表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
299/299

柳十兵衛 政虎たちを調べ出す 2

 被害を確認すべく土蔵破り後の亀屋に足を運んだ政虎たち。ここで彼らは猿一郎たちが意図的に奉公人を殺したかもしれないことに気付き、彼らの忠心を疑い始める。

 その一方で政虎の過去を知った十兵衛たち。彼らもまた政虎たちの不可解な行動について疑い始めていた。


 伊豆守・信綱の報告により政虎の過去を知った十兵衛たち。それにより彼らの政虎たちに対する信頼は揺らぎ始めていた。

「まさか政虎殿の御子息の死にそんな裏があったとは。しかしそれですぐに敵と認定するのは早計だ。まずは落ち着いて真偽を確かめねばな」

「ええ、その通りです。確か政虎殿は亀屋という店に行ったんでしたよね?まずはそちらに向かいましょうぞ」

 話を聞いた十兵衛たちは翌朝早速政虎の屋敷に向かったが、留守番をしていた下男曰く政虎は朝一で土蔵破りがあった亀屋に向かったとのことだった。急いで後を追った二人はその亀屋の門前で政虎と会うことができたが、しかし彼は事件を理由に上手いこと二人から逃げてしまった。

「すみませんが同心たちに捜査の指示を出すために戻らせてもらいます。報告の方はまた後日折を見て行いますのでどうぞご容赦ください」

「そうですか。いえ、そちらが本職なのですからどうぞお気になさらず」

 足早に去る政虎を見送った十兵衛たちであったが、その理解ある顔とは裏腹に彼に対する疑念はますます強くなる。

「政虎殿……。まさか本当にこの牢人騒動に関わっているのでしょうか……?」

 政虎はかつて駿府城城代の権威の前に息子・政嗣の死をないがしろにされてしまった。その恨みから反体制派になっていたとしてもおかしな話ではない。実際彼が敵だったと考えると色々と辻褄が合うこともある。例えば数日前に紹介された庄五郎(しょうごろう)なる牢人などがそれである。

「もしあの日庄五郎を追っていなければ、湛仁にも会えたかもしれなかったしな」

 十兵衛が名を挙げた庄五郎とは、政虎が「もしかしたら今回の件に関わっているかもしれない」と紹介した牢人であった。だが結論から言えば彼は完全に無関係の人間だった。そしてこの調査に一日費やしてしまった結果、紙一重で湛仁らしき坊主を取り逃してしまったのだ。

仁恵(じんけい)でしたっけ?まさか一日遅れで逃してしまうとは思ってもみませんでした」

 数日前、湛仁という坊主を探していた十兵衛たちは、聞き込みの末にそれらしい人物――仁恵という坊主の噂を耳にした。聴けば仁恵は今年に入ってからどこかから流れてきた坊主で、まるで僧兵のように筋骨隆々で、しかも西国訛りだったという。十兵衛たちもこれほど条件に合致する人物もいまいと期待していたが、しかし彼を訪ねにいったところ、住職曰くつい前日に知人に会いに暇を貰って出ていったとのことだった。

『申し訳ございませんが、仁恵は昨日浜松にいる旧友の元に行くと言って出ていきました』

『うぅむ。一足遅れだったか。昨日のうちに来れていれば……』

 その時は単に運が悪かったのだと思っていた。しかし政虎が敵だったとすると話は変わる。彼は十兵衛たちが湛仁を追っていたことを知っていた。ならば彼が庄五郎を紹介したのも、その結果一日違いで湛仁を取り逃したのも、すべて彼の策謀のうちだったのではないだろうか?

