっと面倒なことになりましてな……」
ここで貞久は困ったように頭を掻いた。政虎たちは彼の苦悩の原因に気付いていたが、あえて知らぬふりをして彼の言葉を待つ。
「何かあったんですか」
「ええ、実はまだ確認中なのですが……、どうも亀屋の連中、荷渡しの人足を使って積み荷の一部をくすねていたみたいなんですよ」
「積み荷をくすねる?」
「わざと荷物を川に落とすなどして紛失したことにして、仲間にこっそりと回収させるんです。そうして集めた品を横流しして私腹を肥やしていたようですな」
「なっ!?亀屋がそんなことを……!?」
実のところ政虎たちはこのことを知っていたし、そもそもこの複雑性が捜査を困難にすると見越したうえでここを襲うと決めたのだ。だが彼らはそんなことなどおくびにも出さず、何も知らないふりをして残念そうに眉根を寄せた。
「まさか亀屋がそのようなことを……。ハッ!ということは今回の件、その盗品売買関係で何かいざこざがあったかもしれんということか?」
「あり得る話ですな。盗まれた額も半端ですし、示威的な事件の可能性もある」
「大変そうだな。……何を手伝えばいい?」
「……すみませんが、金遣いが荒くなった奴がいたら教えてください。他に何かあったら追加で頼むこともあるでしょう。……まったく、面倒な事件になりそうだ。今年中に解決できるといいんだがな」
こうして政虎に協力を取り付けるところまでが彼の想定だったのだろう。言うだけ言った貞久は頭を掻きながら自身の捜査に戻っていき、政虎たちはそんな彼を黙って観おくるのであった。
貞久が捜査に戻ると、政虎は真剣な表情で隣に控えていた茂兵衛に尋ねた。
「聞いたか?殺された奉公人の話……」
「はい……。暴れた形跡がなかったという話ですね……」
殺された奉公人。猿一郎たちは彼を一時拘束していたが、騒ごうとしたためやむを得ず殺したと言っていた。しかし貞久たちの調査では奉公人に縛られた跡はなく、殺しも短い時間で躊躇なく行われていたことがわかった。
これは猿一郎たちの嘘を示すものであり、かつこれが事実ならば彼らがこちらの言いつけを無視したことになる。
「最悪の展開だ。あいつらはあんな奴らだが、約束事なら守ってくれると思っていたのだがな」
「どうします?問いただしますか?」
「……難しいな。下手に詰めれば反抗してくるかもしれん。あいつらもこちらの秘密を知っているわけだしな。……とりあえず一度屋敷に戻ってから考えるか」
思わぬ悩みの種が増えた政虎たち。二人はとりあえず一度屋敷に戻ろうと亀屋を出るのだが、そこで野次馬の中の一人が声を掛けてきた。
「お、いた。政虎殿、こちらです」
「ん?」
声のした方に顔を向けてみれば、そこにいたのは江戸の遣いである十兵衛と友重であった。政虎たちは思わぬ出会いに驚きながらも、すぐさま善良な与力同心の顔を作って返事をした。
「おや、十兵衛様方。こんなところで奇遇ですな。今日はこの辺りの聞き込みですか?」
「いや、町を歩いていたら土蔵破りの噂を耳にしましてな。それでアテもなかったので来てみれば政虎殿たちを見つけたというわけです。しかしなぜこんなところに?ここは政虎殿たちの管轄ではないでしょう?」
尋ねてきた十兵衛たちに対し、政虎は移動しながらここまでのことを話した。
「なるほど。古い知り合いだったのですね。しかし殺しも起きてたとは、痛ましい事件ですね」
「ええ。早いとこ貞久には下手人を挙げてほしいものです」
「……時に政虎殿、これは駿府を脅かそうとする牢人たちの仕業だったりするでしょうか?」
(!!……まぁこいつらはまずそれを疑うだろうな)
いきなり本質を突いてきた十兵衛たち。確かに彼らの立場を考えればまずそこを疑うことだろう。だが政虎たちもこのような追及をかわす準備はしてきた。
「今はまだ何とも言えませんね。結果がわかればすぐにお知らせいたします。……あぁそれと、私は少しこの件に協力することになりました。ゆえに十兵衛様たちのお手伝いが滞ることもあるでしょうが、どうかそこはご了承ください」
「む、そうですか。……いや、そちらが本職なのですから仕方ないですよね」
「ご理解感謝いたします。それでは私は同心たちに指示を出さねばならぬゆえ、お先に失礼させていただきます」
そう言うと政虎たちはぺこりと一礼し、自身の屋敷のある方へ駆けていった。十兵衛たちも仕事ならば仕方がないと特に引き留めることもなく見送るが、彼らが十分に離れたところで友重が尋ねた。
「……行ってしまわれましたね。どう思われます、十兵衛様?」
「うーん。どう見ても普通の与力のようなのだがなぁ」
やがて政虎たちの背中は群衆の陰に隠れて見えなくなった。
「未だに信じられんよ。あの政虎殿たちが牢人騒動に関わっているかもしれないだなんて……」
十兵衛たちの話は一日前にさかのぼる。亀屋襲撃が起こるその日の日中、彼らは町で牢人たちの噂を追っていたが、この日は折悪く強風で聞き込みは思うように進まなかった。
「……ダメですね。誰も立ち止まっちゃくれない。このままじゃ丸一日無駄になりますよ」
