第八項 小太りのルルンル
工房の扉が、来客を告げる音を出した。まだ、街も寝静まる朝四時半だ。
その音は地面を滑るように、開発員の体へ重く響いた。
開発員は小型の油式点灯機を受付台に置き、その時を待ち構えていた。眠ってはいない。眠れるはずもなかった。
扉が震えるや否や立ち上がり、工房内の明かりを順に灯すと、足早に工房扉へと歩いていく。灯された炎が芯で揺れ、油の焦げる匂いが、まだ冷えた空気に薄く混じった。
そして、扉を僅かに開けた。
顔がのぞく程度の隙間から見えたのは、筋骨隆々の腕を惜しげもなく晒した若い男だった。開発員と目が合うと、男は帽子のツバを掴み、僅かに頭を下げる。
早朝から仕事に駆り出されるのが妙に似合う、まだ二十代前半と思しき皺のない若者だ。朝早くにも目に活力があり、つい一度顔を逸らしてしまう。
「少し早く着きすぎました。すぐに作業を開始しても?」
開発員は扉を完全に開き、ゆっくりと目を合わせに行って手招きで同意を示す。
「許可が出た! やるぞ、おまえら!」
若者の檄が飛ぶ。
それに応えるように、外から男たちの鈍い声が続いた。まだ暗い通りのそこかしこで、荷を担ぐ肩と足音が、一斉に動き出す気配がある。
若者を先頭に、汚れた工務服を着込んだむさ苦しい男たちが、次々と工房内へ入ってくる。数えれば、総勢十二名の大所帯だった。
「これを見ながら頼む。わからないことがあれば聞け」
開発員は最初に会った若者の側まで歩くと、肩を叩いて四枚の紙を手渡した。
いずれも、機材の配置や素材の積み方、搬入経路を事前に記した見取り図である。昨晩、キャスバルと言い合いをしながらも、手を止めずに書き上げたものだ。
工房内を見渡しながら仲間たちと段取りを話していた若者は、その紙を受け取ると、すぐに両手で包み込むように広げた。
目が紙面を走る。
一枚目、二枚目、三枚目。
紙をめくるたびに、若者の視線が工房内の実際の壁、床、窓、炉の跡へと移っていく。
「おお、これはかなり分かりやすいですね。助かります」
若者は紙を最寄りの職人へ手渡すと、すぐに開発員から意識を離して作業を開始した。
開発員は変に邪魔にならないよう、受付台にあったパイプ椅子をひったくり、工房の隅へと歩いていく。そこは追加素材が必要になった時の臨時搬入用として空けていた場所で、今のところ作業の邪魔にはならない。
そこならば、早急に邪魔とはならないだろう。では、お手並み拝見。パイプ椅子を置き、腰を下ろした。
開発員が率先してやることは、もうなにもない。若者を中心とした作業の手際を見守ることに集中する。
群がった男たちは、みな職人らしく体中に黒染みや皺、怪我を刻む熟練者だ。なのに、それを率いるのはこの若者。あの実力主義のニャイノートが、キャスバルと同世代の若者を責任者に据えるのだ。きっと、将来有望の弟子なのだろう。
そういう期待の眼差しが、開発員の目をわずかに柔らかくしていた。
その若者の手腕は、予想以上だった。
そもそも、大きめの機材というのは細かな部品の集合体である。工房から工房へ、または機械工学部から工房へ搬入する際は、いちいち解体して持ち運び、設置する場所で組み立て直す必要がある。
しかも、大掛かりな機材になるほど僅かな綻びや歪みも許されない。緻密な作業能力を必須とする代物であるため、基本的には熟練者が担うことが多い。
しかし、この若者は周囲の男どもを顎で使うことがほとんどだった。
自分は腕利きの二人を両側に侍らせ、設計と組み上げの確認だけを担っている。
「そっちは先に固定するな。床が歪んでる。右を半寸浮かせろ」
若者の短い指示が飛ぶ。