 もちろんこれらのことに明確な証拠はなく、すべては推察に過ぎない。しかし一度気になるとすべてのことが怪しくなって見えてくるものである。

「……わからんな。まさかあの亀屋とかいう店の土蔵破りも策略の一つなのか?」

「落ち着いてください、十兵衛様。すべてはまだ推察の域なのですから」

「う、うむ、すまない。疑心暗鬼はよくないと常日頃言われているのにな。しかしこうなってしまうとどこから手を付ければいいのか見当もつかないな……」

 盤面がガラリと変わってしまったことに困惑しているのか、ガシガシと頭を掻く十兵衛。友重はそれを年の功で落ち着かせた。

「とりあえず一度屋敷に帰りましょう。伊豆守様たちが新たな情報を持ってきているかもしれませんしね」

 ここで話すようなことはもうないだろう。二人は気分転換がてら道中で酒やら肴やらを買い込んでから自分たちの屋敷へと戻った。


 さて、次の作戦を練るために屋敷に戻ってきた十兵衛たち。するとそんな二人を待っていたのか、玄関に着くなり一人の男が声を掛けてきた。

「戻られましたか、十兵衛殿。卒爾ですが少しばかりお時間よろしいでしょうか?」

「貴殿は……種長殿ですか。どうしたんですか、改まって」

 声を掛けてきたのは尾張御公儀所属の忍び・古賀種長という男であった。今回の件は尾張も多少ながら関わっている。そのため身の潔白の証明と情報収集のために派遣されてきたのが彼――種長であった。

 そんな種長は十兵衛が会った猿一郎という名の牢人について尋ねてきた。

「先程他の者から聞いたのですが、十兵衛殿たちは数日前に猿一郎なる者と出会ったそうですね。しかもその場には政虎殿の同心もいらしたとか」

「ええ。安倍川の河原で少しばかり相撲を取りました。お知り合いですしたか?」

「知り合いと言いましょうか……。もしかするとそいつは尾張の方で少々名の通っていた牢人かもしれません」

 居間に場所を移した種長の話によると、かつて尾張にも猿一郎という名の牢人がいたらしい。その尾張の猿一郎は表向きはゆすりや恐喝などで金品を巻き上げる小悪党だったが、その裏では一派を率いて大きな犯罪にも手を染めているという噂があった。

「なぜか金の切れ目がないことで有名なやつでしてね。だから裏ではえげつないことに手を染めているのではないかとよく噂されていた奴でした。五年ほど前に尾張で起こった土蔵破りにも関与しているんじゃないかと疑われていたほどです」

「土蔵破り……!」

「ええ。亀屋とやらでも起こったと聞いております」

 猿一郎と土蔵破り。思わぬところで話が重なるが、一方で十兵衛たちはちゃんと慎重だった。

「しかしまだその猿一郎とやらが同一人物かまではわからないのでしょう?それにそもそも捕まっていないということは、尾張の事件だって彼がやったかは定かではないということだ」

「ええ。おっしゃる通りです。だからまずは彼が同一人物なのかどうかを確認してみようかと思っております。私は昔一度奴の顔を見ておりますので」

「ほぉ。確かにそれがわかればかなりの進展になりますね」

 どうやら種長はまず猿一郎の正体をはっきりさせるつもりらしい。確かにそこがはっきりしなければ話は始まらない。そして種長はそのために彼らの屋敷の場所を知らないかと十兵衛たちに訊いてきた。

「向こうは私の顔を知らないので直接見に行ってこようかと思っております。それでお聞きしたいのですが、お二方は彼の居場所をご存じで?」

 だがこれに十兵衛たちは残念そうに首を振る。

「すみません。そこまでは知りませんね。政虎殿や茂兵衛殿ならば知っているかもしれないですが、今彼らに尋ねるのは……」

「そうですね。控えた方がいいでしょう」

 昨日までの十兵衛たちなら素直に彼らに訊くことを提案していただろう。しかし彼らが怪しいと気付いてしまった今、無闇に猿一郎たちを追っていることを知られると湛仁の件の二の舞になってしまうかもしれない。それを危惧した十兵衛たちは自分たちだけでどうにかできないかと必死に考え、そしてふと当時の茂兵衛との会話を思い出した。

「……そういえば彼らは浅間神社の神人(じんにん)(神社の雑務を担う下級神職)だと言ってましたね。なら彼らの屋敷もその寺社地周辺にあるんじゃないでしょうか?」

「浅間神社……。ということは町の北西ですか。わかりました。とりあえずそのあたりを探してみましょう」

「すみません。お力になれなくて」

「お気になさらず。では何かわかり次第報告いたしますので」

 猿一郎たちの屋敷は町北西の寺社地にあるはずだ。それだけわかると種長は腰に刀を二本差し、下級武士の変装をして屋敷を出たのであった。


 猿一郎たちは浅間神社の関係者。その情報を頼りに町の北西部にやってきた種長は、まずは近くの酒屋に立ち寄り聞き込みをしてみた。尾張時代の猿一郎はよく仲間たちと酒盛りをしていたため、何か手掛かりが手に入るのではと思ってのことだ。