「そうですね。一度屋敷に帰りましょうか。誰かが戻ってきてるかもしれませんし」
結局十兵衛たちは「この日は運が悪かった」と早々に調査を打ち切り屋敷に戻るのだが、そこでは父・宗矩と、彼と共に江戸から派遣されて来た伊豆守・松平信綱とがひざを突き合わせて何やら話し込んでいた。
「おっと、お邪魔でしたね。申し訳ございません。すぐに退きますので」
従五位下の官位持ち二人による会合である。自分は場違いだろうと立ち去ろうとする十兵衛であったが、それに宗矩が待ったをかけた。
「待て、お前の帰りを待っていたのだ。友重と共にここに直れ」
「私たちを?何かわかったのですか?」
思いがけない言葉にキョトンとしつつも、二人は宗矩たちの下手に腰を下ろす。すると信綱が時間が惜しいとでも言いたげに早々に本題に入った。
「時にお二方は今、山野辺政虎なる古参与力と協力して市井の調査を行っているそうですね」
「え、ええ、まぁ……。成果は芳しくはありませんが……」
「お気になさらず。今回はそのことを責める場ではありませんので。……率直に申しますと、こちらの調査でその政虎なる与力が怪しいのではないかという疑念が生じたのです」
「ええっ!?そんな馬鹿な!?」
まさかの報告に驚く十兵衛と友重。しかし信綱はそんな二人の反応などお構いなしに淡々と話を進める。
「信じられない気持ちはわかります。ですが現段階ではその可能性が高いと言わざるをえません」
「り、理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「もちろん。時に十兵衛殿は彼の御子息である政嗣なる者のことをご存じですか?」
信綱の質問に十兵衛たちは頷いて返した。政嗣とは政虎の息子で、与力職を継いだ数年後に酔っ払いの喧嘩に巻き込まれて亡くなっていることを茂兵衛から聞いていた。そのことを話すと信綱は肯定的に頷いたのち話を補完する。
「おおむねその通りです。ですがその酔っ払いがどこの誰かまでは聞いていないようですね」
「え、そ、それは確かにそうですが……、何か特別な方だったんですか?」
「はい。こちらの調査の結果、政嗣殿を害したのは先代の城代・松平丹後守(松平重忠)様の配下の者だったことがわかりました」
「なっ、城代の!?」
「はい。そしてそれを機に彼は御公儀に対して不信感を抱いた可能性がございます」
信綱によると、政嗣殺害の件で重忠の家臣はその身分を笠に最後まで抵抗したらしい。しかも最終的な判決は主君・重忠の地元である出羽国への帰国のみ。そんなことをされれば御公儀に対して憎悪を募らせるのも無理ない話である。とはいえこれだけで政虎が敵になったと認定するのは早計だ。
「そんなことがあったんですか……。うぅん……。確かに気になる話ではありますが……」
「わかってます。これだけならば、まぁ痛ましいながらもよく聞く話です。問題はこの後――実はこの下手人、のちに出羽国にて処分されたことがわかりました」
「処分?あんなに抵抗したのにですか?」
「ええ。詳しい事情は向こうに人をやらねばわかりませぬが、なぜか数年後にこの件が蒸し返されて新たな判決が下ったそうです。そしてその数か月後に政虎殿が与力職に復帰したとのことです」
「うぅむ……。それは……確かに偶然にしてはよくできてますが……」
確証が持てるほどではなかったが、偶然として片付けるにはあまりによくできた話であった。そして思い起こせば、政虎たちとの関係が十兵衛たちの調査に寄与したことは何もなかった。
「そういえば湛仁探しも紙一重のところで取り逃したな……」
十兵衛たちは湛仁という僧侶を探しており、その過程で『仁恵』という背格好の似た仏僧がいることを突き止めた。しかしその仁恵がいる寺を尋ねてみたところ、つい前日に親族がいる箱根に向けて旅立ったと言われてしまった。その時は単に運が悪かったと解釈していたが、今思えば政虎たちによる誤った情報に時間を取られていた気がしなくもない。
考えれば考えるほど怪しくなる政虎たちに、十兵衛はぶるりと寒気を覚えた。
「……まさか、本当に?え、だとしたら私たちはどうすれば……?」
思わぬ話に混乱する十兵衛であったが、これに対し信綱は快刀乱麻に答えた。
「とりあえず十兵衛殿たちはこのまま以前と変わらず彼らと接触し続けてください。こちらの推察が正しかろうが間違いだろうが、それで何かしらの証拠が出るはずです」
「しょ、承知いたしました。とりあえず明日、早速政虎殿に会ってこようと思います」
そうして一夜明けた現在――十兵衛たちは信綱の指示通り政虎たちに近付こうとしたが、亀屋の事件を言い訳に煙に巻かれてしまったところであった。
「上手いこと逃げられてしまいましたね。いかがなされますか、十兵衛殿?このまま尾行でもしてみますか?」
「いや、怪しまれては元も子もない。ここは俺たちも一度戻って次の手を考えようか。しかし未だに信じられんよ。あの政虎殿たちが牢人騒動に関わっているかもしれないだなんて……」
十兵衛は消えた政虎たちの背中を思い起こしながら、自分たちも屋敷への帰路につくのであった。