二人の職人がすぐに動き、重い鉄枠を持ち上げた。別の男が下へ薄い調整板を差し込む。若者は膝を折って視線を床の高さまで落とし、僅かに首を傾けた。
「そこでいい。次、魔力管は奥だ。炉の横へ回せ。布材は湿気を避けて窓の反対側。金属板と重ねるなよ」
手順に無駄がない。
部品の置き場、機材の向き、職人たちの足の運び。すべてが次の作業へ繋がるように組み立てられていた。いくら開発員の見取り図があるとはいえ、事前に計算していなければならない迅速さだ。
開発員は流石に感心した。
ニャイノートも良い弟子を取ったものだと、どこか誇らしく思える。
そうして、工業区画を賑わせること朝の六時頃。
騒ぎを聞きつけた寝起きの近隣が様子を確認しに来ることはあったが、特に大きな問題は起きずにいよいよ作業も大詰めとなった。
若者が開発員の元へ歩いてきたことで、その作業は終わりを告げる。
「完璧です。ご確認されますか?」
「いや、いい。ここから見てても、実に興味深かった」
「そうですか。ニャイノートの一番弟子として、あなたの工房へ立ち入れたこと、誇りに思います」
「ほざけ」
「ははは」
やはり、一番弟子だったか。しかも、この若者はそれを自称した。そんな奴が、中央で将来を期待され、腕を振るう若者が、こんな工房へ立ち入れて誇りなど嫌味にも程がある。
開発員は若者の膝へ軽く蹴りを入れた。
「いたた。……それより、こんな寂れた工房で魔力炉なんて。ニャイノートも今度は自分の足をぶっ壊すんじゃないかって、期待してましたよ」
若者はまたも蹴り上げようとする開発員から逃げるように、苦笑いを浮かべながら早足で距離を取る。ついで、他の衆へ号令をかけ、そそくさと工房を後にしていった。足音と話し声が遠ざかり、やがて通りの向こうへと吸い込まれていく。
すっかり静かになった工房。
しかし、視界は見違えるほど物で溢れ、整然とした様相へ変わっていた。
壁際には、種類ごとに分けられた金属板が立てかけられている。その隣には、布材や革材を湿気から守るための木箱が積まれ、細かい金具や留め具は、番号を振られた小箱の中へ収められていた。
奥には新しい加工台が据えられている。台の下には小型の工具箱が滑り込ませてあり、手を伸ばせば必要な道具がすぐに取れる配置だ。
さらにその奥、ほとんど死角になる位置に、大掛かりな装置が据えられていた。
魔力炉。
外からは一見して目立たないよう、機材や棚の陰に隠している。それでも、床際を這う太い管と、炉の腹に刻まれた制御用の目盛りだけは、どうしても隠しきれなかった。
古い貧乏工房の中に、中央工房の一角だけを無理やり移植したような違和感がある。それも当然、若者も言っていたが、魔力炉なんて代物は、ただの一職人が単独で扱える代物ではない。
開発員はひとつ息を吐くと、パイプ椅子を後ろへ押しながら立ち上がった。
「忙しくなるな」
腕や足を伸ばして筋肉をほぐし、工房の奥へ入るために受付台を持ち上げる。
ただ、その背後から感じた気配に、開発員は足を止めた。
「ダッチ、随分豪華になったもんだな」
「ルルンルか」
開発員は声だけで、それが誰かを察した。ここの隣に工房を持つ、鎧具専門の職人だ。
開発員は受付台を落として、体を反転させた。
そこにいたのは、白い腰布を垂らした小太りの男だった。腰布は職人らしく油で汚れ、あまり体を清潔にしていないのか、深い体毛はあちらこちらに跳ねている。
「色々と話したいことがあってな。朝早くから来ちまった」
「いや、いい。騒音だのなんだの、迷惑をかけたのはこっちだしな」
「いやいや、騒音はそれほどでもなかったさ。随分な凄腕連中を使ったもんだと思っただけ。そんな金持ってたか、お前?」
開発員は肩を竦めた。