 その推察は大当たりで、種長は店に着くや早々に彼らを知る者の話を聞くことができた。

「ああ、猿一郎さんたちかい?それなら三つ目の辻を右に曲がった先にありますよ」

 酒屋の主人によると、猿一郎と名乗っている彼らはここの常連でお得意様とのことだった。曰く、よく昼間から仲間の誰かが酒を買いに来ているらしい。

「神職だというのに昼間から酒か」

「あの人らは『お神酒』や『薬湯』と言って買ってますがね。まぁうちとしては売れるのなら相手が坊主でもお侍様でも構いませんので」

「ふむ。次にいつ来るかはわかるか?あるいは今日来そうだったりするか?」

「どうでしょう。昨日いらしたばかりですから今日は来ないと思いますよ。いつも通り数日分の酒をまとめて買っていかれましたんで。あの量なら次に来るのは明後日くらいじゃないですかね」

「明後日か……。ふむ、それなら直接出向いた方が早いか……。店主、邪魔したな」

 酒屋を出た種長は店主から教えてもらった猿一郎たちの屋敷へと向かう。その道中、彼はふと五年前の土蔵破りのことを思い出していた。

(『いつも通り』か。思い出すな。あの時も奴らはいつも通りだったんだ)

 かつて尾張で起こったとある土蔵破り。その容疑者として猿一郎たちの名が上がったが、当時の与力たちは彼らを捕らえるには至らなかった。その理由の一つに彼らがあまりにも『いつも通り』過ぎたことがある。

『ダメだ……。奴らの動きにおかしなところがまるでねえ……』

 そう弱音を吐いたのは種長の知人である一人の与力であった。彼曰く、土蔵破りのような大事件を起こした犯人は往々にしてその言動に興奮や達成感がにじみ出るとのことだったが、しかし彼らにはそれがなかったらしい。

『あいつらはいつも通りなんだ。いつものように安酒を煽り、いつものように下品な話題で盛り上がり、いつものように難癖をつけて金を巻き上げる。いつも通りの小悪党過ぎて捕らえようがねえんだ』

『金の動きではわからんのか?結構な額が盗まれたのだろう?』

『それもダメだった。酒は相変わらず店で一番安い酒だし、肴が一品増えたという話も聞かねえ。いっそ適当な罪をでっちあげて捕まえてやろうかなんて話も出たが、あいつら無駄に顔が広いからな。下手をすればここら一帯の牢人全員が敵に回っちまう』

 当時はまだ今ほど牢人排斥運動が活発ではなかったため、お上であってもそう無茶はできなかった。そしてその後もろくな証拠は挙がらず、この事件は迷宮入りとなる。

 猿一郎たちは最後まで重要参考人として注目されていたが、結局彼らの手に縄がかかることはなかった。その報告を聞いた知人の与力が悔しそうにそこらへんにあった桶を蹴飛ばしたのを種長は今でも思い出せた。

(あの時の猿一郎はうまく逃げおおせた。もしここの猿一郎が同一人物で、かつ五年前の事件と亀屋の事件が奴らの犯行であるのならば、普通に調査しても証拠など出まい。それこそ懐に潜り込むくらいの覚悟がなければな……)

 半端な調査では何も出ないだろう。そう思い出しながら確信する種長は、まもなくして猿一郎たちの屋敷が見えてくるところまでたどり着くのであった。


(ここか。さて、どう調べてやろうか……)

 教えてもらった屋敷が見えるところにまで来た種長は、まずは素知らぬ顔で前の通りを歩いてみた。自然な歩幅を維持しつつちらと横目で見てみれば、門は不用心にも開けっ放しで奥には手入れされていない庭が見えた。見たところ、どの町にもちらほらとある荒れた古い屋敷である。

 しかし種長はそんなありふれた屋敷にわずかに違和感を覚えた。

(築は古いがいい屋敷だな。立地も特別良いわけじゃないが、特別悪いわけでもない。あいつら、いったいどうやってこんな屋敷を手に入れたんだ?)

