第九項 晴れろ
『リス……ク? あなた……なにを、してるの?』
『ああ、ママ。見つかっちゃったか。……見ての通り、お勉強だよ?こんな機会、なかなかないからね』
『おべ……んきょう? その……手に持ってるものは、なに?』
『モズじいさんの心臓だよ。こっちは、肺。……ママ?』
『……』
『モズじいさん、山菜取りの途中で殺されちゃったらしいんだ。でも、おかげでお勉強ができる良い機会に恵まれたよ。図鑑で見るのと、生で見るのはまるで違う』
『……うぷっ』
『人を殺したらダメだからね。こういう時くらいじゃないと、お勉強なんてできないんだ。……ママ? どうしたの。気分悪いの?』
『お、おげぇ!!』
『マ、ママ!? た、大変!と、とりあえずパパを呼んでこなくちゃ!』
⭐︎⭐︎
「……んあ」
指先に、熱い、不快なものを感じて目が覚めた。まず視界に入るのは、木板の受付台。そして、鼻をくすぐるのは猛烈な悪臭。
開発員は自分の手のひらを顎に乗せ、少し休憩するつもりで目を閉じているつもりだった。だが、実際にはがっつり眠り込んでしまったようだ。
指にかかった涎の臭いを嗅ぎ、開発員は顔を歪める。
「最悪な夢見た」
彼は手をぶんぶんと振り回しながら、ぼさぼさの頭を掻きむしる。
壁に立てかけられた時計へ視線を向けると、時刻は朝の六時を指していた。
メイド戦装束の開発を始めてから四日目。つまり、今日が約束の日である。
夕方には、メリトリスがこの工房へやってくるだろう。
「水」
開発員はパイプ椅子を押して立ち上がり、ふらふらとした足取りで居住域へ向かった。
居住域までの道は、かろうじて開けている。
ただ、その代わりに、工房の床は酷い散らかりようになっていた。
この四日で、工房の中は見違えるほど荒れに荒れていた。床には切り落とされた布の端、失敗した薄い装甲板、削り屑、留め具の残骸、書き潰された設計紙が散らばっている。
魔力炉の熱にあてられた床板の一部は、わずかに色が変わっていた。踏むたびに、削り屑が乾いた音を立てて足の裏で砕けた。
工房の中央には、衣装立てに掛けられた完成間近のメイド戦装束が、銀の防護布に覆われたまま立っている。
開発員は床の散乱など苦もなく避けて歩き、流しの蛇口を口で覆うようにして豪快に水を飲み始める。
喉を通る冷たい水が、体の奥に残っていた眠気を押し流していく。溺れるほど水を浴び、満足した彼は、口元を袖で拭うと、工房の奥へ歩いていった。
そこには魔力炉がある。
ここ二日間稼働させ続けていたこともあり、魔力炉は重く低い音を定期的に鳴らしていた。ただ、それは異常を告げる音ではない。むしろ、安定している証拠だった。
開発員は右手を伸ばし、魔力炉の側面に手を当てる。
振動が、掌を通して体へ流れ込んでくる。金属の表面は、掌を押し返すほどにじんわりと熱を帯びていた。
彼は目を閉じ、その振動をしばらく感じ取った。
「まさか、こんな形で機会が巡ってくるとはな」
息に混ぜるように、ぽつりと独り言をこぼす。
一度、瞼が震えるほど強く目を閉じ、それから、今度は見開く。
魔力炉から手を離し、数秒だけその装置を見つめた後、開発員は背を向けた。
まだ微調整が必要だ。
工房中央で待ち構える荘厳なメイド服の戦装束を視界に収めると、開発員は不敵に微笑んだ。
そして、夕刻。
メリトリスは前回の来訪とわずか五分の誤差で、この工房を訪ねてきた。
前回で学習したのか、彼女のスカートは膝丈で、フレアの量も少ない実用的なシルエットに変わっていた。裾を結ぶという回りくどいことをしなくていい。
「来たか。さっそく見るか?」
「え、ええ。その……そうします」
受付台の目の前まで歩いてくるメリトリス。
しかし、開発員と対面するはずのその距離で、開発員の顔は何かによって遮られていた。
「待ちくたびれた。早く行くぞ」
キャスバルだった。
彼女は受付台の上で胡座をかき、メリトリスが来るのを待ち構えていたのである。
午後の二時にはここへ来て、短く、
「ここで待つ」
と言い放ったキャスバルであった。