ルルンルは、先ほど開発員が座っていたパイプ椅子までまっすぐ歩いていくと、体を落とすようにそこへ座った。
椅子は悲鳴を上げ、床を擦った。
「実は、昨晩急に、あのフロントの天使がやってきてな。なんと、うちの工房に居座ると言い出したんだ。理由を聞くと、お前に聞けの一点張りでな。お前、フロントの天使とどういう関係なんだ?」
「あぁ……」
開発員はルルンルから目を離すと、ゆっくりと天井を見上げた。
分かってはいた。
この工房と隣接しているのは、ルルンルとディーキーマンの工房だ。キャスバルがどういう意図を持っていたのかはわからないが、選んだのはルルンルだったらしい。
「別に長くもならねぇ話だ。聞いていくか?」
「ぜひそうしてくれ」
開発員は、ルルンルに嘘偽りない事実を語った。
龍鱗装甲の依頼と、仕事の依頼でまとまった金が入ったこと。さらに、それを理由にキャスバルが護衛を名乗り出たことなど。
そして、開発員が説教した結果、隣の工房に行ったことまで説明し尽くす。さすがに、貴族が絡んでることについては、ルルンルの安全を考慮して濁して伝えたい。
ただ、事実を語る中で、キャスバルの言い分と食い違う場面も、ルルンルの口から発覚した。
「あいつ、ここの工房以外は全部断られたって言っていたが……なら、お前のとこには行ってなかったんだな?」
「ああ。フロントの天使と接点があるやつなんて、この区画じゃいないはずだ」
ここしかない。
キャスバルは龍鱗装甲を作りにここへ来た時、確かにそう言っていた。
「ニャイノートめ、やりやがった」
開発員はぽつりと呟いた。
キャスバルの言葉では、中央区では開発員以外の誰からも相手にされなかったから、開発員に依頼をしに来たという話だった。
とすれば、おそらくその時点で、ニャイノートはキャスバルと出会っている。
そして、そこで開発員の名を出した可能性は十分に考えられた。
――フロントの天使の装備を作ったのは、どうせお前さな?
あの時の言葉が思い出される。
「あのばあさんが関わってんのか。なら、深く入り込むのはやめるとするか」
ルルンルは話はおしまいとばかりに、膝を強く手のひらで叩いてあくびをした。
開発員も、ルルンルが変に食い下がってくることを懸念していたため、そのあくびを見て安堵のため息を漏らす。
「それより、あいつはどうしてる。あっちで大人しくしてんのか?」
「ああ。眠いと一言、あっという間に寝ちまったよ。さすがにここが騒がしくなったんで一度起きたんだが、耳を澄ませると、またすぐ寝たよ」
「そうか。あいつらしいな」
英雄だなんだと持て囃されるくらいだ。きっと、目視せずとも気配や音で異常を察知することができるのだろう。
開発員は都合よくそう思った。
「昨日無理やり突撃されて、よく、すぐに事情を聞きに来なかったな」
「ん? あー、まあ、そうだよな。けど、いきなりフロントの天使が来て、腹が減ったって飯を作らされたからな。なにがなんだかで、そんな発想にはならなかったさ」
「……迷惑かけたな」
「いいってことよ」
ルルンルは静かな笑いをこぼすと、椅子を鳴らして立ち上がった。
そして、開発員のすぐ横まで、小太りの腹を手のひらでポンポンと叩きながら歩いてくる。
「随分な大仕事だな。しかし、メイド装束の戦闘服とはまた、変わり者もいたもんだ」
「時代は変わるかもな」
「時代?」
「いや、忘れてくれ」
開発員は、滑りそうになった言葉をぐっと押し込んだ。
開発員には、抱き続けてる構想があった。当時、その構想を形にしようとした結果、ニャイノートの足を破壊した過去もある。それ以来、公にせず誰にも言っていない大きな構想。
それは、装備開発に大革命を起こす、今の常識では禁忌にも似た構想だった。