 屋敷は一牢人が手に入れるにはあまりにも立派過ぎた。無論十分な金があれば買えないこともないだろうが、それだけの大金を使えばまず間違いなく御公儀の目に留まり調査の対象となる。そして調査が行われていれば、彼らが尾張の方で名の知れた牢人たちだったことが露見しているはずだ。

(しかしそんな情報はなかった。ということは誰か立場のある者が手引きをしたということか。……まぁそのあたりの調査は伊豆守様にでも任せればいいか。まずは奴らの姿を確認せねばな)

 種長は通りに人気がないことを確認すると、足音もなく門をくぐり玄関の陰に身を潜め、そしてそのまま数十秒息を殺して気配を探った。もし誰かが種長の侵入に気付いたならば何かしらの動きがあるはずだが、三分近く待っても屋敷の様子に変化はない。どうやら中の連中は種長の侵入に気付かなかったようだ。半ば直感的な行動であったが、彼はこのまま調査を続けることにした。

(よし。ではどこから見て回ろうか)

 手早く頭巾で顔を隠した種長は、まず周囲の確認を行った。見たところ敷地内は手入れがされてなく雑草なども伸び放題であったが、多くが冬枯れしているため伏せて隠れられるほどの高さはない。むしろ掻き分けた時にガサゴソと音が鳴って、それでバレてしまう恐れがある。となると床下伝いで見て回った方がいいだろう。もちろんこちらはこちらで地面を這いずる音が聞かれてしまうかもしれないが、それを最小限にするのが種長である。彼は腰に差していた腰の刀を近くの茂みに隠すと、そのまま近くの床下に潜り込んだ。

(……ふむ。罠の類はないようだな。ではまずはざっくりと屋敷全体を見て回るか)

 床下に潜り込んだ種長であったが、いきなり中央の座敷などを目指したりはしない。まずは見張りや逃走経路の確認が先だと、彼は縁側沿いにぐるりと屋敷を一周する。

(どうやら庭に見張りなどはいないようだ。まぁ普通の神職のフリをしているのならば当然か。……あっちに見えるのは土蔵だな。錠がかかっているから今は手が出せなまい。お、あの木を使えば塀の上に登れそうだな。逃げる時用に覚えておくか)

 物陰沿いに一周した結果、特別目を引くような者は見受けられなかった。ならばと種長はそのまま床下から屋敷の中央を目指して進み、やがて賑わっているとある部屋の真下に到着した。どうやら上の奴らは昼間から酒盛りをしているようだが、残念なことに音はくぐもっていたため会話内容まではわからなさそうだった。

(しまったな。聞き耳用の道具も持ってくるべきだった)

 忍びが使う道具の中にはこういった場面で音を聞きやすくするようなものもあった。ただ今回の種長は尾張御公儀の見届け人として駿府に来ていたため、そのような細々した道具は持ってきていなかったのだ。準備不足を嘆いた種長は少し悩んだのち一時撤退することを決める。

(仕方がない。侵入自体は容易なのだし、ここは一度帰って誰かから道具を借りてくるか)

 そうして体の向きを変える種長。しかしここで彼は思いもよらぬ物を発見する。

(何だあれは……?あれは……壺か!?)

 種長の目に映ったのは、床下の柱の影に隠すように置かれていた一つの小さな壺であった。


 猿一郎の屋敷を調査していた種長。そんな彼は床下にて思いもよらぬものを発見した。

(何だあれは……?あれは……壺か!?)

 種長は屋敷の床下の柱の影、そこに一つの小さな壺が置かれてあるのに気付いた。そして彼はすぐに思い出す。亀屋の土蔵破りでは銭の詰まった壺が盗まれたという話を。

(まさか亀屋から盗んだ壺か!?……いや、あいつらがこんなところに、こんなわかりやすい証拠を残すはずがない!しかしだとすればあの壺は何だ……!?)

 種長はゆっくりと壺に近付き慎重に検分する。コケや汚れを見るに長年ここに放置されていたものではない。それどころか壺は昨日今日に急遽ここに置いたようにも見える。つまりは亀屋の事件に合致するということだ。

(……いや!あいつらがこんなわかりやすい証拠を手元に置いておくわけがない!そもそも盗まれた壺は七個ほどあったと聞いている。これだけがここにあるのはおかしいだろう。……しかしだとするとこの壺は何だ?)

 盗まれた壺でないことは薄々察してはいたが、となるとこの壺がここに置かれている理由がわからない。いっそ無視をしてしまうのも一つの手ではあったが、無意識下で何の成果も挙げれていないことを気にかけていたのだろう。彼はこの壺の中身を確認してみることにした。

(上に人はいないな。ならば少しだけ……)

 酒宴は隣の部屋で行われいてるため、多少の物音ならば聞かれることはないだろう。そう考えた種長は慎重に壺のフタに手を掛ける。

 しかし種長がフタを外したまさにその時、壺の中で引っかかっていた何かがするりと解放される感触がした。

(しまっ……!)