銀の防護布で覆われたそれを、彼女は律儀にも見ようとはしなかった。メリトリスが来るまで、その全貌を見るのは嫌だと言ったのである。
ちなみに、開発員とキャスバルの間には明確に気まずい空気があり、会話はほとんどなかった。
「その、フロントの天使さん。リズリールさんが怒っておられましたよ? 隊を押し付けてって」
「そんなのは知らん」
「知らんって、そんな……」
開発員が受付台を上げ、二人を中へ招き入れる。
とはいっても、きちんと受付台を通ってきたのはメリトリスだけであり、台の上に座っていたキャスバルはただ飛び降りてきただけだが。
「それよりフロントの天使様、龍鱗装甲のこと――」
「あ?」
「あ、いえ……なんでもございません」
二人の会話は、開発員にとってあまりよくわからない話だった。
だから、無視していた。
気になる単語は出たものの、今の開発員には、仕上げたものを無事に依頼人へ届けるという大仕事が待っている。だから、雑音。気にするべき時ではない。
「よし。準備はいいな?」
開発員は、高く聳えるそれを覆う、光沢のある銀の防護布をちょこんと摘んだ。
少し重心をいじれば、勝手にめくれる設計になっている。つまり、この指を離せば、もう解放の時だ。
「はい」
「早くしろ」
焦らすなよ、という非難の視線が嫌でもわかるキャスバルの目つき。
そして緊張のためか、口元を僅かに結んでいるメリトリス。
焦らすものでもない。なにより、キャスバルの目が怖い。
少し顎を上げ、見下すようにこちらを射抜いている。
その視線に当てられて、開発員は何の脈絡もなく指を離した。
するり、と。
防護布が床へ落ちていく。滑らかな銀が、衣装立ての足元で静かにわだかまった。
そして、そこに現れたのは、黒と白を基調としたクラシカルなメイド服だった。
上半身はすっきりとまとめられている。首元は詰まりすぎず、しかし品を失わない程度に整えられ、胸元から腰にかけては白いエプロンが滑らかな線を作っていた。袖口には細かなフリルがあしらわれ、柔らかさと気品を同時に添えている。
腰はきゅっと絞られ、そこから下半身のスカートが横へ大きく広がっていた。
黒い布地は深く光を吸い、白い縁取りとフリルは工房の灯りを受けて淡く浮かび上がる。布は幾層にも重なり、波打つような曲線を作りながら、悠然とそこに構えていた。
まるで戦場に出るための装備ではない。
貴族屋敷の廊下を静かに歩くための、格式あるメイド服。
少なくとも、外見だけはそう見えた。
装甲感はまるでない。
「なっ」
「こ、これは……」
現れたそれに、キャスバルは目を大きく見開き、メリトリスは口元へ手を運んで反応した。
メリトリスの瞳は工房の光に照らされ、きらきらと輝いている。
開発員は思わず、その目に見惚れて釘付けになってしまった。
「いっ!!」
「ふん」
キャスバルに膝を蹴られた。
開発員は蹴られた膝を持ち上げ、必死にさすりながら片足でぴょんぴょんと跳ね回る。
しかしそれでも、メリトリスの視線は、自分が着ることになるメイド服に釘付けとなっていた。二人のやり取りに介入する気はなさそうである。
「ったく、なんだってんだ」
開発員は腕組みをしてあらぬ方を見るキャスバルを睨みながら、気を取り直してメリトリスへ視線を戻した。
そして、一歩前へ出て、メイド服の横へ立つ。
彼は指を弾き、メリトリスの視線を無理やり引き剥がした。開発員と目が合ったのを確認してから、スカートの布をたくし上げる。
「まるで戦場に飛び出る服装じゃねぇ。戸惑うのもわかる。この布量は前代未聞だ。だが、やるなら徹底的に、だ」
開発員がスカートを捲り上げたことで、内側に仕込まれた薄い鉄板が姿を見せた。
布の下を守る防護用の装甲板だろう。
しかし、それはあまりにも薄く、頼りなさそうにも見えた。
開発員は、メリトリスがそう思っていると勝手に仮定し、装甲板を指で弾いた。
硬質な音が、短く鳴る。
「まずは防御性能の話だ。この装甲には、特別なものを仕込んでいる。見た目だけなら薄い鉄板にしか見えねぇだろうが、簡素な剣なら傷一つつかない。王族親衛隊が使うような剣で、かろうじて傷をつけられる程度だろうさ」