メイド戦装束もまた、その構造を僅かに用いたものになる。
夢物語だった。
開発員の、誰にも言えない過去。
その時から培っていた、叶わないはずだった夢。
『リスク病』
幼き頃、自分の人生を大いに変えた、あの言葉。故郷、王都、そして、工房。
そして、突如舞い込んだ金貨二十枚。
間違いなく、これは開発員の未来を変える。さらに、この世界すら変える大きな現実だった。
この金貨は確かに、開発員の構想を現実にする。
大きな、あまりに大きな資産だ。
「けど、魔力炉なんか何に使うんだ。装備開発に魔力との結合ってのはよくある話だが、それにしてもこんな大掛かりなものが必要か?」
ルルンルは工房の奥に設置した、ほとんど死角に隠しているはずの大掛かりな装置をしっかり認知し、指差した。
開発員は眉間に皺を作り、口をひん曲げた。
たかが工房区画の一工房主。
しかし、腐っても職人か。
「……まあ、趣味だ」
「ははは! そうだろうよ。一職人が魔力炉なんて置き始めたら、普通は正気を疑うからな。五人の技術者が集まって、やっとこさの代物だろ?必要な時は、まぁ呼べよ。ディーキーマンと一緒に乗り込んでやるからな」
ルルンルはすっかり気分が良くなったのか、受付台を上げて工房内へ立ち入り、口角を上げながら周囲をまじまじと観察した。
「随分手狭なもんだ。こりゃ、足の踏み場も考えんと」
開発員も遅れて工房内へと立ち入る。
機材や資材で溢れた工房内は、ほぼ百点に近い形で、開発員の思い描いた通りに配置されていた。
不満はない。
だが、確かに手狭という感想はもっともだった。
床そのものは、ほとんど何も落ちていないほど綺麗に片づいている。しかし、資材の角や機材の鉄輪が動線にはみ出している箇所もあり、油断すると足に傷を負う。
だが、そもそも誰かをここに立ち入らせるつもりなど毛頭なかった。
余計なお世話だ。
口には出さないが、そう思った。
「なぁ、ルルンル」
「あん?」
「いや……なんでもない」
開発員は、興味深そうに観察するルルンルを見て、つい余計なことを口走りそうになった。
今、言おうとしていたことは、開発員自身の構想の話だった。もし、機会があれば、俺と一緒に、と。
ただ、ルルンルにわざわざ聞かせる話ではない。彼は鎧具専門の職人で、凄腕の称号もない。変に巻き込むのは、違う。
少し、浮かれているな。
呆れてこちらを見るルルンルに、開発員は頭をぽりぽりと掻いて反応を示した。
「まあいいさ。俺はそろそろ帰ることにするよ。でないと、フロントの天使に朝飯を作れとどやされちまう」
ルルンルは開発員の肩を軽く叩き、工房の外へと歩いていった。
相変わらず腹が出ているせいで、道中ではかなり周りには気を使う羽目になっている。
開発員も少し口角を上げ、その後をついていった。
かろうじて工房内から出たルルンルは、開発員に「気張るなよ」と伝え、外へ出ていく。
開発員も、キャスバルをよろしくと伝えた。彼女がいつまで隣の世話になるのかはわからない。だからこそ、ルルンルには正直に申し訳ないと思ってしまう。
そして、工房の扉が閉まる。朝の喧騒から、いよいよ静かな時間が訪れた。
とはいえ、ここからが開発員の本番だ。
あと四日。
その期間で、メイド戦装束を一から作らなければならない。
開発員は頬を叩いた。朝飯など食べるつもりはない。そもそも、空腹など感じない。
むしろ、早く作れと体が疼いて仕方がなかった。
「……やるぞ、リスク」
開発員は受付台の上に置いてあったペンチを手に取る。
そしてまた、工房内へと踏み込んでいく。
まだ朝は七時を過ぎたばかり。
街の活気も、工房も、これからが本番だ。