 ――チリンチリンチリン

(!?クソッ!罠か!)

 種長はすぐさまその場から飛び退いた。彼に確認する暇はなかったが、実はあの壺の中には糸にくくられた銭が複数取り付けてあったのだ。その糸は端をフタに噛ませて固定されており、誰かがフタを開けると糸が解放され、壺の中に銭が落ち音が反響するという仕組みであった。

 そしてこの罠の意図は言うまでもなく猿一郎たちに侵入者を知らせるためのものであった。

「下で音がしたぞ!侵入者だ!逃がすなよ!」

「おおっ!」

 頭上でドタドタと男たちが走り回る音がする。先程まで酒盛りをしていたとは思えない機敏な動きである。この足音を聞いて種長は本当にマズい状況であることを察する。

(動きが早い!このままでは追い詰められる!)

 危険を感じた種長はすぐさま屋敷の出口の方――ではなく、あえて屋敷の奥の方へと急いだ。こんな罠を仕掛けているくらいだ。おそらく出入り口を封鎖する手筈は済んでいるのだろう。

 ならばと彼は門とは反対側に向かう。そこにはあらかじめ脱出用にと目星をつけておいた庭木があった。彼はこれを巧みに登ってあっという間に塀の上に登った。このまま反対側に降りれば逃走成功なのだが……。

「よし、これで……」

「いたぞ!あそこだ!」

「チィッ!もう来やがったか!なら……!」

 姿を見られた種長はあえて塀の上を走って逃げた。反対側に降りなかったのは、塀の向こうに行ってしまえば彼らの顔を拝むことができなくなるからだ。どうせ姿は見られた。ならばついでに猿一郎たちの顔も確認しておこう。そう考えながら走っていくと、まもなくして本隊らしき集団が目についた。

「ネズミはどこだ!?捕まえたのか!?」

「いや、塀の上だ!ほら、向こう!」

「なっ!あんなところに……!おい、誰か長物持ってこい!」

 集まった男たちは刀やら匕首などを手にしていたが、幸い遠距離から攻撃できるような得物を持つ者はいなかった。その隙に種長は彼らの顔をじっくりと拝む。

(これで全員か?猿一郎は……いた!間違いない!奴だ!)

 騒ぎ立てる自称神職の男たち。その中心に、記憶より少し年老いていたが猿一郎が確かにいた。

(間違いない、奴だ。ということは亀屋の事件も奴が?……いや、それは今考えることではないか。今はまずは逃げることだけを考えよう)

 ここにいる神職の猿一郎と尾張で有名だった牢人の猿一郎。その二人が同一人物だとわかった今、ここには用はない。種長は塀の反対側――隣の屋敷に飛び降りた。

「ひぃぃっ!?何奴!?」

 降りた先の庭にはちょうど掃除中の下男がいたが、彼は急に現れた種長に驚いて腰を抜かしていた。種長は一言「すまん」と言って駆け抜け通りに出る。まもなくして回り込んできたのだろう男たちの怒声が響いたが、そのころにはもう種長は次の通りの角に消えていた。

「くそっ!どこ行った!?出てこい、このっ!」

 そんな怒号を背に、種長はそのまま市井を出鱈目にたっぷり四半刻ほど走った。彼は猿一郎らを完全に撒けたことを確認すると、とあるお堂の陰に隠れて呼吸を整えた。

「ふ、ふふっ。久しぶりに本気で走ったな……。だがこれでわかった。奴らは尾張から招集された牢人たちだ。そしてその手引きに関わっているのはおそらく……!」

 十兵衛の話だと彼らと政虎たちは昔からの知り合いだとのことだ。しかし与力である政虎と、牢人である猿一郎たちにそのような繋がりがあるはずがない。ということは……。

「……とりあえずまずは報告だな。次の動きはそれから考えればいい」

 もちろんまだ完全に政虎たちが黒と決まったわけではなかったが、それでも本格的に調査するだけの口実は手に入った。あとは速さの勝負となるだろう。

 というのも今回の件で猿一郎たちにこちらの調査がバレてしまったからだ。もし彼らと政虎たちがつながっているとしたら、湛仁のように雲隠れされてしまうかもしれない。そうなる前に次の方針を打ち出すべきだ。

「早く戻らねばな」

 呼吸を整えた種長はお堂の影から慎重に顔を出す。尾行がないことを確認すると、彼は報告のために再度走り出すのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