「そ、そんな頑丈なものが、この王都に?」
「あるにはある。だが、普通は使えない。加工が難しすぎるし、扱いを間違えれば割れる。何より、普通の鎧に使うには向いていない」
開発員は装甲板を指先で軽く持ち上げた。
その下には、さらに黒い生地とフリルが姿を現す。
表面と同じ構造をした、もうひとつのスカートだった。
つまり、このメイド戦装束は、装甲板をスカートで挟み込んだ造形となっている。
「次に見た目の話だ。この装甲は外から見えない。布の翻りにも干渉しない。むしろ布に合わせて動く。だから外から見た奴は、このスカートの中に鉄板が仕込まれている事実に気づくことすらできねぇだろうさ」
「布に、合わせて……?」
「ああ。見せやすいからあくまでも例としてスカートの中身を見せただけで、全身にこの細工はしてある。そこは安心しろ」
メリトリスは黙って聞いていた。
目は真剣で、先ほどまでの輝きとは別の緊張が宿っている。
「そして最後に、こいつの本題だ」
開発員は装甲板を指で叩き、少しだけ声を低くした。
「正直に言うと、この装甲には魔力を練り込んでいる。魔力炉を使ってな」
「……へ?」
メリトリスは口を丸く開け、目を見開いて開発員を見た。
気の抜けたような顔だったが、指摘してやると話がこじれそうなので、開発員は無視することにした。
「人馬一体って言葉があるだろ。馬と人間が、まるで一つの生命みたいに息が合ってるってな。これもそういう意味を込めた。魔力を練り込んだのは、体と装備の同化を著しく促進し、より高度で実戦的な装備を目指したからだ」
開発員はスカートを持った手はそのままに、薄い装甲板を器用につまんで持ち上げる。
「本来、装備は人を守る鎧にすぎない。身に纏う錘そのものだ。ただ、このメイド装束は肉体の延長として機能させる意図を持たせた。だからこその魔力だ。これは、そういう概念が盛り込まれている代物だ」
「そ、そんなことが可能なのですか?」
「まあ、訳あって人体については理解が深いんだ。その辺は……おいおいな」
開発員は言葉尻をすぼめるように言った。
キャスバルの細められた目が開発員を射抜いていたが、彼はそれに気がついていない。
「話を戻すぞ。防御の要でありながら優雅さを損なわないために、この装甲板には何重にも組み込まれた複雑な機構がある。さらに布で挟み込むことで、布の翻りには一切の干渉を与えない。この装甲は、布の動きを魔力で感じ取って、それに追尾する機能がある」
「追尾……」
「そうだ。メリトリスの魔力も機敏に感じ取る。例えば足に力を込めれば、それを察して、隙になる箇所を重点的に守ってくれる。蹴り技をするなら、隙になる腹部を守る。そんな感じだ」
「そんなことが……」
メリトリスはぽつりと溢した。
すっかり硬い口調が剥がれている。
「それほど薄くて硬い素材があるなら、みんなも使えばいいのに」
その疑問は、さも当然だった。
それほど薄くて硬い素材があれば、通常の防具として普段から採用すればいい。中央の工房が放っておくはずもない。国が求めないはずもない。
できるなら、する。できないなら、しない。そして、開発員にはできた。
単純な話、それがすべてだった。
「とまあ、長い説明はこの辺にして……着てみるか?」
「え!? ……あ、はい。そ、そういたします」
開発員がかけた言葉に、メリトリスは肩を跳ねさせた。
開発員はキャスバルに着付けをお願いするよう声をかけて、居住域の方へ一旦姿を消した。
もちろん、キャスバルに声をかけた途端に舌打ちされた。
ただ、あとで龍鱗装甲を改修してやると声をかけると、舌打ちはそれきりで止まった。やはり壊した説が濃厚だろうか。
そして、数分。
開発員がベッドに座り、冷蔵庫の側面を凝視していたところ、キャスバルが居住域へ顔を出して開発員を呼び出した。
開発員は気合を入れるように、確かに感じる緊張感とともに頬を叩いて立ち上がる。
そして、工房の中央にいたそれは、まさに完璧だった。
少し恥じらうメリトリスの顔が、開発員の双眸を刺す。
彼女は腰を右へ、左へと動かしながら着心地を確かめていた。しゃがみ込む。立ち上がる。袖を持ち上げる。スカートを軽く摘まみ、歩幅を変えて数歩だけ進む。
開発員が指示するまでもなく、優雅なスカートを翻しながら動きを確認していた。
「どうだ」
短く、一言。
開発員はメリトリスの横に立ち、改めてその全貌を下から上までしっかりと観察した。
寸分違わない。メイドとしての誇りは、そのままにある。長身であるメリトリスは十分に着こなしている。少なくとも、開発員はそう思えた。
「まさに、まさに優れものでございます。正直……これほどまでとは」
メリトリスは腕を上げ、袖を視界の前へ寄せた。
そして、袖にあしらわれたフリルを鼻先に押し当てる。
「生地は柔らかく滑らかで、しかし跳ね返す力強さがあります。皺になる気配も致しません。元に戻る力が確かに働いていて、激しい戦いにおいても造形を気にする必要はなさそうです」
「なるほど、確かな判断力だ。だが……本番はここからだぞ」
「え?」
「紐付けする。魔力を通せ」
「魔力、を?」
開発員は、メリトリスから二歩離れた。ここにいたら邪魔になる。
開発員が離れたのを合図と思ったのか、メリトリスは目を閉じ、少し顔を下へ傾けた。
そして、髪の毛が僅かに揺れ動く。
途端に、メリトリスの身体から青白い光が立ちこめた。
それに呼応し、スカートが激しく翻る。
装甲が仕込まれているとは思えない自然な翻りだった。
「こ、これは……」
メイド服が、メリトリスの髪が、静かに元へ戻っていく。
そしてメリトリスは何を思ったか、スカートの黒い部分を乱雑にたくし上げた。
現れた装甲板。
しかし、その縁は青白く発光している。
「紐付けだ。この装備は、お前の魔力を覚えた。言うなれば、人馬一体ならぬ――」
開発員は、そこで少しだけ言葉を切った。
「人装一体だな。この戦装束は身を守るだけの装備じゃない。むしろ――」
「わたし、そのもの……不思議な、感覚です。ですが」
メリトリスは装甲板を披露したまま、その装甲板を一つ一つ、上へ下へと動かし始めた。
「まるで、自分の手足みたいです。こんな、こんなことって……」
メリトリスは手からスカートを解放した。
ばさりと落ちていくはずのスカートは、膝丈ほどの高さで止まった。
それは、装甲板がスカートの布に干渉している確かな証拠だった。
そのスカートを今度こそ自然に垂らすと、メリトリスは開発員の目を射抜いた。不自然な目だった。まるで、敵を殺さんばかりに細められている。
間違いなく、開発員の内心に、わずかな恐怖を抱かせるほどの眼差しだった。
「あなたは……一体何者なのですか」
「ただの、一装備修理屋だが」
メリトリスの口が歪む。
開発員はその目と口に苛まれて、一体どうすればよいのかわからなくなった。思わず視線を逸らし、頭をぽりぽりと掻きむしる。
すっかり生まれてしまった、気まずい空気。
しかし、その二人の間に、人影が突如現れた。
「メリトリス。やめろ」
キャスバルだった。
すっかり気配を消していた彼女が、ここぞとばかりに介入した。
「……あ、すみません。わたしとしたことが、はしたない真似を」
メリトリスはスカートを摘まみ、頭を下げた。向けられた瞳は、すっかり解消されている。
開発員はそれに引き攣った笑いで返答する。しかし、頭の中では厄介な思考が渦巻いていた。
やはり、受け入れられないのか。
開発員は天井を見た。
過去の思い出が、開発員の脳に侵食し始めていた。
一歩、後ずさる。
後頭部に手を当てる。
ただ、
「開発員。わたしがいる」
腕を、何かが刺激した。
その刺激がきっかけで、天井の様相が一気に晴れ渡っていく。
視界が現在の工房へ戻ってきた。
開発員は下を見た。
キャスバルがいた。
彼女は開発員の腕を掴んでいる。
じっと、何を考えているかわからない顔で、こちらを見続けていた。
「……悪い。少し、考え事をしていた」
開発員は掴まれた腕を見ながら、静かにため息を吐く。
そして、メリトリスへと視線を返した。




